小さい頃、親の都合で鹿児島の片田舎から大阪に引っ越した。さらに堺に引っ越して大阪の文化に慣れた頃だろう。小学校二年か三年の時、子供同士で流行った言葉遊びがある。「綿一貫目と鉄一貫目のどちらが重いか」と聞いて、相手を引っかける遊びである。尺貫法の関係で、今なら「綿一キロと鉄一キロのどちらが重いか」になるだろう。少し頭が鈍いと「鉄!」と応えて、友達に笑われる。ただ、それだけである。一度、引っかかり、分かってしまうと、この遊びはお仕舞いになる。
この遊びで、私は一度引っかかり、報復措置として数人の友人を引っかけた。その後、私は「綿」のふわふわとした感覚や「鉄」の冷たく硬い感覚と、全体の重量は別の問題だと認識した。比重の軽い綿でもたくさん集めれば一キロの重さになるし、小さな硬い鉄でもやはり一キロの重さになる。言い換えると、小学校低学年では、質の問題と量の問題を混同しがちであるということだ。
大人になると、こんな馬鹿げた間違いは犯さない。そう思っていたが、人間はそんなに賢くならない。ダイエットについてのウェブや本を読んでみると、おにぎりを食べると痩せる、肉を食べると痩せる、おでんを食べると痩せるとか、そういう話ばかりが目に付く。総摂取カロリーを減らせば、痩せるに決まっている。食物の質とは関係がない。いい大人でも質と量を分離して認識できないようだ。ほとんど小学生低学年である。ちょっと情けない思いもあるが、人間の頭の程度はこんなものだろう。我々はそんなに賢くはない。
ある現象に関して、多くの要因(変数)が関係している時、一つの要因(変数)だけを取り出して、その現象がどう変化するかを確認するのが、正しい認識に至る唯一の道である。科学的研究の基本だろう。実際に実験計画を元に要因を統制したり、統計的に多くの要因の影響をキャンセルして統制したりする。それでやっと正しい結論が得られる。残念ながら、こういうことが分かったのは、せいぜい一〇〇年か二〇〇年前だから、我々の日常的な認識や知識獲得にはあまり影響していない。言い換えれば、我々の頭は小学校低学年の子供とあまり変わらない。
最近、医学は人命を救うようになったが、過去二五〇〇年の間、瀉血という治療法で人命を奪い続けた。一八〇〇年代にハミルトンが患者を三つの均質なグループに別け、それぞれに瀉血やその他の治療法を割り当てて治療成績を比較したのが、最初のランダム化比較試験だろう。この結果、瀉血は治療法としては完全な間違いであると暴露された。それまでの瀉血という医療行為は、効率的な人殺しの手段だった。熱心な医者ほどたくさんの人を殺していた。思い込みや熱意ほど迷惑なものはない。複数の要因がある場合、実験計画できちんと要因を統制して比較しないと何もわからない。
現在、実証科学の仮説を確認するには、このようなランダム化比較試験が不可欠である。科学が進歩したので、なんでも正しく理解できるようになったかと言えば、そうでもない。職業的科学者が爆発的に増加したので、科学論文も爆発的に増加した。研究成果を宣伝しないと研究費が取れなくなる。それで、マスコミに売り込むためには手段を選ばない研究者もいる。真面目な研究者の科学論文でさえ、さまざまなバイアスから自由ではない。
研究論文は星の数ほどある。実証科学では、ある特定の仮説を支持する研究が一〇〇%ということはあり得ない。支持する研究はあるが、支持しない研究もある。ウェブや書物の科学記事の大部分は、自分の意見に添う研究のみを取り上げ、他を無視するという方法で書かれている。つまりは、つまみ食い的評論で、自分の意見を科学的に装っているだけである。無料で読める記事はそれなりの内容である。結局、記事の大部分は擬似科学にすぎない。
幸い、良心的な研究者たちが数多くの研究論文を評価し、まとめ上げたレビュー論文がある。その中でもっとも信憑性の高いのは、ランダム化比較試験をメタ分析という統計技法でまとめたレビュー論文(システマティック・レビュー)である。特定の仮説がどの程度支持できるかに関して多くの論文を効果量という数字でまとめ上げている。それで、つまみ食い的でない、比較的公正な結論が得られる。どんなトピックでも、メタ分析の論文をいくつか読めば、科学の最先端の結論が簡単に手に入る。逆に言えば、メタ分析の論文を読まない限り、つまみ食い的評論に左右され、結論を誤ってしまう。
最近は、多くの重要なメタ分析の論文はオープンアクセスになっていて、PubMed経由で無料で読める。したがって、専門外の分野でも、検索キーワードを入れ、システマティック・レビューというフィルターを付けると、多くの論文が出てくる。そこで、関連する論文をいくつか読めば、ただちに最先端の知識に辿り着く。せっかく良い時代になったのに、読む人は少ないのだろうか。少なくともベストセラーの著者や大衆的なウェブ記事を書く人は読んでいないようだ。
筆者の興味の赴くまま、ダイエット、健康、仕事、幸福と、メタ分析の論文を読みまくり、楽しく知的冒険を行ってみた。知らないことが多かったので、その分、面白かった。
ダイエット関連では、総カロリーをコントールしたランダム化比較試験が多くあり、炭水化物制限ダイエットには何のメリットもなく、タンパク質の摂取量が増えると、死亡率が上がってしまうという結果であった。タンパク質の摂取量の最適値はカロリー比で二〇~四〇%である。また、肥満で病気になった人は、ダイエットして痩せると健康になるが、肥満しているけど健康な人は、ダイエットをすると寿命を縮めてしまうという楽しい結果も見つけた。ダイエットの指導者は寿命を縮める指導をしている可能性が大きい。
健康関連では、肥満の影響力は意外に小さく、死亡率にほとんど影響しない。したがって、メタボ健診の大部分は無駄のようだ。ただ、運動の寿命延長効果は大きく、運動が激しければ激しいほど、寿命延長効果も大きい。もちろん、肉食は寿命を縮め、野菜や果物は寿命を延ばすようだ。嗜好品では、コーヒーと緑茶の寿命延長効果が大きい。ところが、お酒の寿命延長効果はわずかで、女性には弊害の方が大きい。言い換えると、世の中に流通している健康に関する情報のほとんどは間違いである。
仕事関連では、投資のプロの運用成績は市場平均を必ず下回るので、ランダムに投資したのと変わらない。プロには運用能力はなく、妥当性の錯覚に酔っているだけで、もっとも賢明な人は投資などはしないようだ。投資を勧める人は、その手数料で儲けようとする人である。企業の面接担当者の面接能力はほぼゼロである。興味や動機付けは、仕事の成績にほとんど関係しない。つまり、面接でやる気のある人を選抜するという企業側の方針は二重に馬鹿げている。面接せずに人を選抜しても結果は変わらないだろう。最新のメタ分析によると、心理学者の作った職業興味テストの妥当性もゼロで、使う意味はないようだ。
幸福感の研究を先導したポジティブ心理学は、よく調べてみると、願望と科学が半々に混じり合った擬似科学であった。癌にファイティング・スピリットで立ち向かうという愚かな話は、ポジティブ・シンキング(クリスチャンサイエンス)という宗教に由来していた。従来の幸福感研究は一種のフィーリングのみを測定していて、客観的な幸福の総量の測定には失敗していた。そして、我々の意識も、客観的幸福の把握には失敗する。つまり、我々は自分が幸福か否かも正確に理解できない状態だ。
人間はここまで愚かだった。私もその一員である。幸い、この本を書くことで、愚かさは多少修正することができた。この本はある出版社に依頼されて書いたが、筆者の執筆意図が理解されず、原稿はしばらく宙に浮いていた。幸い、筑摩書房の伊藤大五郎さんのおかげで、ちくま新書として世に出ることになった。願わくば、この本が多くの人の知識の誤りを修正し、長く幸福な人生に役立つことを祈る。
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