2010年7月10日土曜日

From Tsukui to Lake Okutama






プロローグ

オリジナルテントの打ち合わせを兼ねて東京に行く必要があった。ローカスギアの吉田さんによると、工房の裏山から奥多摩湖まで、よいトレールがあるという。尾根道だから、水場をネットで調べた。夕方、ウルちゃんが出現。酒盛りが始まる。寝るのが遅くなり、睡眠不足。まあ、餃子を持ってきたから許すか。

一日目

4時過ぎに目がさめた。二人はまだ寝ている。5時過ぎに朝食を済ませた。あまりに出発が遅くなると困るので二人を起こす。まったく、飲んだくれは困る。
6時50分出発。尾根に出ると、関東自然歩道。気持ちの良い道だが、非常に蒸し暑く、汗が噴き出す。ウルちゃんはしばらく同行。7時50分、大垂水峠。車道を渡り、山に入ると小川があり、小休止、水を1リッター満杯にする。シャツは汗でずぶ濡れ。
9時、城山着。店があり、ラムネを飲む。200円。しばらく休憩。9時15分出発、ウルちゃんはここから高尾山に向かった。ハイカーとトレランが多い。10時、景信山に到着、小休止。12時10分、陣馬山。安物の馬の彫刻がある。営業小屋がいくつもある。山菜うどんを食べる。550円。まずくて高い。トラクターのような車で物を運んでいるらしい。聞いても山の上に水はないという。疑う。
トラクターの道を少し降りると、水があったので、1リッター満タンにする。水場を教えるとジュースが売れないからだろう。感じはよくない。トレランやハイカーは姿を消す。別ルートで降りるようだ。13時10分、和田峠。
延々と林の中を歩き、16時、三国山着。防火用水をためたドラム缶があり。濾すと飲める。500メーター先に甘露水があると標識がある。水筒だけもってかなり下るが、見あたらない。軍刀利神社の方向に降りればあると思うが、標識は消失。止めにした。引き返して、三国山でテント泊に決定。水はあるし、見晴らしはよい。この先に水があるとは限らない。
水は5リッター作成。夕食は、飯を炊き、乾燥野菜とビーフジャーキーとホタテの缶詰で炒めた。オニオンスープとアップルパイもあり。Creek UL 1の前室は小さいので、バックパックにカバーをして外に置く。雨が本降りになったので、テントの中で調理。ぎりぎりのスペース。6時過ぎに寝る。

二日目

4時30分に起きる。10時間寝た。やっと睡眠不足を解消。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。雨は上がった。6時出発。6時15分、軍刀利神社元社。6時半、熊倉山。7時40分、浅間峠。水はないが、ドラム缶の防火用水あり。テント泊は可能だが、三国山の方が見晴らしがよく気持ちがよい。三頭山まで12.6キロの標識あり。今日はちょっと長め。
8時半、日原峠、きれいなお地蔵さんがある。8時50分、土俵山、ドラム缶に防火用水あり、水を1リッター満タンにする。小休止。10時、丸山を巻く。10時13分、笛吹峠。11時40分、槇寄山に到着。電波状態良い。パンとココアで昼食。水は残り200ミリリッター程度。12時25分出発。13時40分大沢山、1482メーター。少し歩くと立派な避難小屋。裏に回るとドラム缶に水がたまっていた。水を1リッター満タンにする。
14時10分三頭山の南の頂上。のんびりする。14時25分出発。鶴峠への標識あり。10分ばかり歩くと、方角が違うことに気づく。GPSでログを取っていたので、間違いが明瞭。引き返して、道のない所を突っ切って正しい尾根に到達。きれいな道があった。
15時40分ヌカザス山。少し雨だが、暑くて雨具は着られない。道は時々、急角度で下る。三頭橋着は17時。少し歩いて深山橋のバス停。奥多摩駅行きのバスは17時50分。バス停のそばに座って待つ。アメリカなら、ヒッチハイクをするのだが、バスがないわけでもないし。すると、しばらくすると、車が止まる。乗せてくれるという。山登りの人。ありがたく、奥多摩駅まで乗せてもらった。
駅前食堂で、とんかつ定食+野菜炒め+餃子で満腹、幸せになれた。餃子はへたくそだから、今度来た時は、とんかつ定食+野菜炒め+レバニラ炒め、くらいにすべきと、深く考察する。長年の懸案だったもえぎの湯にも入れたので満足


  • JMT対応の足回りだが、少し足の裏が痛かった。SHOCK DOCTORは堅めなので、インソールはDSISソルボに変更、ソックスもキャラバンは分厚すぎた。薄手のスマートウールに決定。





  • このコース、冬向き。今時歩くと、普通の人は熱中症になってしまう。たまたま丈夫なので、平気だったが、景色は悪いし、お勧めしない。もちろん、熱中症対策トレーニングには最適。それと、浄水器は必須。ドラム缶の水は濁っていて、たまに油が浮いている。普通の神経の人は飲めないと思うよ。





  • Sougatake2010


    一日目

    根真面目なので、仕事のしすぎが身体に来てしまった。やっぱり山で休養が簡単。僧ヶ岳は交通弱者にも優しいので、お手軽に出かけた。
    魚津駅8:31。東蔵行きのバスは8:36。東蔵着が9:00。荷物は19キロと、まあ、半病人だし、軽く仕上げた。ゆっくりとスタートし、30分くらい歩くと、昨年、工事中だった「みんなの広場」に来た。見ると「片貝山ノ守キャンプ場」とある。魚津市の経営、職員は二人。オートキャンプサイトが4000円。フリーサイトでテント一張り1000円というすばらしい価格。もちろん、客は一人もいなかった。5分ほど歩けば、川幅の広い所がある。キャンプはやり放題だよ。
    11:20、道が残雪で覆われて通行止めに差しかかった。車が何台も止まっている。11:50、片貝からの登山道に到着。パンとココアで昼食。12:30登山開始。入り口に倒木あり。昔は急傾斜だと思ったが、今では普通の登りに感じる。慣れてしまった。13:30テントが張れそうな広い場所で休憩。
    14:40山女が二人降りてきた。車からのピストン。1255m地点。14:50、成谷山、1590mのピーク。テントを張ってそばの雪を利用はできるが、先に進む。1600mにさしかかると、雪田が広がる。二つ目の雪渓の端を見ると、水が流れている。この水を利用することにして、平坦地を探す。少し先の登山道にテント設営。15:40。
    夕食は、冷凍して新聞紙に包み、保冷袋に入れてきたステーキ2枚、我が奥様の手作りのポテトサラダとひじきと大豆とタケノコの煮物、にんじんご飯、フリーズドライのオニオンスープと豪華。もちろん、食事前にヤマザキのまんじゅうを一つ食ったので、胃袋は満杯。参った。参った。

    二日目

    4時すぎに起きる。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。5:35出発。30分ほどで剣見の池付近に来る。完全に雪に埋まっていた。6:50僧ヶ岳頂上。頂上のみ雪なし。雪田は広い。ゆっくりするが、退屈。7:05下山開始。天気は下り坂。9:30烏帽子尾根の林道に出る。とりあえず、コーヒーとヤマザキのまんじゅう。森林公園へ下るか、宇奈月か、迷うが、10:00宇奈月へ向かう。林道で1040mまで行き、登山道に入り、一直線に下る。12:00観音公園。おかずの残りを食べて昼食代わり。輪島から来た車の人、乗せてくれるというので、お言葉に甘えて車に乗せてもらった。一時間助かった。12:40宇奈月駅着。ちょっと身体を甘やかしてしまったが、まあ、1600mくらいは上り下りして臭い汗が出て体調が戻った。
    魚津で50分くらいの乗り継ぎ時間。ディープな世界でも散策するかと思ったら、セブン・イレブンを発見。なんと100円のレギュラーコーヒーがあるではないか。自動コーヒーメーカーを設置し終えた所だった。いや、実に旨かった。チープな世界だが、コンビニは馬鹿にできない。なかなかやる。


    Kumano Ancient Road,Nakaheji route 2010.5



    アプローチ

    連休はあったが、授業があって長く休めない。奥様も忙しい。そこで、今まで行ったことがない那智から熊野大社へ続く中辺路ルートとした。JRで8時間。前泊は紀伊勝浦のビジネスホテル。朝食付きで五千円を切る価格。部屋はアメリカ並みに広かった。ちょっと古いからか客は少ないので静か。お風呂ではくりからもんもんの巨大なおじさんが建築の議論をしていた。実は小さい頃、大阪の釜が崎近くで一年ばかり過ごした。それで、故郷に戻った感じで、なごんでしまった(ちょと感受性が普通と違うのだ)。晩飯は町に出て、マグロのカツ丼。名物に旨い物なし通りで、熱の通しすぎで味がなかった。これは失敗。刺身を食べて、スーパーのマグロと代わらんと、吐き捨てるように言って出て行った中年グループもいた。マグロなんか、冷凍だからどこでも同じ。

    1日目

    朝、しっかり寝て、朝食を食べ、紀伊勝浦の駅へ。8時半のバス。観光バスではないが、それなりに客は多い。那智の滝前で下りる。立派な滝だが、土産物屋が乱立。観光客も多い。記念撮影を済ませて、熊野那智大社へ向かう。石畳の急な登り。本堂の中には自由に入れるが、カモが来たと寺の人が大勢で、祭壇の前で待ち構えていた。足がすくんだのですぐに逃げて、寺の裏から熊野古道に入った。良い雰囲気の道が続いていた。10時20分、那智山公園という広場に出た。小休止して、コーヒー・タイム。ちらほらと熊野古道を歩く人もいた。
    平らな丘の上が頂上。トイレはあったが、水はない。標識によると少し行くと水がある。先に進んだが水がない。標識もない。11時20分、昼食とする。11時50分、出発。水の残量は二人合わせて0.5リッター。水無しで3時間くらいは問題ないので、たぶん大丈夫と先に進んだ。12時半舟見茶屋蹟、その後で林道に合流した。側溝に水を発見。浄水器で汲み上げて一人一リッターの水を確保した。下り坂。川の傍の古道は通行禁止。舗装道路を歩く。14時、地蔵茶屋に着く。立派な休憩所とトイレがあったので小休止。
    山の南斜面の古道は苔むしている。わき水も多い。北斜面は乾いている。古い火山岩が露出していた。15時、越前峠の登り口に素晴らしいキャンプサイトがあったが、通過。15時20分、越前峠、標高800メーター。北斜面を下るが、水はない。だんだんと疲れてきた。実は、今回、SOLO Asolo Sasslong Gore-Tex Backpacking Boots を使ったが、足首の固定が柔いし、ソルボメディではクッションが足りない。下りが不安定で疲れてしまった。地図にあった休憩所を目指すが遠い。16時30分、茶屋蹟近くで水が流れていた。16時30分、杉林の中にテント設営。水は7リッター確保。夕食はビーフジャーキーご飯を炊いて、乾燥野菜と炒めた。それにおマメさん、スープ。良い場所で、しっかりと睡眠できた。大雲取り越えは予想よりきつい。アップダウンが多く、距離がある。

    2日目

    5時すぎに起きる。パン、マンゴー、コーヒー、チーズの朝食。7時出発。15分で休憩所に着いた。蛇口があり、捻ると水が出た。ここまで来れば良かったが、知らないので、昨日の場所で正解。時々、山ツツジのきれいな花がある。8時過ぎに小口の町に出た。小口自然の家は、オートキャンプ(これは和製英語で、アメリカ人には通じない。正しくは Car Camping だぞ)の車が一杯。歩きの人間には厳しい値段のキャンプ場なので、最初から泊まるつもりは無かった。
    小和瀬から小雲取り越えに入る。良い道が続く。棒で獲物を担いでいるような男二人がいた。最初は漁師かと思ったが、少し様子が違う。追いついて見ると、二人で担いでいたのは案内の標識。すぎの丸太で50キロあるという。標識を立てた後、番号が逆順と役所が気づいて、設置のし直し中という。日当は二日分しかない、それでなんとかやれと言われたらしい。千年前からこんなことをやっていたかもしれない。10時、N0.37で休憩。380メーター地点。10時10分、桜茶屋蹟で休憩。ここが唯一遠景の見える場所。大昔、この茶屋では白装束の一団が見えてから餅つきを始めたそうだ。納得。10時半出発、11時10分、林の中で昼食。トレランの三人組が通る。ウルトラライトだけど、サポートが必要だからね。本当は軽くはない。重い財布も必要。
    12時、小雲取山、ちょっとした丘で景色は見えない。下って谷筋に出ると見えるようになる。13時、松畑茶屋蹟で小休止。だだっ広い、平な場所。昔は茶屋が賑わっていたかもしれない。14時30分、請川に出る。本宮行きのバスは一時間後。デイリーヤマザキができていたので、見ると品揃えが良い。わざわざ本宮まで行く必要もない。本宮大社は見学する価値もないし、食料品店も小さい。それで買い物をして、この辺りで寝ることにした。
    少し引き返して公衆トイレで水を7リッター確保。身障者用トイレにはなぜか温水シャワーもあったのでヒゲを剃り、身体を拭いた。ところが公衆トイレの場所からは川に下りられない。請川バス停に戻り、川に出る。砂州は低いので下りず、堤防の上にテント設営。誰も来ない場所。ヤマザキのケーキでコーヒータイムとした。後は休憩してからは中華丼を作る。上等の牛肉で、なかなか旨かった。熊野川を見ると、鴨が二羽。絶えず一緒に行動している。常に一歩下がっているのがオス。ずうっと何時間も一緒。人間のオスも大変だが、鴨のオスも大変だなと実感。身につまされることがありましたな。

    エピローグ

    帰りは7時のバスで新宮へ。8時頃到着。9時過ぎのJRは高山線に接続、待ち時間も少ない。新宮駅の前でテントを広げて乾かす。酸っぱいサンマ寿司は買わず、名古屋での乗り換え時間に弁当を買う。名古屋の弁当の水準は高く、これも旨かった。以前、松坂で松坂牛の弁当を買い、不味くて大失敗だったこともある。同じ失敗は繰り返さない。名古屋弁当が正解。高山線もがら空きで、四席を独占して富山まで帰れた。

    Yakushima 2010



    アプローチ

    富山からはJRで大阪へ。カモメ埠頭からフェリーで宮崎へ。JRを乗り継ぎ、鹿児島。鹿児島からロケットという空中翼船で屋久島。ロケットはがら空き状態。いつものように海楽園のキャンプ場に行き、隅にテント。わいわいらんどで巻き寿司、餃子、トビウオ、ほうれん草を買う。トビウオは塩こしょうをして片栗粉を付けてムニエル。ほうれん草はすべてスープに入れた。

    1日目

    朝、6時前まで11時間以上寝た。コーヒーとパンで朝食。一晩中風雨。本来はもう一泊したいが、明日は晴れる予定。雨宿りをして7時45分に出発。しかし、バス停が思ったより遠い。1Km程度、23キロを担いでジョッキングしてしまった。疲れた。それなのにバスは遅れて8時11分着。同乗者は一名のみ。
    8時40分、白谷層雲峡、少し雨が弱くなった。入り口で協力金300円を払う。何時ものように感じの悪いおばさんだ。登山届けを嫌々書くと、下山届けも必要だという。交番に届けることになっているそうだ。初耳。
    原生歩道から白谷小屋10時40分。トイレに紙もあった。10時45分、出発。11時半、辻峠。パンを食べて11時45分出発。雨が上がった。ガイド付きの人が多い。12時20分、荒川歩道と合流。高塚小屋までは3時間半程度。4時頃到着の予定。13時40分、大株歩道入り口。15時36分、縄文杉。良い雰囲気で写真をたくさん写す。
    16時半、休憩所にテント設営。水は少し下って浄水器で4リッター確保。夕食はビーフジャーキーと野菜と高野豆腐のうま煮。お豆さん。

    2日目

    5時半に起きる。パン、マンゴー、コーヒー、チーズの朝食。少し頭痛がしたのでロキソニンをのむ。気温0度。7時20分出発。8時30分、新高塚小屋。8時45分出発、気温マイナス2度。9時45分、第二展望台、気温マイナス5度。10時40分、平石。ロープのかかった岩の場所、氷結していて、アイゼンを付ける。
    宮浦岳には登らず、三叉路から少し入りパンで昼食。顔にマスクをした大学生がふらふらと歩いていく。鹿の沢小屋で二泊の予定という。12時10分出発。永田岳登り口に良いテント場あり、歩く気をなくす。13時テント設営。水4リッターを確保。コーヒータイムとして、文庫本を読み、少し眠る。
    15時半過ぎ、天候が回復、青空になった。急遽、永田岳に登ることにした。カメラだけ持って速攻。15分で山頂。パノラマ写真も写す。16時45分、テントに戻る。17時、飯炊き開始。ビーフジャーキー入りご飯と高菜の炒め物。スープに高野豆腐を入れた。うまかった。
    PowerFilmも良好。充電も速いし、携帯への充電も問題なし。昇圧回路の設計が良いようだ。18時40分、寝る支度。テント内はすでにマイナス5度。0時50分、テント内マイナス8度、午前2時半、テント内マイナス11度。マットはダウンマットレスだし、シュラフはマーマットのヘリウムEQだし、ほかほか。大学生は鹿の沢小屋で震えているだろうな。

    3日目

    5時半に起きる。気温はマイナス8度。寝ている間は寒さを感じなかった。パン、チーズ、コーヒー、マンゴーの朝食。7時出発。雲が早くから沸いている。8時10分、宮浦岳山頂。幸い永田岳はきれいに見える。のんびりと記念撮影を繰り返す。
    男3人組がやってきた。一人は「先生」と呼ばれていた。太めの人。超広角ズーム付きのニコンを持ってた。3キロくらいの重さ。いろいろ撮してもらったが、超広角はゆがみが出て、良い写真は無かった。自分で撮した物を少しトリミングした物が最上。
    8時35分出発、10時10分、投石岩屋。10時43分、黒味岳分岐。三人登っていたが、すでにガスがびっしり。登っても何も見えないと思うが、どうして登るんだろう。10時50分、花之江河。昼食とする。ガスの晴れ間を撮す。外人が一人来た。
    11時40分出発。イギリス人とは英語でしゃべる。どうした訳か、英語は自然に出てくる。ここは安全なルートだが、外れると危ないよ。何人も死んでいるというとびっくりしていた。帰りのバスの時刻も知っていたので安心した。
    ずっと気温は0度。13時50分、淀川登山口。トイレ、水あり。しかし、明日、雨になると鯛の川が渡れないので、先に進むことにした。14時出発。道は最初良かったが、だんだん、悪くなる。乃木(のんき)岳の分岐で休憩。15時36分。外人のカップルがあがってきた。口も効かない。ちょっと長いコースだし、小屋に着く頃には暗くなるから焦っていたのだろう。
    16時40分、鯛の川を渡る。水の勢いは強い。少しジャンプしないと越せない。渡った所で寝場所を探す。少し、斜めだが、木の根元が比較的よさそうなのでテント設営。道に流れてたまっていた水を浄水器で濾して4リッター確保。17時50分、飯炊き開始。昨日と同じ炒めご飯にする。これがうまい。

    4日目

    5時50分に起きる。天気予報では晴れのはずが雨。まあ、屋久島だから。7時40分、出発。8時20分に峠と思ったら、8時40分、もう一つ峠。ふたこぶになっていた。これでコースタイムの二倍。先が思いやられる。
    9時半、スリップしたので休憩。まだ標高は1000メータ弱。10時半、男一人、あがってきた。800メーター地点。倒木が多く、川の所で30分ほどテープを探したという。ここまで蛇の口ハイキングコースとの分岐点から2時間かかった、昭文社の地図のコース・タイムはめちゃくちゃという。そうなんだよね。歩いていない所は適当に書いてある。川はOK、渡った所にキャンプ適地があると教える。
    なるほど、倒木地帯で赤テープを見失う。しかし、GPSで道の方角は分かるので、そちらに少し移動すると、テープと道を発見。GPSがあると、やっぱり良いね。迷わないのでストレスがない。
    11時40分頃、ハイキングコースの吾妻屋に到着、コーヒーとパンで昼食。カップルが来た。蛇の口滝を見学してきて昼食という。コーヒーもなく昼飯なんて。コーヒーパックを与え、ガスセットを貸す。山のベテランに見えて喜んでくれた。
    こちらは蛇の口滝の写真撮影に出発。相変わらずひどい道。写真撮影して13時15分に吾妻屋。お礼なのか、たんかんが一つおいてあった。ありがたくいただく。13時20分過ぎ、下山開始。
    15時尾之間温泉に到着。相変わらず、無愛想なおじいさんがいる。しかし、湯の質は最高、値段は200円とこれも最高。ゆっくりとアカを落とす。15時45分にバスがあり、16時40分に海楽園のテント場に戻り、テント設営。東京のワンゲルがテントを二張り。テントは遠くに張り、寝る時は耳栓をした。夕食は500円のチキンフライ弁当を買ってきて、暖めて前菜とした。それから、餃子20個、ステーキ三枚、スープ、たんかん5個を食ってしまう。
    そういえばスーパーに前歯が欠けた(乳歯が抜けた)女の子がいて
    「おじさん、英語しゃべれる?」と話しかけてくる。
    「しゃべれるよ」
    「じゃあ、しゃべってみて」
    「外人にしかしゃべらないよ」
    「恥ずかしいんでしょう」
    カンの鋭い、面倒なガキだ。さっさと逃げたね。二十歳くらいのきれいな女の子なら、もう少し話しただろうが。いやはや、まいった。獲得済みの英語脳を読み取ったのかもしれない。恐るべし。

    エピローグ

    もちろん、下山届けは出していない。屋久島の警察からも連絡がない。つまり、クロスチェックはしていないよね。そんな面倒なこと、だれがやるかよ。

    The coastal backpacking in Atsumi peninsula


    一日目--新居町から二川の海岸へ

    浜名湖近くの新居町11時着。スーパーで買い物。鮭弁を買い、海岸の松林の中で食べる。なかなか旨かった。後で聞くと、新居町はじゃこの本場、豊橋の半値だという。買うべきだった。今度行った時には買おう。12時半に歩き始める。15時、道の駅潮見坂着。値段は高め。売り物にならない物だけは安い。パンはまずそうで高い。木に摘み残してあったしなびかけのみかん、花が咲いたアスパラの茎と、ひどい物が多い。しかし、我々はケチだからみかんとアスパラを買った。共に100 円。みかんは2キロはあった。水は5リッター頂いた。Carson 80で担ぐ。30キロ近いのに何ともない。荷物が背中に密着して重さを感じない。16時40分。二年前の場所まで行ってテント設営。天気は下り坂。ご飯を炊き、ウインナとアスパラの炒め物を食う。旨い。自宅から持参のきんぴら、ジャガイモと食料は相変わらず山盛り。

    二日目--二川から赤羽根の海岸まで

    5時過ぎに起きて、7時20分出発。天気は曇りで下り坂。10時半、トイレで水1リッター補給。小雨。14時半、砂浜から上がり、道を歩いていると、荒川友雪という人と会う。陶芸家で、海岸のゴミを集めて焼いていたとのこと。国宝の縄文土器があって、渥美半島のどこかで作られたらしいが、1500箇所も窒蹟があるので分からないと言う。国宝なので破壊検査は一切できない。それで、150箇所程度なら何とかなると、しらみつぶしに粘土を集めて焼いているという。焼き加減を国宝と比較するらしい。そのため、ほとんど家に帰らず、野宿生活に近いらしい。コーヒーを請求されたので、仕方なしにコーヒー休憩とする。芸術家は鋭いので、隠しても無駄だ。こちらも身分を明かす。30分ほど話した。我が奥様が焼き物が好きというと、飲んでいた湯飲みをくれた。雨が強くなってきたので、コーヒー・タイムは終了。本日の宿泊地、赤羽根の海岸へと向かった。駐車場とトイレの辺りは工事中。やはり前回の場所まで行き、テント設営。その後、コンビニまで出かけて、ウインナ、餃子、どら焼きなどを山盛り買い、テントで腹がはち切れるほど食べた。

    Okutama 2009



    一日目--鴨沢から奥多摩小屋まで

    寝台特急「北陸」で東京に出掛けた。なんと、3月で廃止という。なかなか立派な個室だった。残念。北陸本線はガタガタで寝られず、夜中くらいから寝たが、5時にはもう高崎だった。6時20分上野。山手線に乗り換えた。乗り換え時間が短く、トイレに行けない。奥多摩駅を出てトイレに駆け込んだ。バスは9時40分、のんびり待つ。鴨沢10時25分出発。11時40分、人家の跡でベーグルとコロッケの昼食。11時50分出発。13時30分、堂所。睡眠不足のため、ペースが上がらない。14時45分、七ツ石小屋。誰もいない。16時20分、奥多摩小屋。だれもいないと思ったら、まっくらな部屋から管理人が出てきた。暗くてノートも書けない。テント料二人800円。テントを設営後、水を汲みに降りる。ほとんど氷の階段になっていた。 暗くなるので急いで5リッターを確保。テントに戻ってから直接飲む水のみを浄水器にかけた。ウインナと乾燥野菜のオイスターソース煮。割にうまかった。テント内0度、たいして寒くない。

    二日目--奥多摩小屋から芋ノ木ドッケをへて水松(あららぎ)山まで

    6時20分に起きる。テント内はマイナス4度。少し頭痛がする。雪道になり、アイゼンを装着。9時50分、雲取避難小屋。コーヒーを入れてクッキーを食べる。気温5度。雲取山荘への下りは氷結していて、アイゼンがないと危ない。雲取山荘前でコーヒーを入れ、パンを食べ、昼食とした。水は見あたらないので、雪を溶かして、浄水器で濾した。警視庁の山岳警備隊3名と会う。写真をとってもらった。10時26分出発、12時、大ダワ。雪だらけ。13時20分、芋ノ木ドッケ。少し道を外して急勾配を上る。巻き道らしいものもあった。超えると雪。アイゼンが外せない。長沢背稜に入る。やせ尾根もあり。15時半、長沢山。奥様が疲れてきた。水松山へはまき道を通る。ほとんど雪山。奥様の携帯が見つからない。最後にみたのは雲取山荘。16時半、暗くなるので水松山の山頂付近にテント設営。スタッフザックで雪を大量に集めてくる。ゴミだらけ。いったん溶かしてから浄水器を通す。ガスの消費が多い。17時20分、飯炊き開始。メニューはビーフジャーキーと乾燥野菜のオイスターソース煮、お豆さん、ホットミルク。オイスターソースよりもチキンスープの方が良いようだ。

    三日目--水松山から酉谷避難小屋と一杯水避難小屋をへて東日原と奥多摩駅まで

    5時半に起きる。夜中、砂防工事なのか、重機の音が続いた。7時10分出発、少し吹雪いていたが、しばらくすると晴れてきた。9時25分、酉谷避難小屋。2時間以上かかった。昨日、中止して正解。小休止して水を補給。水2リッター持つ。12時40分、ハナド岩。富士山が頭を出している。13時10分、一杯水避難小屋。若者が宴会中。水場を見に行くが、枯れている。谷を降りるとあるそうだが、危ないので止めた。三時間ほどで獅子が口の水場があるが、奥様は疲れて3時間保たないという。やむをえず、一杯水から降りることにした。最初は良い道だが、やせた狭い道があった。急傾斜を斜めに切った道が続く。最後は急な下りで、足が疲れた。16時10分、東日原。ゴミを捨ててパッキングすると、バスが来た。17時前には奥多摩に着いた。交番に携帯電話の紛失届けを出す。すると、山岳救助隊の人たちがいた。金(こん)さんは有名人で、「山岳救助隊日誌」を出版していた。観光センターで買って、サインをしてもらう。実に立派な書だった。金さん、気を利かせて雲取山荘に直接電話してくれた。すると、携帯電話の落とし物があったという。管理人は来年しか下山しない。そこで、金さんが下山する人に託すように言ってくれた。結局、次の日の昼頃までには、交番に届けてくれることになった。もえぎの湯は営業終了、ほかの旅館も火を消したと、風呂はギブアップ。駅前の飯屋で夕食をたっぷり食べて、いつもの場所でテント設営。ゆっくりと寝た。

    四日目--多摩川リバーサイドホテルへ

    のんびり7時過ぎまで寝た。8時過ぎにテントを片付け、ぶらぶらと多摩川の下流へと遊歩道を散歩。たいした景色ではない。白丸以降は工事のため通行止めになっていた。危ないと困るので中止して、白丸駅へ。何にもないので、ついでに鳩ノ巣駅へいった。目の前に斎場があり、国民宿舎も潰れているような印象。なんにもない場所だ。10時44分のJRで奥多摩に戻り。三河屋で風呂に入った。女風呂が清掃中で、男風呂に二人入れてくれた。12時携帯に留守電が入っていた。交番に携帯が届いたという。取りに行くと、まさしく奥様の携帯。昼食は餃子屋がやっていなかったので駅前食堂。それから立川に行き、野菜やハムの買い物をして、17時頃、多摩川河川敷にテント設営。ウルちゃんたちを寝て待つ。7時半頃に到着。ウルちゃんが豚汁を仕切る。なかなか上手になった。数名の参加者あり。みんな適当に食べ物を持ち寄り、料理を始める。炭火で焼く焼き鳥が圧巻。ししゃも、餃子も焼くし、スイーツもある。こちらも卵チャーハンを作る。宴は11時半過ぎまで続いた。たまには河原で宴会も良いな。

    Mt. Sougatake 2009 10 31




    夫婦とも体調不良。こういう時は、軽い山歩きがベスト。それで、宇奈月に行き、タクシーに乗ろうとするが、人がいない。宇奈月交通に電話すると、黒部の祭りの関係で出払っていた。30分待たされる。結局、第二登山口に着いたのは11時くらい。まっすぐ登山道へ向かう。1043メーターの林道に出てからは林道を歩く。烏帽子尾根が13時40分。テントを張っても良かったが、奥様の心臓は大丈夫とのことで、登り始める。下山する人たちとすれ違う。登山者は合計十二、三人。頂上到着16時10分。相当の強風。テントを設営後、直下のたまり水から飲み水を7リッター作成。夕食はウィンナと乾燥野菜とご飯の炒め物、お豆さん、スープ、果物は柿二つ。18時半頃から寝るが、満月で明るく、強風でテントが揺さぶられ、寝苦しかった。
    次の日は4時頃に目が覚める。天気はしばらく保つが、完全な下り坂。6時過ぎに出発。片貝川へ下りたかったが、危険なので、宇奈月ルートをとる。ところが、宇奈月ルートは人が歩かず、荒れ果てつつあった。落ち葉が滑って歩きにくい。9時20分、1043メーターで道に出て、林道を歩き、11時頃、平和公園着。タクシーを呼ぶが、やはり出払っていて、宇奈月駅までというと嫌がられた。歩いて下りるつもりだったが、めずらしく観光客相手の無料バスがあった。11時56分、無料のバスで下山、さらに無料の足湯でくつろいで帰宅。

    Mt. Amakazari 2009





    天候が崩れる予報で、早朝に登山。頂上は強風、2度C。360度の素晴らしい眺望です。相変わらず、Tシャツと雨具の上、ショーツにスパッツだけでした。3年前に来た時と違って、老年登山者の集団が多い。100名山のバスツアーが3組ほど。登山口は人だらけ、車だらけの変わりようでした。ひどいことになっていました。
    登山の後は鎌池見学、高速道路が1000円になったのか、大きなカメラと三脚を持った人の群れ。おきまりの場所で写真を写し、登山道で小谷温泉に下りました。風呂に入って帰るかと山田温泉に頼むと、団体さんが入っているからと断られた。初めての体験。非常に印象が悪かった。パックツアーを引き受けてあぶく銭が儲かると、日帰り客などは入れたくないらしい。登山の人は無料の温泉に入る方がよい。

    San Francisco 08 29-30

    Curry Village to San Francisco 08/28

    Curry Village 08 22-27

    Lone Pine to Yosemite 08/21

    Lake Marjori to Lone Pine 08 /15-20

    VVR to Lake Marjori 08 09-14

    Tuolumne Meadow to Vermilion Valley Resort 08 01-8

    Yosemite to Tuolumne Meadow 07 28-31

    San Francisco to Yosemite 2009 07 25-27