2010年12月31日金曜日
Okutama, 4 days hiking
初日
東京はアプローチが単純、奥多摩は雪が少ないため、恒例になってしまった。9:45、古里駅出発、水を3リッター持ったため、総重量は30Kg程度。Carson 80は二人用の荷物を収納するには小さい。急な登りを経て、11:20 スマド山からの道と合流。風当たりの弱い所で昼食。オリジン弁当のおにぎりとチキンとサラダが旨い。日本の山登りだと実感した。12:00出発。赤杭山からは登りが緩くなる。顔色の失せた女性二人。細い山道に入り込み、林道に出たという。赤杭尾根と教えると安心していた。登山道は林道に出て、それから再び、林道を横切って急な坂を登る。標識通り。ところが、登山道は踏み跡が乏しく、細すぎる。急に高度を上げるが、GPSに表示の登山道からずれていく。おかしいので、引き返した。林道をたどると、GPSのルートと一致する。1キロ弱進むと、川苔山への標識あり。林道から離れて山を急に登る。今度は、踏み跡もしっかりしていて正しい。結局、さきほどの登山道はエビ小屋山への道だったらしい。先ほどの女性二人は川苔山からエビ小屋山まで行ってしまい、そのまま尾根道を下りたらしい。我が奥様も急な登り下りに消耗。川苔山の水場を目指す。山頂付近の道は複雑。登らずに少し下りて水場を確認。3:40テント設営。水は7リッターを確保。昭文社の地図によると、避難小屋があるはずだが見当たらない。夕食はニンジン飯を炊いてウインナと乾燥野菜との炒め物。家から持って行ったひじきと大豆の煮豆、白豆のパック、スープ。アジのみりん干し。野菜の種類は代わるが、毎日、ほぼ同じメニュー。夕方からぐんぐん気温が下がり、テント前室で、20:00に-5度、1:00に-9度、3:00 -9度、6:00-10度。
二日目
6:00に起き、パン、チーズ、マンゴー(水で戻して柔らかくしておいた)、コーヒーの朝食。8:30尾根道に出ると、避難小屋の残骸を発見。潰れて20年くらいは経っている。それなのに、昭文社の地図には掲載されている。これはあんまりだ。頂上をピストンして富士山を撮影。8:45出発。9:50 踊平で小休止。防火用水あり。凍っている。-5度。風もないし、ずっとショーツで歩いた。10:40日向沢の峰、11:20桂谷の峰。尾根道を通った。日当たり良く、パン、チーズ、コーヒーで昼食。12:00 出発、12:30蕎麦粒山、14:00一杯水の小屋、ココアを入れる。14:15出発。奥様が疲れてきて、ペースが上がらない。15:50 七跳山分岐、17:00酉谷避難小屋。ヘッドランプは使わずに済んだ。水8リッター確保。避難小屋は木造、丸太作り、窓はプラスチックで断熱性良好。非常に暖かかった。炊き込みご飯を作り、ウインナと炒めた。19:30 就寝。寝苦しく、Asahiのブランをデザートとして食べた。
三日目
6:00起きる。マンゴーは水で戻しておくと食べやすい。コーヒー、パン、チーズの朝食。室温は2度。8:05出発。9:40 タワ尾根の頭付近。9:55 ヘリポート。10:30 水松(あららぎ)山。11:20 長沢山手前で、コーヒー、パン、チーズ、プルーンの昼食。12:00出発、12:55桂谷の頭、岩場が凍り付いていて、途中からアイゼンを付ける。ヤケトノ頭も同様。奥様が消耗。14:50 芋ノ木ドッケ。雪が50センチあまり、テントを張るより、前進が良いと判断。奥様の荷物も持つ。15:50 大ダワ、16:20 雲取山荘着。キャンプ料は二人で600円。水はくれるというから、プラティパス6つを持って奥様がとりに行くと、「こんなに要るのか。もう朝はやらん。」と言われた。テント泊の人には相当に無愛想。山小屋泊まりの人(一万円から一万五千円の客)には非常に愛想がよい。ちなみにメニューは毎日ハンバーグ定食と後で聞いた。17:20飯炊き開始。メニューは同じ。19:00吹雪になる。気温はどんどん低下。夕方で前室で-10度。夜中は-13度。ダウンマットレスなので、問題無かった。
四日目
6:00に起きる。強風。パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。幸い、積雪は10センチ程度。吹雪は治まった。8:15出発。9:00 雲取山。避難小屋でココア。9:30 出発。よく知った尾根をたどることにした。11:30 七つ石小屋、年末で客が来るので営業していた。我々は中に入らず、木のベンチに腰掛けて、コーヒーとパンとチーズの昼食。12:10 出発。下りが長くて消耗したが、15:00鴨沢着。腰を痛めた高齢者と一緒になり、雲取山荘のことを知った。20名ばかりの登山者とすれ違ったが、かなりの人が避難小屋に泊まるという。バスは16:00。16:40 奥多摩駅着。年末で残念ながらもえぎの湯は休み。駅前食堂で、野菜炒め+ミックスフライ定食(どんぶり飯)で締め。奥多摩に来たことを実感した。そこそこ旨い飯屋。
装備のトラブル
最終日にダウンマットレスPump 7の中央部分の区切りが破裂。中央部が盛り上がった。パンクして空気が抜けた訳ではないが、実質的に使用不能になった。JMTを2回も耐えたので、寿命だろう。体重の重い人は注意。
昭文社の地図の情報はかなり古い。コースタイムも短めに記載されている。道の標識はよく分かる場所に設置されていて、わかりにくい場所には設置されていない。つまり、標識はあまり役に立たない。奥多摩の平成18年の遭難件数は35件、6名が死亡している(金邦夫「金副隊長の山岳救助隊日誌」角川学芸出版、2007年)。日本の山は非常に危険。GPS装備をお勧めする。
2010年12月12日日曜日
Noto Peninsula, the usual road training
前日
仕事を早めに切り上げて、バックパックを担いでJRに乗り金沢へ。列車が遅れ、出発間際の輪島行き高速バスに飛び乗る。乗客は他に三名。途中から乗り込んだので計六名くらい、完全に採算割れ。輪島着6時50分。旧輪島駅前のスーパー・サンポアは取り壊されて更地。しばらく来なかった。すっかり町が寂れていた。途中のスーパーは見つからないし、小さな店で餃子を追加して袖ヶ浜に向かう。手前の家は真っ暗。キャンプ場は無人、強風。初めてのテントなので設置に手こずる。途中、雨もひどくなる。テントは意外に風雨に強く、使い勝手がよい。食事が終わったのは8時。
初日
朝、6時半に起きる。バックパックはテント前室。パンを取ろうと手を伸ばすが見当たらない。びっくりして探す。狐につままれたみたい。エナジーバーとマンゴーとコーヒーで朝食。明るくなって外を見ると、パンが転がっていた。あちこち囓られていた。スタッフバッグも食いちぎられていた。どんな獣かわからない。8時、パッキング終了、少し引き返し、今日のおかずとパンを仕入れる。
小さな商店でおかずとパンを買う。おかずはまだ暖かかった。聞くと、このあたり、年寄りばかりになり、夜は灯りを付けないので真っ暗だそうだ。獣は、狸、狐、カラス、イノシシが出るとのこと。犬猫は当然なので何でもありの状態。人間はどんどん減って動物は増えつつある。JMTぼけかな。油断した。
ずっと舗装路歩き。鵜入では道路が拡張されていた。立ち退いた人はどこに行ったのだろう。ゾウゾウ鼻には展望台ができていた。12:00上大沢着。キャンプ場があったのに、施設が取り壊されていた。その代わり、立派な水洗トイレと自販機あり。パンと缶コーヒーで昼食とする。人がいない。みんな出払っているか、死にかけている。昔は海岸線と山の遊歩道が歩けたが、もはや崩れて歩けない。12:30出発、西二叉町からGPSを使って山道に入る。しばらくは大丈夫だったが、民家から離れると、急速に荒廃し、遂に密生した竹林に阻まれる。まだまだ距離があるので、藪こぎではたどり着けない。引き返すことにした。13:40男女滝、昔はここに小学校があったが、今は更地。延々と道路を歩き、16:20皆月青少年旅行村に到着。ロッジ皆月がキャンプ場の管理をしているのかと思ったら、別組織。キャンプ場は輪島市の所有。今は営業していない。ロッジも無人、つぶれたかもしれない。テントは一番の海寄りに設置。強風。ガイラインの変更が効いて、強風でもぶれない。立派な水洗トイレはあり、水を4リッター確保。夕食はお総菜だが、野菜が足りないので、にんじんご飯を作った。
二日目
6時前に起きる。パン(獣の食い残し)、マンゴー、チーズ、コーヒーの朝食。7:00パッキング終了、出発。強風で、海が泡だって白い。8:30吉浦、雨が少し降る。猿山の登り口の住宅も無人の印象。猿山への道路にも落ち葉が積み重なり、荒れている。昔歩いた山道は見当たらない。茂みに覆われてしまった。9:10姨捨峠。少し休憩。トイレは開いているが水が出ない。風がひどくなり、ゴーゴーと音をたてている。やっと地道に入り9:25猿山灯台、強風。道は荒れているが、一応はちゃんと管理されている。10:40深見へ下りる。一時、烈風状態となり、歩行困難なレベル。鹿磯からは雨混じり。海からの烈風で砂が飛んできて痛い。新道道下のバス停に向かう。バス停には立派な待合所ができていた。中に入ると、猛烈な風雨になる。現在11:30、バスは13:25の金沢行きしかない。富来までバスで行ってしばらく歩こうかと思ったが、海岸線を歩けるような天気ではない。家に帰ることにして、まず、湯を沸かしてココア、それからコーヒー。JMTパンの残りを囓る。そうこうしている間に一時間が経過。後、一時間待つのは簡単。結局、バスに乗って金沢へ瞬間移動。一応はよく歩いたし、今回はこれで終了。
今回の器財
Vaude Power Lizard UL このテントをテストしてみたかった。風雨に強く、居住性が良かった。トータルとして良いテントだ。詳しくはサイトを見てほしい。
JanSport Carson 80 久しぶりのフレームパックだが、腰のベルトをフレームと直結したので、腰にぴったりとフィットする。容量の割に荷物が詰め込めないのが欠点なので、思い切って1コンパートメント方式に変更した。
Asolo Sasslong Backpacking Boots 足形で拡張したので、古いソルボ・スーパーライトを入れて歩いた。900gと軽いので、スタスタと軽快に歩けた。ただ、舗装路歩きが続いたので、最後に少し足裏が痛くなった。自宅に帰り、新品のソルボ・ウォーキングに変更した。これでJMTでも行けそうだ。
Vaude Power Lizard UL
Vaude Power Lizard UL のテスト完了。1Kgの超軽量テントだが、風雨に強い。ガイラインを少し工夫すれば、さらに風に強くなるし、設置の柔軟性が増す。また、前後のポールをセットしたまま収納すれば、組み立て時間が短縮できる。
2010年11月28日日曜日
2010年11月21日日曜日
Mt. Amakazari, Lazy Mountaineering
仕事を少しすると、目に見えて体調が悪化する。やはりどこか出かけてリセットする必要がある。妙高のライブカメラを毎日見ていた。雪はたいした事なさそうだ。晴天の続く日を待つ必要がある。チャンスが訪れたので決行。
1日目
バックパックの総重量は水1リッター込みで19Kg。三日分の食料。朝早く起きてJRで中土まで行く。特急に乗ると繋ぎがよい。中土9:11着。バスで雨飾高原着が10:20頃。ゆっくりと歩き始める。遠くの山は白い。11時45分、駐車場の奥、雨飾山登り口11:45昼食。誰一人いない。12:15出発。荒管沢手前に14:00着。テント設営。水平な場所があまりないので、ここがベストの寝場所。沢まで降りて水を汲んでくる。荒管沢は雪が40センチ程度。コーヒーを飲み、SOY JOYではなく、SOY Choiceを食べる。だまされたが、意外に旨い。佐藤稔「残された山靴」を読む。昔、「山と渓谷」で読んだ。無駄のない上手な文章を書く。16:30、薄暗くなり、気温は-3度。飯炊き開始。メニューはニンジンご飯(乾燥ニンジンと少量のチキンスープを入れて炊くだけ)、王将の餃子24個、無添加ウィンナ6本、お豆さんのパック、野菜スープ。食べまくった。頭痛がしていたし、さっさと寝る。夜中から明け方の気温は、テント前室で-5度。寒くない。ダウンジャケットは脱いで下着だけで寝た。
2日目
4時過ぎに目は覚めたが、まだまだ寝たかったので、目をつぶり、やっと6時に起きる。およそ12時間寝た。7:15、行けるところまで行こうかと、歩き始める。当初は縦走の予定だったが、体調が悪いし、雪があるので止めた。9:00笹平着。1940メーター地点。雪は20-30センチ。ところが頂上直下の雪が1メーターほど。太ももまで来る。少し進むが、登るのを止めにした。まだ、朝だし、頑張れば登れるのだが、こんなところが登山家の資質なしの部分。のんびり休憩して記念撮影。気温0度。奥様に電話したら帰宅とのこと。二、三日ぶらぶらするつもりだったが、目的は達成したし(体調がよくなったし)、さっとと下りて帰ることにした。
降り際に山好きそうな高齢者と会う。少し立ち話。お勧めはしなかったが、この人は頑張って登ったと思う。山好きの人は違うから。11:20テントに戻り、昼食。出会った老夫婦も傍で昼食。テントを畳み、12:00下山開始、13:06駐車場、13:45雨飾高原バス停。バスは14:00。運ちゃんが寝ていたのか、少し遅れて出発、のろのろ運転。中土に着いた時、見事に糸魚川行きに乗り損ねた。次の列車まで2時間弱。困って通りがかりの人に聞くと、15分ほど歩けば風呂があるとのこと。国道との合流点に「サンテインおたり」あり、500円。なかなか良い風呂だった。満足して写真を撮しなが帰る。もちろん、自宅でも素晴らしいごちそうにありつけた。
就寝時equipments
ダウンマットレス Exped Downmat 7 Pump
シュラフ Marmot Helium EQ
服装 使い古しの極薄下着。
ウールのアイスブレーカーTシャツ + Northface Tech underwear T-shirt + Northface Tech underwear long sleeve shirt
ブリーフ Exofficio + Northface Tech underwear tights
室内着として、Low Alpineのライトウェイトダウンジャケットを持って行ったが、寝る時には不要だった。ダウンマットレスとシュラフが優秀だった。
少し暖かくするには、マットレスの下に2ミリ程度の銀マットを敷くと良いだろう。最近は敷いたことがないが。
2010年10月31日日曜日
2010年10月29日金曜日
2010年10月24日日曜日
Heavy Duty REI XT 85
Heavy Duty REI XT 85を製作した。すべての荷重が腰にかかる。25Kg以上の荷物、一週間のバックパッキングはOK。
https://sites.google.com/site/completewalker/equipments/backpack/rei-xt85
https://sites.google.com/site/completewalker/equipments/backpack/rei-xt85
2010年10月18日月曜日
Mt. Sougatake, testing XT85, Karakorum Boot, and HD Ki
学会で真面目に仕事をしたのが悪かったのか、ともかく、食べ物が悪く、浮腫んでしまい、体調を崩した。我が奥様も仕事のしすぎで限界だった。機材のテストも兼ねて、何時ものトレーニング・コースを歩いた。結論を先に書いておく。
REI XT85
生野菜を担いだので、総荷重は23Kg。意外に腰で持てた。尾てい骨側のパッドが厚く、腰にねじれの力が懸かりにくいからだろう。ただ、パックパックは揺れやすい。三日目にはやはり腰の筋肉が疲労した。アルミ・ジョイントで補強した方が良いという結論である。工作は比較的簡単。なお、20Kg以下なら補強は不要だろう。REI恐るべし。アウトドア百貨店と馬鹿にできない。
Sportiva Karakorum Mountain Boot
重量はシリオと同程度。ちょっと見かけは悪い。しかし、歩き心地はよく、重さを感じない。インソールはDSISソルボの上に付属のインソールと二重にした。クッションは丁度よく。林道歩きでもマメはできない。REIのユーザーレビューの通り、濡れには弱く、ソックスの足先が少し濡れた。しかし、革は良いので、スノーシールをヘアドライヤーで暖めて塗り込めば大丈夫だろう。
Heavy Duty Ki
総荷重8Kgで歩いてもらった。これではダメという結論。Granite Gearの基本設計にかなり問題がある。人間工学的配慮がない。ショルダーベルトの傾きが肩と平行にならず、ベルトの内側だけが身体に当たり、痛みを訴えた。ショルダーベルトの付け根とバックパック本体は分離していて、荷物を上手く引きつけられない。改造はフレームを上まで伸ばし、ショルダーベルトの付け根の縫い直しをしないといけない。修正には時間がかかる。
初日 魚津からバスで東蔵11:40着。仕事疲れがひどいので、のんびり歩く。キャンプ場から10分程度のところで昼食。炊き込みご飯のおにぎり、パン、チーズと、おいしさ重視。13:00出発、15:30に何時ものキャンプ地に到着。水6リッター確保。コーヒータイム。夕食は生野菜を使った中華の炒め煮、その他。写真参照。6:30に寝た。
二日目 5:30に起きた。あまり天気は良くない。7:30出発。9:50 1320m地点で休憩。10:20出発、11:30 成谷山、1600m地点。12:55僧ヶ岳着。10人くらいの登山者でごった返していた。昼食とコーヒー。ガスが濃く、景色は見えない。13:40出発、16:10烏帽子尾根の林道着、テント設営。水6リッターを確保。天気は回復して富山平野の夜景がきれい。夕食はたっぷりの炒めご飯。
三日目 7:45出発。烏帽子尾根をたどる。8:40烏帽子山。道が濡れていて、滑りやすい。11時前、森林公園に出て軽く昼食。林道歩きを2時間ほどして、15時頃、折立口着。地鉄とJRを乗り継いで、自宅は16時過ぎ着。
2010年10月2日土曜日
2010年9月19日日曜日
Lone Pine to Los Angeles and San Fransico
8/20 急に高度が下がったので寝苦しい。朝はパンとチーズ、10:20 Lancaster 行きのバスを確認、町の写真を撮り、散歩。昼、宿の近くのMerry Go Roundという店を見たら、Buffetとある。入ってみる。日本にあるような中華料理。野菜をたくさん食べる。チップを入れても13ドル。昼寝をする。昼食をとると、夕食は食べたくない。Storeに行き、厚さ3センチばかりのサーロイン・ステーキとサラダ用の野菜一袋、パン、チーズ、グレープフルーツ、コーヒーを買う。コーヒーが意外に高い。それでも20ドルかからない。
8/21 10過ぎまでごろごろして、町の散歩に出かける。北上するがすぐに町がなくなる。幅300メーター、長さ500メーターの映画のセットのような町。観光客やハイカーが金を落とさないと町はすぐに倒産するだろう。Subwayがあったので、軽く昼食をと考えて入った。適当に注文して受け取ったのは巨大なサンドイッチ。サンプル写真では大きさが分からない。フットロングサイズが標準らしい。食べるのに30分以上かかった。アメリカ人夫婦が話しかけてくる。俺たちは食い過ぎるんだよと、自覚はあるようだ。宿に戻り休憩。夕方、土産物店を見るが、宝石や石や化石を売っていて買えそうにない。夕食もレストランに入りたくないので、Store で肉と野菜と果物を買って来てステーキ定食にした。
8/22 疲労からは完全回復。10時過ぎに宿を出て、南へ歩く。飛行場はあったが、4人乗りセスナが一機止まっていただけ。Comfort Innまで歩く。4Kmほどか。近くのstore を見学。写真を撮しながら引き返す。昼食は簡単なパンで済ます。今年は体重が減っていないし、疲れてもいないので、食欲がない。夕食はMerry Go Roundに入ってみた。Buffetではなく、一品料理を注文しないといけない。中華料理だが、メニューの意味が分からない。Riceの所にbeefとあったから注文したら、牛肉入りのチャーハンだった。仕方ないから揚げ麺でも追加するかと注文すると、受け取ったのは、普通の麺で野菜は期待したほど多くなかった。夕食の注文は失敗。一人で中華料理店に入るのは無理と分かった。
8/23 ゴミ収集車が来たので撮影。ゴミ箱ごと機械で持ち上げて中身を荷台にぶちまけるだけ。9:30宿を出る。バスは10:10発。少し遅れて13:00 Lancaster 着。運賃は20ドル50セント。駅員がいない。切符は自販機らしい。ところが買い方がまったく分からない。時間は10分少々しかなく焦る。そばにいた黒人に買ってもらった。アメリカの自販機は原始的で、訳が分からない。とりあえず、Metro Linkに乗り込む。黒人率90%だろうか。まともな所得の人は車で移動するようだ。15:30 Los Angeles Union Station着。さてと、とんでもない所に来てしまった。日本のように改札もなく、切符のチェックもない。駅内で二人の人に聞くが、バス(silverline)の乗り場が分からない。それぞれ全然違う方向を教えてくれる。駅から出て、ガードマン風の人に聞き、100メーターばかり離れた十字路に移動。バスは北向きと南向きがあり、間違えると大変。Artesia Transit Center行きに乗る。やはり黒人率90%。賢そうな男性に聞く。自分もArtesiaまで行くという。高速道路に入り、40分ほどでArtesiaに着いた。先ほどの男性はバスに積んだ自転車を下ろし、走り去った。次の難関はLimited Line 344に乗ること。さて、バスが来て乗れたが、Torranceというバス停がない。どこで下りるのか分からない。運転手は黒人の女性。聞いてもつっけんどん。まったくだめ。ホテルの位置からCarson Stだろうと判断し、下りる時に運賃を払おうとした。運転者はなんだこれという。しばらく押し問答。俺は運賃を払っていないというとやっと分かったようだ。perfectと言ってくれた。運賃を払わない人も多い。一応、Torranceの立派なホテルに17:30にチェックイン。受付の女性は日本で働いたことがあるという。TourのConfirmationをやってくれた。いろいろ話をした。大滝さんに連絡して、シャワーを浴びた。大滝さんは、バスは危険、後部座席に座るとナイフを突きつけられて強盗に遭う、言ってくれれば迎えに行ったのに、などと今頃いう。(コメントにあるように、大滝さんはメールを入れてくれたようだが、見逃したらしい。この時、活躍していたNOKIAは料金切れで通話不能。ただし、無線Lanを見つけるとGmail やネットができるのでその後も重宝した。)ホテルのそばには巨大スーパーマーケットがあり、日本語も通じる。夕食は大滝さんと一緒にした。アメリカで一番疲れた日だった。
8/24 朝食はパンとヨーグルトとバナナ。大滝さんは仕事、会おうと言っていたDatも都合が悪い。朝、大滝さんがRedondo Beachまで送ってくれた。そこから海岸を一人で散歩することにした。8時すぎから歩き始め、昼頃。Manhattan Beachに着く。キン肉マンたちがジョッキングしている。アメリカ人はビーチバレーが大好きなようだ。あちこちにコートがある。Manhattan Beachで内陸に入る。Subwayがあったので、ハーフサイズのサンドイッチを注文する。途中でバスに乗ることも可能だったが、暇だからホテルまで歩く。帰宅は16:00。GPSでホテルの位置をチェックして置いた。夕食はサーロインステーキとサラダをホテルで料理した。パンと果物とスープを追加すれば十分。
8/25 午前11時までなら空いているとDatにメールするが、彼は来ない。大滝さんによると、東洋系のアメリカ人は時間にだらしないようだ。日本人は例外。午後の仕事を空けてくれたので一緒にロスの登山用品店に出かける。OsprayのVariant 52は身体に吸い付くようなフット感。199ドル。ほしかったけど買わなかった。GregoryのWhitney 95は359ドル。25キロ入れて持ったが、なかなかよい。しかし、REIのユーザのコメントでは、ベルトのプラスチック部品が壊れるし、壊れると修理できないという。それで購入は見合わせた。良い靴はあったが、サイズがない。今度はREIに移動。REIのXT85に25Kgの重りを入れて背負う。インナーフレームとアウターフレームの良いとこ取り。腰で持てたので、購入。実は、ホテルで暇な時にNOKIAでしっかり調べていた。夕方は大滝さんの友達と会い、一緒に焼き肉。明日はツアーに参加してサンフランシスコに戻る。
8/26 5時に起きる。パン、ヨーグルト、バナナ、グレープフルーツの朝食。7:00に大滝さんが来る。7:30 Artesia着。Silverlineに乗る。パンフレットを読み、正確な経路が理解できた。Union Stationという停留所の名前はないが、下りる場所は分かっている。8:30 Union Station でeticketを受け取る。早く着きすぎたのでコーヒー。無銭旅行の若者が近づく。少し話しはするが、金目当て。バス代をせびり出したので、俺はそんな話は好みでないよと優しく言った。若者は瞬く間に姿を消した。駅の中庭で一人過ごす。9:45に乗車の案内。乗り込む。席は通路側。かわいい男の子と同席、高校生。行き先は同じでSalinas。隣の席のおじさん(建築関係者)からベーグルをもらう。景色は単調なので、皆さん寝ている。海岸線は北海道に似ている。つまり、砂丘と原野。写真は撮していない。18:40 Salinas 着。小さなバスが待っていた。他の乗客は3名。Los Angelesからのツアー客は俺一人と判明。運転手は100Kg以上はある黒人の女性、親切でホテルまで送るという。ただ、Monterey の町を解説付きで一回りしてくれた。親切にされると疲れる。ホテル着は19時過ぎ。レストランは20時までという。入るとBuffetだったので、野菜をたくさん食べる。何か、他にオーダーできたと思うが、Buffetで十分満腹になった。
8/27 6:30に起きて、パンとチーズで朝食。散歩に出かける。近所の巨大スーパーマーケットが一番興味深い。食べ物は買えないので、爪切りを買う。12:45ツアーのバスが来る。15分の遅れ。30分遅れもザラらしい。再び、解説付きでMontereyを一回り。2時間の自由時間。タダでlunchが食えると思って券をもってFish Hopperに入る。話が通じない。意味不明で10分くらい過ごし、やっとlunchを注文した人に無料で一品出すということが分かった。やむをえず覚悟を決めて軽いサラダを注文。出てきたのがサラダと思ったが、これが無料のサービス品。次にサラダが出てきた。旨かったし、十分。アイスクリームやケーキは断る。コーヒーのみ注文。しかし、ケーキには未練があったので、隣の席のケーキをこっそり撮す。結局、無料の券にだまされて25ドルくらい使ってしまった。しかもお腹一杯。夕食が食えない。バスはその後、海岸線を走り、17-Mile Driveに入る。窓越しなので写真はうまく撮れない。大金持ちのマンションとゴルフコースばかり。あまり興味が持てなかった。かなりぐるぐる回ってからCarmelで一時間停車。きれいな町だが、太るから食べられないし、土産物や装飾品にも興味がない。その後もバスの運転手は観光案内しながら、あちこちで停車。結局、サンフランシスコ到着は21時すぎ。予定では20時までとあったのに、時間なんか守らない。Bartの乗り場でおろしてもらい、Oakland まで行く。ホテルチェックインは22時過ぎになった。ツアーも疲れる。向いていない。やっぱり山の中が一番。
2010年9月18日土曜日
VVR to Lone Pine
8/9 6:00に起き、テントを片付け、パッキング。朝食はMountaineer Special。VVR最後の食事。8時過ぎ、ハイカーズ・バレルを覗くと、ツナサラダの缶詰が二つあったので頂く。フェリーは9:00発。9:30 歩行開始。10:30 モノクリークの分かれ道。Cliff barを食べる。甘いピーナツ味。じっくりと登る。最後尾だったが、登りが終わる頃、フレームパックの夫婦を追い抜く。14:10 Bear Ridge Trailとの分岐。小川を越え、広い岩の上でパンを食べる。真空パックで湯煎したので、味は劣化していない。15:25出発。16:20 Bear Creek Trailとの分岐。時間がかかる。昨年のキャンプ地を通過。17:30 Italy passとの分岐点の川沿いに良いテント場があったのでテント設営。夕食メニューは牛肉と大根葉とBrown Riceの炒め物にツナサラダ。ドイツのミックスナッツも旨かった。
8/10 5:00 に起きる。パン、コーヒー、ナッツ、Fiber One, Oats & Chocolate。荷物が多いのでバックパックを1コンパートに変更。7:30 出発。 8:16 Seven Gables Lake との分岐。9:20 Kevin 他3名と会う。寒いのでたき火をしていた。ポテトはsaltyと言っていた。9:35 Rose Lake への分岐。10:50 Marie Lake。パノラマ撮影をして休憩。Oats and Honey を食べる。食べやすい。11:15出発、水を1リッターにする。12:00 Selden Pass 寝ている人を撮影。人物を撮影するには許可がいるが、風景の撮影には許可がいらんしねという。13:15 二つ目のSally Keys Lakes。パンを食べてしっかり休憩。出発しようとすると、きれいな女性。名前はエイダ。アルゼンチン出身。仕事を辞めたので、時間がある。今日はここで寝て、明日はHeart Lakeで昼食、Marie Lakeでキャンプと、うらやましいことをいう。日本にも行ってお茶を勉強したいという。Kevinが通りかかる。どうせ会うしと、先に行ってもらう。エイダと話し続ける。結局、14:30出発。足の裏が痛く、スイッチバックの下りが長い。17:00やっとMuir Trail Ranchとの分岐。18:30小屋跡を通過。水がないし、川に下りるのも先に進むのも同じなので、昨年のキャンプ地を目指す。19:00橋を渡り、昨年の場所へ。今年は人が少ない。遠くに3張り。マッシュド・ポテトは塩辛いと聞いたので大量の水を入れ、上澄みを捨てたが、実はそんなことはなかった。にんじんとビーフジャーキーのご飯。
8/11 5:30に起きる。足は痛いが8分通りは回復。パン、コーヒー、マンゴー、Quaker Chewyを試食。薄いチョコ味で柔らかい。テントで寝ると体力の回復が大きい。ビビィは体力の消耗があるようだ。7:20出発、8:00Aspen Meadow 9:30 中国系アメリカ人6名のグループと会う。日本人夫婦が歩いていると知っていた。9:45Evolution Valley への分岐。中国人は歩くのは速いが休憩するので、結局、先に行く。11:00 徒渉。昨年より水かさがある。靴のまま入って靴下の洗濯。11:40 岩の上で昼食。Cliff Barは少し甘すぎる。中国人は先に行く。12:10出発、13:20 Colby Meadow。Evolution Lakeへのスイッチバックが始まる。中国人グループは下でテント泊。疲れたらしい。少し登ると、こちらも元気がない。ビーフジャーキー、Trail Mixを食べる。15:15出発。17:00Evolution Lake テント設営。誰もいない。夕食はLasagna with meat source 2 packs。一袋で足りるわけないだろ。パスタのミートソースらしい。野菜不足はいけないので、大根葉とビーフジャーキーのスープ。さらに、グラノーラとミルクも追加。
8/12 5:00に起きる。パン、コーヒー、マンゴーの朝食。夜は暖かいと思っていたが、テントは凍っていた。湿度が高いため。7:10出発、8:20 Sapphire Lake 10:10 Wanda Lake で小休止。パルスオキシメーターは91/76と問題なし。標高は3500メーター程度なんだが。Organic Barなど食べる。フルーツ味で良好。10:35出発。Steveと会う。同じカメラだという。ユーゴでも同じ体験をしたという。12:00 Muir Pass 無人、昼食とする。若者が一人登ってくる。13:00 出発。13:35 Helen Lake 15:30 川を渡った所で小休止。カエルの撮影。16:30 歳を取ったハイカーと会う。ファミリーネームとかVVRを出発した日を聞いてくる。変なヤツだ。しばらく話していると、おれがReinholdだという。まさか会うとは思わなかった。メールでコーヒーを一緒に飲もうといったので、バックパックをひっくり返し、湯を沸かしコーヒーを二人で飲む。JMTを5日間で歩いた記録の持ち主。彼はUS Navy にいて、イギリスのRoyal Navyのヤツが威張るから対抗してやったようだ。大きなスポーツ心臓の持ち主。もうすぐ70歳になるというが、非常に若々しい。30分くらい話をして記念撮影をする。ソックスをバックパックに干しながら歩いている点は同じ。また、同じナイフを持っていた。Reinholdは11回目のJMT。ヨセミテまで行って、また戻ってくるという。食料が不足気味のようなので、少し寄付する。話をしすぎて予定していたBig Pete Meadowにはいけなかったが、途中によい場所があったのでテント設営。チリビーンを食べる。割にいけるが味が強烈すぎる。登山には向いていない。
8/13 5:40に起きる。人も熊も来ない。パン、コーヒー、マンゴーの朝食。7:40出発。8:30 Little Pete Meadow 9:00 Le Conte Ranger Station 今年は誰もいない。鹿が食べ物をあさっていた。良くない傾向。10:00滝を過ぎた所で休憩。10:40 Grouse Meadow 11:10 Simpson Meadowとの分岐。12:10キャンプサイトで昼食。12:50出発。 14:30 Deer Meadow を超える。15:20 林を抜けて登り。これから標高差500メーターのスイッチバック。ラベンダーのような強い香り。16:00 バテたのでビーフジャーキーを食べる。ウルトラライトの二人が先に行く。スイッチバックが長い。やっと18:30Palisade Lakesに到着。二人はテントを張っていたので、先に進んで良い場所にテント設営。今晩のテントは二組のみ。
何時もの夕食にマッシュド・ポテトを追加。ちょっと臭いが鼻につくが、まあ旨い方。
8/14 5:40に起きる。くたくたでふくらはぎが痛い。クッションが足りない。パン、コーヒー、マンゴーの朝食。Clif Bloks も食べる。ゼリー。Tシャツを洗濯。7:40出発。 パックフレームの若者グループが追い越し、先に下りる、10:50 Mother Pass 一人で休憩。11:30 出発。Upper Basin 前方の空気が濁り、雲が少しある。風も強め。天気が悪くなるかもしれない。14:50徒渉地点。先行のバックパック若者3名に追いついてしまった。ソックス交換、15:00 出発。若者たちはTaboose Passへ行くという。すでに分岐は過ぎている。GPSと地図で確認。若者のリーダーらしき人が先行して道を探していた。このスイッチバックを登ると、もう一つ分岐があるので、そこからTaboose Passに行けばよいと教える。三名は疲れ気味。どうするのか不明。15:40 JMT3回目のウルトラライトの人に会う。今年はウルトラライトの人は少なめ。16:15 Ranger station の近く。16:50 Lake Marjorieの一つ下の池にテント設営。今年は無人。一人きりで気持ちがよい。メニューはニンジンとビーフジャーキーのクスクス、マッシュド・ポテト、スープ、ミルクとグラノーラ。
8/15 6時頃起きる。変な夢をたくさん見て寒く感じた。パン、コーヒー、マンゴーの朝食。7:30 出発。標高は3500メーターくらい。気分は良くない。9:20 Pinchot Pass 腕時計では3660メーター。小休止、パノラマを取る。11:20 昨年キャンプをしたTwin Lakeの場所、アキラ君は良い場所を見逃していたようだ。良いテント場もあった。そこで休憩してパンとココア。12:00出発、風が強い。足の裏が痛くて疲れた。14:35 やっとCedar Groveとの分岐を過ぎ吊り橋を渡る。小休止。ドライのマンゴーとTrail Mixを食べる。15:00 出発、最初の小川。水を1リッターにする。5二つ目の小川でハイカー二人と会う。片方は女性。疲れた様子。吊り橋のテント場まで行かなくても、次の小川までいけば、テントは張れるよと教える。感謝してくれた。川のそばにもテントは張れるが蚊が多いので、10分くらい歩いて、5:30 テント設営。川のそばの丘の上。普通ならテントは張らない場所。無人。Dollar Lake まで行くと人がいるので行かなくて正解。夕食はビーフジャーキーと乾燥野菜と高野豆腐のクスクス、チリビーンズ、オニオンスープ。もちろん、グラノーラとミルクもあり。
8/16 誰もいないので気持ちよく寝た。5:30 に起きる。パン、コーヒー、マンゴーの朝食。ガスはあるので暖めて食べている。7:35出発、8:20 Dollar Lake, VVRで会ったウルトラライトの人に追い越される。トータルでは歩行距離はあまり変わらない。9:30 Rae Lakes 10:15前回のキャンプ地のそばで休憩。Painted Lady に少し雪が付いている。Fiber Oneも食べやすい。10:35出発、ニジマスがうようよいる。11:50 Painted Lady に登った分岐。少し行くと、子供連れのアメリカ人がへたっている。肺の酸素濃度を高める呼吸法とゆっくり歩くことの重要性を教える。急な登りの下でパックトレインが荷崩れを直している。アメリカ人ハイカーは馬が怖いので、遠巻きにして待っている。こちらは馬のすぐそばをすり抜け、ノンストップで歩く。12:45 Glen Pass 。パノラマ写真を撮る。これは失敗していた。13:30 出発、途中、中高年のハイカーグループと一緒になる。こちらは休憩しないで先に進む。その後、会わなかった。15:00 オニオンバレーへの分岐。16:00Forester Passへの分岐。17:15昨年と同じキャンプ地に着く。4人のグループが休憩中。少し話しをして離れた小高い丘にテント設営。彼らはもう少し進んだ。それで一人のキャンプ。メニューはビーフジャーキーと乾燥野菜のクスクス、マッシュドポテト、オニオンスープ、グラノーラとミルク。ショートパンツが落ちていた。REIオリジナルのM。比較的きれい。ありがたく頂くことにした。
8/17 5:30 に起きる。パン、コーヒー、マンゴーの朝食。7:30 出発、9:00 小川を渡る。Center Basinとの分岐。10:15 昨年、Joshiと会った所、標高3400メーターくらい。テントを張っていたグループがいた。休憩。Bobby とRobに会う。この先でErickと会う予定。30分くらい歩くと、遠くから手をふるハイカーがいる。Ericと確信。Ericはアメリカ人だが、東京在住。ニュージーランドを南北に歩いた。日本も南から北まで歩きたいという。結局、一時間ほど話す。ついでに昼食もとる。カメラを持っていないというので、撮す。彼は白人で日光が苦手、数年間、北向きに歩いている。12:30 分かれて出発、14:05 Forester Pass 下りるとハイカーの集団が休憩中、前後して歩く。 17:05 Tyndall Creekに到達。前回、キャンプした所だが、今年は混んでいた。少し先を歩いていた若者二人も通過。少し経って、よいキャンプ地はないかと聞かれる。そこで地図とGPSで、いくつかの候補を教える。Tawny Pointへのスイッチパックを登り切った所に池があり、そこが第一候補と教える。ドンピシャの所、キャンパーもいたが、広いので遠く離れた場所にテント設営。18:00 鹿もいたが写し損ねた。少し雲が沸いた。 メニューはビーフジャーキーと乾燥野菜と高野豆腐のクスクス、マッシュドポテト、オニオンスープ、グラノーラとミルク。
8/18 5時過ぎに起きる。パン、コーヒー、マンゴー、グラノーラの朝食。7:10 出発。バックパックを置いて小さなサミットパックで登る。8:45 Tawny Pointの頂上。写真撮影。9:25 バックパックのデポ地点に戻る。ほとんどの人は登らずに通過する。良い場所だが、体力のぎりぎりの人が多いため。9:35出発、今年は雪解けが遅かったのか緑がきれい。三人のハイカーの一人、女の人に写真を頼む。「男どもは何時も速く歩く。放っておけば良いのよ」と言って何枚も撮ってくれる。11時過ぎ、Wallace Creekで昼食とする。ここが大きな川の最後。ココアを飲み、パンを食べる。三人のハイカーも追いつく。再び、彼女が写真を撮ろうというので撮ってもらう。彼女の写真も撮る。名前はメールアドレスからはAnneninaだろう。6名が休憩。パンも余っていたし、半切れずつあげる。一応は旨いと言ってくれた。その後でVVRで会ったKevinが通りかかる。「おまえ、遅いぜ」というと「おまえが速い」と言われる。彼は先を急ぐ。11:50 出発、12:50 緩いPassを超える。13:20 前回休憩した所、Sandy Meadow 13:50 Mt.Whitneyとの分岐。休憩の時一緒だったおじさんと前後して歩く。ニュージーランド人。パイプの折りたたみイスをバックパックにくくりつけている。15:20 Timberline Lake しっかり写真撮影。16:10 Guitar Lake を通過。昨年より少し上に行きたかった。一つ上でKevinと会う。きれいな女性しか撮さないが、おまえは例外だよと写真を写す。長い間話す。26歳のエンジニア、今は学生をやっている。ミシガン在住だが、小さい時にカリフォルニアに住んでいたという。
8/19 最終日、2:30に誰かが通る。Kevinも起きたようだ。光が見える。少し寝て、3時過ぎに朝食、4:15出発。かなり長く感じる。6時頃に明るくなる。6:30 Mt.Whitney との分岐。バックパックをデポする。寒いので、雨具は上下来たが、長袖下着は着なかった。これは失敗。途中でKevin、Annenina とすれ違う。8:00 Mt.Whitney の頂上。風が強く予想以上に寒い。パノラマ撮影を試みるが、うまくいかない。高所順応は完璧で、まったく空気の薄さを感じない。岩陰で休憩し、8:10下山開始。9:45デポ地点に戻る。巨大バックパックを担ぐと、アメリカ人が驚く。Trail Crestで写真を撮ってもらう。11:30 Wotans Throneの下でココアとパンとビーフジャーキーの昼食。12:10 出発、13:30 Bighorn Park、15:30 Whitney Portal Store 到着。Kevinがいた。Bobby とRobもいる。2回目のJMTおめでとうと言ってくれる。Storeに行き、宿の予約をする。ハンバーグは重すぎるので、ジュースを飲んだだけ。交通手段がないので、ヒッチハイク。交通量が少ない。少し道を下り、良さそうな地点で手をあげる。10分くらいで成功。MikeとDann バンの後ろに乗せてくれた。Mt.Whitneyに登っての帰りだそうだ。16:30 Whitney Portal Hostel 着。ピザに誘われ、行きたかったが、チェックインして一刻も早くシャワーを浴びたい。チェックインで一室独占にしてくれた。ハイカーが少ないので空いているようだ。日本の奥様に電話、夕方、二回Kevinに会う。彼は少し離れたモーテル。夕方、7時にディナーを一緒に食おうという話になった。7時一人でSeasonsに入る。 ウェイトレスの言うことが分からない。一人親切な人がいて、発音が分かる。サーロイン・ステーキを注文。そのうちにKevinが来て同じ物を注文。彼は100キロから20キロやせてしまったという。JMTはきつすぎるという。こちらはぴたりともやせていない。ケーキを聞かれたので注文、巨大チョコレートケーキが出てきた。びっくり仰天。味は良かったので平らげた。アイスクリームは太るので断った。最後はコーヒー。Kevinは昨日コーヒーは飲まないといったのに、今日は飲む。なぜかと聞くと、胃が小さくなりやられたという。コーヒーを持つ手が震え、こぼす。水分不足という。水は飲んだが、足りなかったという。たぶん、ミネラル不足。アメリカでレストランに入るのは初めてだし、支払い方法も知らない。Kevinにクレジットカードでの支払い方法を教えてもらう。まず、クレジットカードを請求書の冊子に差し込んで渡す、すると、価格が印刷されたのを持ってくるので、ボールペンでチップの額15%前後と合計金額を書き入れ、ウェイターに渡すということらしい。どこでもこういう慣習らしい。おまえは金持ちかもしれんが学生なんだからと夕食代はこちらでもつと言う。結構、高かったけどね。良いヤツは最初に会った時から直感的に分かる。
2010年9月16日木曜日
San Francisco to VVR
今回は、早朝のAmtrakを利用してTuolumneまで行く予定のため、OaklandのJack Londonを起点とした。ホテルはまずまずだったが、周辺には何もなく、買い物はサンフランシスコまでBartで行くことになった。
7/30 7:00にAmtrakの駅に行き、7:30乗車、ベーグルとコーヒー。普通に美味しい。Mercedでバスに乗り換え、13:30Yosemite着。パーミッションを取るが、バックパックの首の後ろの部品が分解しかけていた。針金でFix。我が奥様にガスカートリッジと夕食のパンやサラダを買って来てもらった。16:40頃、Tuolumne行きのバスが来る。PCTハイカー6名他、大勢が乗り込む。Tuolumne着は6時過ぎだが、store は開いていた。backpacker's camp groundの奥にテント設営。食事は8時過ぎ。
7/31 朝起きると、少し頭痛。パルスオキシメーターで酸素分圧が74%。口をすぼめて吐く呼吸法を実践すると、5分程度で90%となった。これは、排気する時に空気圧を上げる方法。効果があった。ただし、頭痛は続く。やむをえず、ロキソニンを一錠飲む。8:50出発、9:40JMTと合流、11時、昨年パンを食べた所、11:40昼食。パルスオキシメーターは90%, 90回/分と異常なし。14:10休憩、きつい登り、17:30橋を渡り、少し行った所でテント設営。水6リッター確保。蚊が多いので、道の横の高い場所。パルスオキシメーターは87/83。19:45食事終了。
8/1 5:30に起き、パン、マンゴー、コーヒー、ミューズリ。6:30 気温5℃、7:40出発。8:30昨年のキャンプ地、誰もいない。今年は人が少ない。10:06 Donohue Peakへ登った場所で休憩、88/91。10:40 Donohue Passの池で昼食。パノラマ撮影。11:15出発、Rush Creek手前で休憩。今年は頭痛がする。スケジュールがタイトで荷物が重いため、高山病の症状が出ていた。14:00出発、歩くスピードが上がらず、17:00 Island Passにテント設営。風景は抜群、蚊も少ない。負荷を減らすと高山病の症状は消失。
8/2 5:20に起きる。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。ビビィでも暖かかったが、タオルは凍っていた。Mt.Ritterに朝日が当たったので写真撮影。時差ぼけは終了、高所順応も完了。7:25出発、8:35 Thousand Island Lake。9:20 Ruby Lake, 10:40 Garnet Lake、昼食とする。パルスオキシメーターは92/81と正常値。Shadow Lake へ少し降りた所で昼食。14:40 Shadow Lake 小休止。15:10 出発、16:20 Rosalie Lake 17:00 Gladys Lake へのPassにテント設営。湖まで5分、水を汲みに行く。蚊の軍団が集まるが、雨具で完全防衛。アメリカ人のハイカーはPass の反対側にテントを張ったので、距離は100メーター以上、単独キャンプの雰囲気。奥様が食欲がなく、 ミューズリを食べる。
8/3 5:15に起きる。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。水が凍っていた。7:10出発、7:55 Trinity Lakes 9:30 Johnston Lake。10:50 Devils Postpile、クスクスを数袋捨てる。Red's Meadowのstoreまでが遠かった。12時着、ハンバーガー、サンドイッチ、コーヒー。トイレで頭を洗い、身体を拭く。storeに米を使った半調理品があったので購入。ジュースを飲む。13:35出発、16:05Red CornsのPass。川を渡った時にハイカーが居て、向こうに良い所があると教えてくれた。ちょっと登って平らな所にテント設営。誰も来ないし、風通しが良く蚊が少ない。洗濯をしてロープで干す。夕食はクノールの米の半調理品だが、美味しいとはいえない。クスクスを混ぜて食べる。大根葉と牛肉の炒め物は旨かった。オニオンスープも旨い。
8/4 5:30に起きる。夜中風が吹いてビビィは少し寒い。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。7:30 出発、9:30 Deer Creek 昨年のキャンプ地を確認。水補給。9:40出発、11:20 ハイカーに声をかけられた。Bill。VVRの掲示板での知り合い。VVRに車が置いてあるので、我が奥様をFresnoまで送るという。何ならと車のキーも差し出す。猛烈な勢いで喋られて理解しずらい。9日の昼までにはVVRに行くというが、分からないので一応の約束はした。(彼は一日ばかり遅れたようだ。我が奥様はVVRの車で予定通りFresnoに向かった) 14:00 Duck CreekでDavidに会う。日本語を少し喋る。14:30出発、フルフレームパックの4人組と会う。今年はフレームパックを持った人が多い。17:00 Purple Lake 入り口の狭い場所にテント設営。トレイルから見える場所だが、他の人は張る余地のない場所。夕食の支度は6:00から、デザートはミューズリとミルク。
8/5 5:20に目が覚める。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。7:25出発、PowerFilmが壊れたらしく無反応。バッテリーの充電ができない。困った。(PowerFilmは日本に持ち帰り、業者に連絡すると1年以内なので新品と交換してくれた。壊れやすいらしい。バックパックの外に貼り付けて歩くのは不可のようだ。) 9:00 Lake Virginia きれいな所だ。ここで寝られなかったのは残念。10:20 Tully Hole 早めに昼食とし、10:50 出発。11:40 Cascade Valley との分岐。ゆっくりと登っていると、突然、右のショルダーベルトが緩んだ。基部のプラスチックが割れていた。12:40 しばらく木を挟んで接続、後にベルトをくくりつけた。14:05 Squaw Lake で第二の昼食。日系二世のHillaryとRobinに会う。Hillaryの母は日本人、祖父はヒロと同じ名前。しかし、どこを見てもアメリカ人にしか見えない。14:40 出発、Silver Pass手前でパノラマ撮影。記念撮影をしているとPCT HikerのDavidが親切に撮してくれる。16:10 Silver Pass 17:00 Silver Pass Lake のそばの小さな丘にテント設営。誰もいない良い場所。ゆっくりと夜を楽しんだ。
8/6 5:40 に起きる。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。7:40出発、今日は半日の行程。再び、別の日系二世のおばさんに会う。雰囲気で日本人と分かるそうだ。少し会話。JMTは混んでいていやだという。今年は空いているのだが。13:40 Edison Lake のフェリー乗り場。VVRまで歩くと3時間くらいかかりそうなので日和った。16:00過ぎ、フェリーが来る。二度目なので落ち着いている。17:00 VVR着。受付のおばさんが早口で分からない。勝手は知っているので、まあ、どうでもよい。クッカーのバイオレンスと会う。本当の名前はByronだった。彼とは何度も話し、Friendとなった。ハイカーズバレルに大量のビーフジャーキーを発見。1キロばかりもらう。そのほか、お菓子も収集。昨年はVVRのレストランでチップなど払わなかった。今年は取り立てが厳しい。受付のおばさんの言うことが分からない。Hillaryが15%程度テーブルに置いておけばよいと教えてくれた。ハイカーが少ないので、VVRも採算が厳しいのかもしれない。Jimはいないので、我が奥様のtransportationの件が確認できない。まあ、空いた場所にテントを張って一安心。
8/7 6:00に起きる。顔を洗いに行く。Byronと会って話す。朝食はPCT Special とMcEdisonとした。去年は食べていないが、食べると3時間倒れるという分量ではない。Hilleryたちは出発するので記念撮影。朝食べると昼は食えない。昼は生ジュース1本。Jimと話すとtransportationはOKだ。明日朝9:00に出発するという。(後でdriverに聞くと、Jimに直前に頼まれたという。数ヶ月前からの掲示板の書き込みを忘れていたようだ。アメリカ人は適当なので要注意)。土曜はバーベキュー・デイと決まっているのでByronが14:00頃から火をおこし、牛肉を焼き、次に鶏肉を焼いた。写真撮影。奥様も見学。ByronはFriendだからと、どんどん肉の試食を持ってくる。焼きたてなので非常に旨い。夕食はコンボとチキンとした。試食の時より味は落ちている。夕食は炭水化物不足なのでハイカーズバレルにあったマルちゃんのラーメンを食べてみたが、粉っぽくで激不味。スープは塩辛くて飲めない。11時過ぎまでたき火でハイカーが騒ぐ。耳栓をして寝た。
8/8 6:00に起きる。QuesadillaとVVR Omeletを食べる。我が奥様は8:40にFresnoに向けて出発。迎えにくるといったBillは来ない。テントのジッパーがダメになったので、Jimからプライアーを借りて修理。昼はジュース。Jimの奥さんに会う。リッキーとか言っていた。結構な知的な美人。大学でコンピュータサイエンスをやっている。メールが読めないので、マックを貸してくれたが、仕事のメールは読みたくないので、タイトルだけ読んで返した。Bishopに住んでいるので、Jim が通っているようだ。暇だからByronと話す。土曜日の客は83名、今日は52名と予測できないという。彼の故郷はサクラメントのダウンタウン、失業率が11%もあり、雇用は厳しいようだ。娘の写真を見せてくれた。夕食の時、JMTが5回目という人と会う。Best place in the worldと言っていた。
2010年9月2日木曜日
John Muir Trail 2010, success and failure
スタートはTuolumneからだが、二度目のJMT。成功した点、失敗した点をとりあえずリストアップしておく。
成功した点
成功した点
- 体重はまったく減らなかった。その関係で身体のダメージがなく、疲労回復も早かった。JMTをスルーハイクすると、5キロ、10キロの体重減は当たり前。20キロ減る人もいる。昨年は5キロ減って、なかなか疲労がとれなかった。アメリカのクッキーが美味しく、もりもり食べた。今年は甘くて食えなかった。
- VVRのハイカーズバレル(ハイカー用ドラム缶)で食料をあさった。ビーフジャーキー1キロ、米少々、マッシュド・ポテト、チリビーンズ、エナジーバー20から30本などの収穫があった。そこでDinnerはmain dish, side dish, soup, dessertと豪華になってしまった。
- 我が奥様をTuolumneからVermilion Valley Resort までガイドした。我が奥様のマイレージは平均10マイルと判明。そのおかげで、人のいない絶景の場所でたくさん夜が過ごせた。ちょっと、食料、装備等30キロは重かったが。
- 愛用のOlympus E-3 + 12-60mmズームを持参し、撮影枚数は2500枚程度。枚数も腕も昨年と同じ程度。しかし、場所や時間が違うので、また、違った画像になるはず。
- 英語が去年より喋れるようになった。レストランにも入れるようになったし、Los Angelesにバス、列車、バス乗り継ぎいで行った。しかし、これが一番疲れた。MetroLink, バスの黒人率は90%位。普通以上の所得の人は車で移動する。危険は感じなかったが、巨大バックパックだし、他の人に危険を感じさせたかもしれない。
- NOKIAの電話機は良かった。T-mobileのSIMカードを日本で購入して持って行ったのが失敗だろう。LAでは料金切れで使用不能になった。しかし、マイクロ・パソコンとしての機能があり、ホテルなどで無線LANをキャッチすると、日本語のWebが閲覧できたし、Gmailが利用できた。Twitterにも書き込めた。キーの関係で日本語入力不能のため英語で書き込んだ。アメリカに行ってからAT&TのSIMカードを買うのが正解。
- 真空パックして湯煎したJMTパンはカビも生えず、味も劣化していなかった。したがって成功。ちょっと気合いを入れて蜂蜜を入れすぎたのが失敗。何時もより少し甘めのパンだった。
- サンフランシスコで購入したクスクスは非常に不味かった。量も適当に買ったが多すぎて、半分近く、Red Meadow で捨てた。これくらいなら米を買っておけば良かった。
- Red Meadowのstoreでも、ある程度買い物ができる。レストランのサンドイッチも旨かった。store での購入を前提にすると、山のような食料を持参する必要は無かった。
- 雪が多いと聞いていたのでアルミのクランポンを持っていたが、Silver Passにもほとんど残っていなかった。VVRから奥様に持って帰ってもらった。二年連続のミス。
- PoweFilmが最初の段階で壊れてしまった。VVRで単三電池を購入したから良かったが、贅沢に音楽を聴くということはできなかった。折りたたみ式の高能率のパネルは魅力があるが、壊れるとゴミ。能率は低くても壊れない物を持って行くべきと実感。
- バックパックが老朽化していた。右背負いベルトを接続しているプラスチックが破損、首の後ろの部品の分解、糸のほつれ等が目立った。針金で首の後ろの部品をFix 。背負いベルトはくくりつける場所があったので、問題は回避できた。このバックパックは修理はできるが、買い換えが無難。帰りにREIで散財してきた。いずれuploadする。
- Akto も老朽化し、インナーテントのジッパーが壊れた。VVRでペンチで修理して、しばらく保ったが、最終行程数日はインナーのジッパーが閉められなくなった。オリジナルテントは来月には完成するので、しばらく我慢。
- ビビィを一週間使った。風が吹くと寒い。ずぼらになって料理などしたくなくなる。靴の置き場に困るなど、雨が降らなかったからよかったが、キャンプが楽しくなくなる。ここまで重量を削ることもないだろう。1キロのテントを使った方がよい。
2010年7月10日土曜日
From Tsukui to Lake Okutama
プロローグ
オリジナルテントの打ち合わせを兼ねて東京に行く必要があった。ローカスギアの吉田さんによると、工房の裏山から奥多摩湖まで、よいトレールがあるという。尾根道だから、水場をネットで調べた。夕方、ウルちゃんが出現。酒盛りが始まる。寝るのが遅くなり、睡眠不足。まあ、餃子を持ってきたから許すか。
一日目
4時過ぎに目がさめた。二人はまだ寝ている。5時過ぎに朝食を済ませた。あまりに出発が遅くなると困るので二人を起こす。まったく、飲んだくれは困る。
6時50分出発。尾根に出ると、関東自然歩道。気持ちの良い道だが、非常に蒸し暑く、汗が噴き出す。ウルちゃんはしばらく同行。7時50分、大垂水峠。車道を渡り、山に入ると小川があり、小休止、水を1リッター満杯にする。シャツは汗でずぶ濡れ。
9時、城山着。店があり、ラムネを飲む。200円。しばらく休憩。9時15分出発、ウルちゃんはここから高尾山に向かった。ハイカーとトレランが多い。10時、景信山に到着、小休止。12時10分、陣馬山。安物の馬の彫刻がある。営業小屋がいくつもある。山菜うどんを食べる。550円。まずくて高い。トラクターのような車で物を運んでいるらしい。聞いても山の上に水はないという。疑う。
トラクターの道を少し降りると、水があったので、1リッター満タンにする。水場を教えるとジュースが売れないからだろう。感じはよくない。トレランやハイカーは姿を消す。別ルートで降りるようだ。13時10分、和田峠。
延々と林の中を歩き、16時、三国山着。防火用水をためたドラム缶があり。濾すと飲める。500メーター先に甘露水があると標識がある。水筒だけもってかなり下るが、見あたらない。軍刀利神社の方向に降りればあると思うが、標識は消失。止めにした。引き返して、三国山でテント泊に決定。水はあるし、見晴らしはよい。この先に水があるとは限らない。
水は5リッター作成。夕食は、飯を炊き、乾燥野菜とビーフジャーキーとホタテの缶詰で炒めた。オニオンスープとアップルパイもあり。Creek UL 1の前室は小さいので、バックパックにカバーをして外に置く。雨が本降りになったので、テントの中で調理。ぎりぎりのスペース。6時過ぎに寝る。
二日目
4時30分に起きる。10時間寝た。やっと睡眠不足を解消。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。雨は上がった。6時出発。6時15分、軍刀利神社元社。6時半、熊倉山。7時40分、浅間峠。水はないが、ドラム缶の防火用水あり。テント泊は可能だが、三国山の方が見晴らしがよく気持ちがよい。三頭山まで12.6キロの標識あり。今日はちょっと長め。
8時半、日原峠、きれいなお地蔵さんがある。8時50分、土俵山、ドラム缶に防火用水あり、水を1リッター満タンにする。小休止。10時、丸山を巻く。10時13分、笛吹峠。11時40分、槇寄山に到着。電波状態良い。パンとココアで昼食。水は残り200ミリリッター程度。12時25分出発。13時40分大沢山、1482メーター。少し歩くと立派な避難小屋。裏に回るとドラム缶に水がたまっていた。水を1リッター満タンにする。
14時10分三頭山の南の頂上。のんびりする。14時25分出発。鶴峠への標識あり。10分ばかり歩くと、方角が違うことに気づく。GPSでログを取っていたので、間違いが明瞭。引き返して、道のない所を突っ切って正しい尾根に到達。きれいな道があった。
15時40分ヌカザス山。少し雨だが、暑くて雨具は着られない。道は時々、急角度で下る。三頭橋着は17時。少し歩いて深山橋のバス停。奥多摩駅行きのバスは17時50分。バス停のそばに座って待つ。アメリカなら、ヒッチハイクをするのだが、バスがないわけでもないし。すると、しばらくすると、車が止まる。乗せてくれるという。山登りの人。ありがたく、奥多摩駅まで乗せてもらった。
駅前食堂で、とんかつ定食+野菜炒め+餃子で満腹、幸せになれた。餃子はへたくそだから、今度来た時は、とんかつ定食+野菜炒め+レバニラ炒め、くらいにすべきと、深く考察する。長年の懸案だったもえぎの湯にも入れたので満足
Sougatake2010
一日目
根真面目なので、仕事のしすぎが身体に来てしまった。やっぱり山で休養が簡単。僧ヶ岳は交通弱者にも優しいので、お手軽に出かけた。
魚津駅8:31。東蔵行きのバスは8:36。東蔵着が9:00。荷物は19キロと、まあ、半病人だし、軽く仕上げた。ゆっくりとスタートし、30分くらい歩くと、昨年、工事中だった「みんなの広場」に来た。見ると「片貝山ノ守キャンプ場」とある。魚津市の経営、職員は二人。オートキャンプサイトが4000円。フリーサイトでテント一張り1000円というすばらしい価格。もちろん、客は一人もいなかった。5分ほど歩けば、川幅の広い所がある。キャンプはやり放題だよ。
11:20、道が残雪で覆われて通行止めに差しかかった。車が何台も止まっている。11:50、片貝からの登山道に到着。パンとココアで昼食。12:30登山開始。入り口に倒木あり。昔は急傾斜だと思ったが、今では普通の登りに感じる。慣れてしまった。13:30テントが張れそうな広い場所で休憩。
14:40山女が二人降りてきた。車からのピストン。1255m地点。14:50、成谷山、1590mのピーク。テントを張ってそばの雪を利用はできるが、先に進む。1600mにさしかかると、雪田が広がる。二つ目の雪渓の端を見ると、水が流れている。この水を利用することにして、平坦地を探す。少し先の登山道にテント設営。15:40。
夕食は、冷凍して新聞紙に包み、保冷袋に入れてきたステーキ2枚、我が奥様の手作りのポテトサラダとひじきと大豆とタケノコの煮物、にんじんご飯、フリーズドライのオニオンスープと豪華。もちろん、食事前にヤマザキのまんじゅうを一つ食ったので、胃袋は満杯。参った。参った。
二日目
4時すぎに起きる。パン、マンゴー、コーヒーの朝食。5:35出発。30分ほどで剣見の池付近に来る。完全に雪に埋まっていた。6:50僧ヶ岳頂上。頂上のみ雪なし。雪田は広い。ゆっくりするが、退屈。7:05下山開始。天気は下り坂。9:30烏帽子尾根の林道に出る。とりあえず、コーヒーとヤマザキのまんじゅう。森林公園へ下るか、宇奈月か、迷うが、10:00宇奈月へ向かう。林道で1040mまで行き、登山道に入り、一直線に下る。12:00観音公園。おかずの残りを食べて昼食代わり。輪島から来た車の人、乗せてくれるというので、お言葉に甘えて車に乗せてもらった。一時間助かった。12:40宇奈月駅着。ちょっと身体を甘やかしてしまったが、まあ、1600mくらいは上り下りして臭い汗が出て体調が戻った。
魚津で50分くらいの乗り継ぎ時間。ディープな世界でも散策するかと思ったら、セブン・イレブンを発見。なんと100円のレギュラーコーヒーがあるではないか。自動コーヒーメーカーを設置し終えた所だった。いや、実に旨かった。チープな世界だが、コンビニは馬鹿にできない。なかなかやる。
Kumano Ancient Road,Nakaheji route 2010.5
アプローチ
連休はあったが、授業があって長く休めない。奥様も忙しい。そこで、今まで行ったことがない那智から熊野大社へ続く中辺路ルートとした。JRで8時間。前泊は紀伊勝浦のビジネスホテル。朝食付きで五千円を切る価格。部屋はアメリカ並みに広かった。ちょっと古いからか客は少ないので静か。お風呂ではくりからもんもんの巨大なおじさんが建築の議論をしていた。実は小さい頃、大阪の釜が崎近くで一年ばかり過ごした。それで、故郷に戻った感じで、なごんでしまった(ちょと感受性が普通と違うのだ)。晩飯は町に出て、マグロのカツ丼。名物に旨い物なし通りで、熱の通しすぎで味がなかった。これは失敗。刺身を食べて、スーパーのマグロと代わらんと、吐き捨てるように言って出て行った中年グループもいた。マグロなんか、冷凍だからどこでも同じ。
1日目
朝、しっかり寝て、朝食を食べ、紀伊勝浦の駅へ。8時半のバス。観光バスではないが、それなりに客は多い。那智の滝前で下りる。立派な滝だが、土産物屋が乱立。観光客も多い。記念撮影を済ませて、熊野那智大社へ向かう。石畳の急な登り。本堂の中には自由に入れるが、カモが来たと寺の人が大勢で、祭壇の前で待ち構えていた。足がすくんだのですぐに逃げて、寺の裏から熊野古道に入った。良い雰囲気の道が続いていた。10時20分、那智山公園という広場に出た。小休止して、コーヒー・タイム。ちらほらと熊野古道を歩く人もいた。
平らな丘の上が頂上。トイレはあったが、水はない。標識によると少し行くと水がある。先に進んだが水がない。標識もない。11時20分、昼食とする。11時50分、出発。水の残量は二人合わせて0.5リッター。水無しで3時間くらいは問題ないので、たぶん大丈夫と先に進んだ。12時半舟見茶屋蹟、その後で林道に合流した。側溝に水を発見。浄水器で汲み上げて一人一リッターの水を確保した。下り坂。川の傍の古道は通行禁止。舗装道路を歩く。14時、地蔵茶屋に着く。立派な休憩所とトイレがあったので小休止。
山の南斜面の古道は苔むしている。わき水も多い。北斜面は乾いている。古い火山岩が露出していた。15時、越前峠の登り口に素晴らしいキャンプサイトがあったが、通過。15時20分、越前峠、標高800メーター。北斜面を下るが、水はない。だんだんと疲れてきた。実は、今回、SOLO Asolo Sasslong Gore-Tex Backpacking Boots を使ったが、足首の固定が柔いし、ソルボメディではクッションが足りない。下りが不安定で疲れてしまった。地図にあった休憩所を目指すが遠い。16時30分、茶屋蹟近くで水が流れていた。16時30分、杉林の中にテント設営。水は7リッター確保。夕食はビーフジャーキーご飯を炊いて、乾燥野菜と炒めた。それにおマメさん、スープ。良い場所で、しっかりと睡眠できた。大雲取り越えは予想よりきつい。アップダウンが多く、距離がある。
2日目
5時すぎに起きる。パン、マンゴー、コーヒー、チーズの朝食。7時出発。15分で休憩所に着いた。蛇口があり、捻ると水が出た。ここまで来れば良かったが、知らないので、昨日の場所で正解。時々、山ツツジのきれいな花がある。8時過ぎに小口の町に出た。小口自然の家は、オートキャンプ(これは和製英語で、アメリカ人には通じない。正しくは Car Camping だぞ)の車が一杯。歩きの人間には厳しい値段のキャンプ場なので、最初から泊まるつもりは無かった。
小和瀬から小雲取り越えに入る。良い道が続く。棒で獲物を担いでいるような男二人がいた。最初は漁師かと思ったが、少し様子が違う。追いついて見ると、二人で担いでいたのは案内の標識。すぎの丸太で50キロあるという。標識を立てた後、番号が逆順と役所が気づいて、設置のし直し中という。日当は二日分しかない、それでなんとかやれと言われたらしい。千年前からこんなことをやっていたかもしれない。10時、N0.37で休憩。380メーター地点。10時10分、桜茶屋蹟で休憩。ここが唯一遠景の見える場所。大昔、この茶屋では白装束の一団が見えてから餅つきを始めたそうだ。納得。10時半出発、11時10分、林の中で昼食。トレランの三人組が通る。ウルトラライトだけど、サポートが必要だからね。本当は軽くはない。重い財布も必要。
12時、小雲取山、ちょっとした丘で景色は見えない。下って谷筋に出ると見えるようになる。13時、松畑茶屋蹟で小休止。だだっ広い、平な場所。昔は茶屋が賑わっていたかもしれない。14時30分、請川に出る。本宮行きのバスは一時間後。デイリーヤマザキができていたので、見ると品揃えが良い。わざわざ本宮まで行く必要もない。本宮大社は見学する価値もないし、食料品店も小さい。それで買い物をして、この辺りで寝ることにした。
少し引き返して公衆トイレで水を7リッター確保。身障者用トイレにはなぜか温水シャワーもあったのでヒゲを剃り、身体を拭いた。ところが公衆トイレの場所からは川に下りられない。請川バス停に戻り、川に出る。砂州は低いので下りず、堤防の上にテント設営。誰も来ない場所。ヤマザキのケーキでコーヒータイムとした。後は休憩してからは中華丼を作る。上等の牛肉で、なかなか旨かった。熊野川を見ると、鴨が二羽。絶えず一緒に行動している。常に一歩下がっているのがオス。ずうっと何時間も一緒。人間のオスも大変だが、鴨のオスも大変だなと実感。身につまされることがありましたな。
エピローグ
帰りは7時のバスで新宮へ。8時頃到着。9時過ぎのJRは高山線に接続、待ち時間も少ない。新宮駅の前でテントを広げて乾かす。酸っぱいサンマ寿司は買わず、名古屋での乗り換え時間に弁当を買う。名古屋の弁当の水準は高く、これも旨かった。以前、松坂で松坂牛の弁当を買い、不味くて大失敗だったこともある。同じ失敗は繰り返さない。名古屋弁当が正解。高山線もがら空きで、四席を独占して富山まで帰れた。
Yakushima 2010
アプローチ
富山からはJRで大阪へ。カモメ埠頭からフェリーで宮崎へ。JRを乗り継ぎ、鹿児島。鹿児島からロケットという空中翼船で屋久島。ロケットはがら空き状態。いつものように海楽園のキャンプ場に行き、隅にテント。わいわいらんどで巻き寿司、餃子、トビウオ、ほうれん草を買う。トビウオは塩こしょうをして片栗粉を付けてムニエル。ほうれん草はすべてスープに入れた。
1日目
朝、6時前まで11時間以上寝た。コーヒーとパンで朝食。一晩中風雨。本来はもう一泊したいが、明日は晴れる予定。雨宿りをして7時45分に出発。しかし、バス停が思ったより遠い。1Km程度、23キロを担いでジョッキングしてしまった。疲れた。それなのにバスは遅れて8時11分着。同乗者は一名のみ。
8時40分、白谷層雲峡、少し雨が弱くなった。入り口で協力金300円を払う。何時ものように感じの悪いおばさんだ。登山届けを嫌々書くと、下山届けも必要だという。交番に届けることになっているそうだ。初耳。
原生歩道から白谷小屋10時40分。トイレに紙もあった。10時45分、出発。11時半、辻峠。パンを食べて11時45分出発。雨が上がった。ガイド付きの人が多い。12時20分、荒川歩道と合流。高塚小屋までは3時間半程度。4時頃到着の予定。13時40分、大株歩道入り口。15時36分、縄文杉。良い雰囲気で写真をたくさん写す。
16時半、休憩所にテント設営。水は少し下って浄水器で4リッター確保。夕食はビーフジャーキーと野菜と高野豆腐のうま煮。お豆さん。
2日目
5時半に起きる。パン、マンゴー、コーヒー、チーズの朝食。少し頭痛がしたのでロキソニンをのむ。気温0度。7時20分出発。8時30分、新高塚小屋。8時45分出発、気温マイナス2度。9時45分、第二展望台、気温マイナス5度。10時40分、平石。ロープのかかった岩の場所、氷結していて、アイゼンを付ける。
宮浦岳には登らず、三叉路から少し入りパンで昼食。顔にマスクをした大学生がふらふらと歩いていく。鹿の沢小屋で二泊の予定という。12時10分出発。永田岳登り口に良いテント場あり、歩く気をなくす。13時テント設営。水4リッターを確保。コーヒータイムとして、文庫本を読み、少し眠る。
15時半過ぎ、天候が回復、青空になった。急遽、永田岳に登ることにした。カメラだけ持って速攻。15分で山頂。パノラマ写真も写す。16時45分、テントに戻る。17時、飯炊き開始。ビーフジャーキー入りご飯と高菜の炒め物。スープに高野豆腐を入れた。うまかった。
PowerFilmも良好。充電も速いし、携帯への充電も問題なし。昇圧回路の設計が良いようだ。18時40分、寝る支度。テント内はすでにマイナス5度。0時50分、テント内マイナス8度、午前2時半、テント内マイナス11度。マットはダウンマットレスだし、シュラフはマーマットのヘリウムEQだし、ほかほか。大学生は鹿の沢小屋で震えているだろうな。
3日目
5時半に起きる。気温はマイナス8度。寝ている間は寒さを感じなかった。パン、チーズ、コーヒー、マンゴーの朝食。7時出発。雲が早くから沸いている。8時10分、宮浦岳山頂。幸い永田岳はきれいに見える。のんびりと記念撮影を繰り返す。
男3人組がやってきた。一人は「先生」と呼ばれていた。太めの人。超広角ズーム付きのニコンを持ってた。3キロくらいの重さ。いろいろ撮してもらったが、超広角はゆがみが出て、良い写真は無かった。自分で撮した物を少しトリミングした物が最上。
8時35分出発、10時10分、投石岩屋。10時43分、黒味岳分岐。三人登っていたが、すでにガスがびっしり。登っても何も見えないと思うが、どうして登るんだろう。10時50分、花之江河。昼食とする。ガスの晴れ間を撮す。外人が一人来た。
11時40分出発。イギリス人とは英語でしゃべる。どうした訳か、英語は自然に出てくる。ここは安全なルートだが、外れると危ないよ。何人も死んでいるというとびっくりしていた。帰りのバスの時刻も知っていたので安心した。
ずっと気温は0度。13時50分、淀川登山口。トイレ、水あり。しかし、明日、雨になると鯛の川が渡れないので、先に進むことにした。14時出発。道は最初良かったが、だんだん、悪くなる。乃木(のんき)岳の分岐で休憩。15時36分。外人のカップルがあがってきた。口も効かない。ちょっと長いコースだし、小屋に着く頃には暗くなるから焦っていたのだろう。
16時40分、鯛の川を渡る。水の勢いは強い。少しジャンプしないと越せない。渡った所で寝場所を探す。少し、斜めだが、木の根元が比較的よさそうなのでテント設営。道に流れてたまっていた水を浄水器で濾して4リッター確保。17時50分、飯炊き開始。昨日と同じ炒めご飯にする。これがうまい。
4日目
5時50分に起きる。天気予報では晴れのはずが雨。まあ、屋久島だから。7時40分、出発。8時20分に峠と思ったら、8時40分、もう一つ峠。ふたこぶになっていた。これでコースタイムの二倍。先が思いやられる。
9時半、スリップしたので休憩。まだ標高は1000メータ弱。10時半、男一人、あがってきた。800メーター地点。倒木が多く、川の所で30分ほどテープを探したという。ここまで蛇の口ハイキングコースとの分岐点から2時間かかった、昭文社の地図のコース・タイムはめちゃくちゃという。そうなんだよね。歩いていない所は適当に書いてある。川はOK、渡った所にキャンプ適地があると教える。
なるほど、倒木地帯で赤テープを見失う。しかし、GPSで道の方角は分かるので、そちらに少し移動すると、テープと道を発見。GPSがあると、やっぱり良いね。迷わないのでストレスがない。
11時40分頃、ハイキングコースの吾妻屋に到着、コーヒーとパンで昼食。カップルが来た。蛇の口滝を見学してきて昼食という。コーヒーもなく昼飯なんて。コーヒーパックを与え、ガスセットを貸す。山のベテランに見えて喜んでくれた。
こちらは蛇の口滝の写真撮影に出発。相変わらずひどい道。写真撮影して13時15分に吾妻屋。お礼なのか、たんかんが一つおいてあった。ありがたくいただく。13時20分過ぎ、下山開始。
15時尾之間温泉に到着。相変わらず、無愛想なおじいさんがいる。しかし、湯の質は最高、値段は200円とこれも最高。ゆっくりとアカを落とす。15時45分にバスがあり、16時40分に海楽園のテント場に戻り、テント設営。東京のワンゲルがテントを二張り。テントは遠くに張り、寝る時は耳栓をした。夕食は500円のチキンフライ弁当を買ってきて、暖めて前菜とした。それから、餃子20個、ステーキ三枚、スープ、たんかん5個を食ってしまう。
そういえばスーパーに前歯が欠けた(乳歯が抜けた)女の子がいて
「おじさん、英語しゃべれる?」と話しかけてくる。
「しゃべれるよ」
「じゃあ、しゃべってみて」
「外人にしかしゃべらないよ」
「恥ずかしいんでしょう」
「おじさん、英語しゃべれる?」と話しかけてくる。
「しゃべれるよ」
「じゃあ、しゃべってみて」
「外人にしかしゃべらないよ」
「恥ずかしいんでしょう」
カンの鋭い、面倒なガキだ。さっさと逃げたね。二十歳くらいのきれいな女の子なら、もう少し話しただろうが。いやはや、まいった。獲得済みの英語脳を読み取ったのかもしれない。恐るべし。
エピローグ
もちろん、下山届けは出していない。屋久島の警察からも連絡がない。つまり、クロスチェックはしていないよね。そんな面倒なこと、だれがやるかよ。
The coastal backpacking in Atsumi peninsula
一日目--新居町から二川の海岸へ
浜名湖近くの新居町11時着。スーパーで買い物。鮭弁を買い、海岸の松林の中で食べる。なかなか旨かった。後で聞くと、新居町はじゃこの本場、豊橋の半値だという。買うべきだった。今度行った時には買おう。12時半に歩き始める。15時、道の駅潮見坂着。値段は高め。売り物にならない物だけは安い。パンはまずそうで高い。木に摘み残してあったしなびかけのみかん、花が咲いたアスパラの茎と、ひどい物が多い。しかし、我々はケチだからみかんとアスパラを買った。共に100 円。みかんは2キロはあった。水は5リッター頂いた。Carson 80で担ぐ。30キロ近いのに何ともない。荷物が背中に密着して重さを感じない。16時40分。二年前の場所まで行ってテント設営。天気は下り坂。ご飯を炊き、ウインナとアスパラの炒め物を食う。旨い。自宅から持参のきんぴら、ジャガイモと食料は相変わらず山盛り。
二日目--二川から赤羽根の海岸まで
5時過ぎに起きて、7時20分出発。天気は曇りで下り坂。10時半、トイレで水1リッター補給。小雨。14時半、砂浜から上がり、道を歩いていると、荒川友雪という人と会う。陶芸家で、海岸のゴミを集めて焼いていたとのこと。国宝の縄文土器があって、渥美半島のどこかで作られたらしいが、1500箇所も窒蹟があるので分からないと言う。国宝なので破壊検査は一切できない。それで、150箇所程度なら何とかなると、しらみつぶしに粘土を集めて焼いているという。焼き加減を国宝と比較するらしい。そのため、ほとんど家に帰らず、野宿生活に近いらしい。コーヒーを請求されたので、仕方なしにコーヒー休憩とする。芸術家は鋭いので、隠しても無駄だ。こちらも身分を明かす。30分ほど話した。我が奥様が焼き物が好きというと、飲んでいた湯飲みをくれた。雨が強くなってきたので、コーヒー・タイムは終了。本日の宿泊地、赤羽根の海岸へと向かった。駐車場とトイレの辺りは工事中。やはり前回の場所まで行き、テント設営。その後、コンビニまで出かけて、ウインナ、餃子、どら焼きなどを山盛り買い、テントで腹がはち切れるほど食べた。
Okutama 2009
一日目--鴨沢から奥多摩小屋まで
寝台特急「北陸」で東京に出掛けた。なんと、3月で廃止という。なかなか立派な個室だった。残念。北陸本線はガタガタで寝られず、夜中くらいから寝たが、5時にはもう高崎だった。6時20分上野。山手線に乗り換えた。乗り換え時間が短く、トイレに行けない。奥多摩駅を出てトイレに駆け込んだ。バスは9時40分、のんびり待つ。鴨沢10時25分出発。11時40分、人家の跡でベーグルとコロッケの昼食。11時50分出発。13時30分、堂所。睡眠不足のため、ペースが上がらない。14時45分、七ツ石小屋。誰もいない。16時20分、奥多摩小屋。だれもいないと思ったら、まっくらな部屋から管理人が出てきた。暗くてノートも書けない。テント料二人800円。テントを設営後、水を汲みに降りる。ほとんど氷の階段になっていた。 暗くなるので急いで5リッターを確保。テントに戻ってから直接飲む水のみを浄水器にかけた。ウインナと乾燥野菜のオイスターソース煮。割にうまかった。テント内0度、たいして寒くない。
二日目--奥多摩小屋から芋ノ木ドッケをへて水松(あららぎ)山まで
6時20分に起きる。テント内はマイナス4度。少し頭痛がする。雪道になり、アイゼンを装着。9時50分、雲取避難小屋。コーヒーを入れてクッキーを食べる。気温5度。雲取山荘への下りは氷結していて、アイゼンがないと危ない。雲取山荘前でコーヒーを入れ、パンを食べ、昼食とした。水は見あたらないので、雪を溶かして、浄水器で濾した。警視庁の山岳警備隊3名と会う。写真をとってもらった。10時26分出発、12時、大ダワ。雪だらけ。13時20分、芋ノ木ドッケ。少し道を外して急勾配を上る。巻き道らしいものもあった。超えると雪。アイゼンが外せない。長沢背稜に入る。やせ尾根もあり。15時半、長沢山。奥様が疲れてきた。水松山へはまき道を通る。ほとんど雪山。奥様の携帯が見つからない。最後にみたのは雲取山荘。16時半、暗くなるので水松山の山頂付近にテント設営。スタッフザックで雪を大量に集めてくる。ゴミだらけ。いったん溶かしてから浄水器を通す。ガスの消費が多い。17時20分、飯炊き開始。メニューはビーフジャーキーと乾燥野菜のオイスターソース煮、お豆さん、ホットミルク。オイスターソースよりもチキンスープの方が良いようだ。
三日目--水松山から酉谷避難小屋と一杯水避難小屋をへて東日原と奥多摩駅まで
5時半に起きる。夜中、砂防工事なのか、重機の音が続いた。7時10分出発、少し吹雪いていたが、しばらくすると晴れてきた。9時25分、酉谷避難小屋。2時間以上かかった。昨日、中止して正解。小休止して水を補給。水2リッター持つ。12時40分、ハナド岩。富士山が頭を出している。13時10分、一杯水避難小屋。若者が宴会中。水場を見に行くが、枯れている。谷を降りるとあるそうだが、危ないので止めた。三時間ほどで獅子が口の水場があるが、奥様は疲れて3時間保たないという。やむをえず、一杯水から降りることにした。最初は良い道だが、やせた狭い道があった。急傾斜を斜めに切った道が続く。最後は急な下りで、足が疲れた。16時10分、東日原。ゴミを捨ててパッキングすると、バスが来た。17時前には奥多摩に着いた。交番に携帯電話の紛失届けを出す。すると、山岳救助隊の人たちがいた。金(こん)さんは有名人で、「山岳救助隊日誌」を出版していた。観光センターで買って、サインをしてもらう。実に立派な書だった。金さん、気を利かせて雲取山荘に直接電話してくれた。すると、携帯電話の落とし物があったという。管理人は来年しか下山しない。そこで、金さんが下山する人に託すように言ってくれた。結局、次の日の昼頃までには、交番に届けてくれることになった。もえぎの湯は営業終了、ほかの旅館も火を消したと、風呂はギブアップ。駅前の飯屋で夕食をたっぷり食べて、いつもの場所でテント設営。ゆっくりと寝た。
四日目--多摩川リバーサイドホテルへ
のんびり7時過ぎまで寝た。8時過ぎにテントを片付け、ぶらぶらと多摩川の下流へと遊歩道を散歩。たいした景色ではない。白丸以降は工事のため通行止めになっていた。危ないと困るので中止して、白丸駅へ。何にもないので、ついでに鳩ノ巣駅へいった。目の前に斎場があり、国民宿舎も潰れているような印象。なんにもない場所だ。10時44分のJRで奥多摩に戻り。三河屋で風呂に入った。女風呂が清掃中で、男風呂に二人入れてくれた。12時携帯に留守電が入っていた。交番に携帯が届いたという。取りに行くと、まさしく奥様の携帯。昼食は餃子屋がやっていなかったので駅前食堂。それから立川に行き、野菜やハムの買い物をして、17時頃、多摩川河川敷にテント設営。ウルちゃんたちを寝て待つ。7時半頃に到着。ウルちゃんが豚汁を仕切る。なかなか上手になった。数名の参加者あり。みんな適当に食べ物を持ち寄り、料理を始める。炭火で焼く焼き鳥が圧巻。ししゃも、餃子も焼くし、スイーツもある。こちらも卵チャーハンを作る。宴は11時半過ぎまで続いた。たまには河原で宴会も良いな。
Mt. Sougatake 2009 10 31
夫婦とも体調不良。こういう時は、軽い山歩きがベスト。それで、宇奈月に行き、タクシーに乗ろうとするが、人がいない。宇奈月交通に電話すると、黒部の祭りの関係で出払っていた。30分待たされる。結局、第二登山口に着いたのは11時くらい。まっすぐ登山道へ向かう。1043メーターの林道に出てからは林道を歩く。烏帽子尾根が13時40分。テントを張っても良かったが、奥様の心臓は大丈夫とのことで、登り始める。下山する人たちとすれ違う。登山者は合計十二、三人。頂上到着16時10分。相当の強風。テントを設営後、直下のたまり水から飲み水を7リッター作成。夕食はウィンナと乾燥野菜とご飯の炒め物、お豆さん、スープ、果物は柿二つ。18時半頃から寝るが、満月で明るく、強風でテントが揺さぶられ、寝苦しかった。
次の日は4時頃に目が覚める。天気はしばらく保つが、完全な下り坂。6時過ぎに出発。片貝川へ下りたかったが、危険なので、宇奈月ルートをとる。ところが、宇奈月ルートは人が歩かず、荒れ果てつつあった。落ち葉が滑って歩きにくい。9時20分、1043メーターで道に出て、林道を歩き、11時頃、平和公園着。タクシーを呼ぶが、やはり出払っていて、宇奈月駅までというと嫌がられた。歩いて下りるつもりだったが、めずらしく観光客相手の無料バスがあった。11時56分、無料のバスで下山、さらに無料の足湯でくつろいで帰宅。
Mt. Amakazari 2009
天候が崩れる予報で、早朝に登山。頂上は強風、2度C。360度の素晴らしい眺望です。相変わらず、Tシャツと雨具の上、ショーツにスパッツだけでした。3年前に来た時と違って、老年登山者の集団が多い。100名山のバスツアーが3組ほど。登山口は人だらけ、車だらけの変わりようでした。ひどいことになっていました。
登山の後は鎌池見学、高速道路が1000円になったのか、大きなカメラと三脚を持った人の群れ。おきまりの場所で写真を写し、登山道で小谷温泉に下りました。風呂に入って帰るかと山田温泉に頼むと、団体さんが入っているからと断られた。初めての体験。非常に印象が悪かった。パックツアーを引き受けてあぶく銭が儲かると、日帰り客などは入れたくないらしい。登山の人は無料の温泉に入る方がよい。
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