2011年2月25日金曜日
Mt. Rokko, after 30 years blank
インプラントの炎症のため右脚の筋肉が痙攣気味で、鎮痛剤が欠かせなかったが、新インプラントの処置後、やっと投与せずに済むようになった。雪の少ない所で、近い所はどこか。いろいろ考えて、久しぶりに六甲山を訪れることにした。大昔、大学院生の時に御影に住んでいて、朝の天気を見てから、ハイキングに出かけた。実は、山歩きは六甲山から始めた。
初日
奥様が極度に多忙のため、前日まで仕事。そこで昼近くに出かけたので、JR宝塚着は15時半頃。大昔の宝塚は小さな駅だったのに、大きなビルになっていた。美味しそうなケーキも一杯ある。「生ドラ」という物もある。生クリーム入りのどらやきらしい。歯を食いしばって我慢して、買わずに出発した。これは後で激しく後悔した。阪急宝塚の駅も巨大なビル。とんでもない所に迷い込んだと思った。宝菜橋も巨大コンクリートの橋。昔はちっぽけな橋だったと思う。
川沿いの住宅街に入ると、何となく神戸だなあという印象。急勾配に綺麗な住宅が並ぶ。ともかく、甲子園大学を目指した。塩尾寺(えんぺいじ)への道は舗装道路。ある程度、登ると傾斜が緩くなり、歩きやすくなる。ネットで調べた水場は塩尾寺手前500メーター。細い枯れかけの川を通り過ごし、しばらく行くと、わかりやすい水場があった。この先水はないので、7リッター作り、担いだ。おかずの残り物など生ものを持ってきたので、バックパックの重さは30キロ弱だが、一応は問題無かった。
17:00塩尾寺。塩尾寺から上は記憶にあるえぐれた登山道になった。10人ばかりのハイカーとあった。大きなバックパックを背負っているので、気になったらしい。
「これからでっか。」
「ちょっと一時間ばかり歩いて、寝ようかと思って」
「何キロくらい? 20キロ?」
[水7リッター持ったから30キロくらいかな」
「ひぇー、そんなら須磨まで行けますやろ。奥さん、迷惑そうな顔、してはりまっせ。」
大阪人はなかなか観察が鋭い。口も達者。こんな小さな山に30キロは迷惑だったかもしれない。挨拶を済ませて、岩倉山を目指す。脚は問題無く動いたが、奥様は、多忙のため、疲れていて、遅れ気味。岩倉山頂上は祈りをあげる場所らしいので、北の林に入り、17:30テントを設営した。メニューは、何時もの炒めご飯に、おから、おマメさん、スープ、宝塚で買ったお菓子パンと、山盛り。19:40就寝。
二日目
6:40にやっと起きた。実に11時間寝た。パン、クリームチーズ、プルーン、コーヒーの朝食。林の中だし、誰も来ない。8:30出発。なだらかな良いハイキングコースが続く。9:15大谷乗越で舗装路を横断。急な登りの後、再び、ハイキングコース。大平山には通信塔がいくつも立っていて進入不可。昔も林道を歩いた記憶がある。棚越から、ハイキングコースへ。所々、雪が見えるようになった。船坂峠からは雪が増えた。アイゼンを使うほどではないが、水無山近くでは、雪が増えて一部凍結していたので、マイクロスパイクを装着。なかなか良い具合だった。11:00水無山。標高800メーターなので、少し雪が残ってた。凍結路をへてついに舗装道路に出た。六甲山頂はどこだか分からない。少しばかり舗装道路を歩いて、やって位置関係が理解できてきた。山頂直下の広場は人だらけ。凍結した林道を歩いて、12:07山頂着。人が途切れた瞬間に記念撮影。頂上の下には通信塔。大昔、この山頂は立ち入り禁止の場所だったようだ。少し下の休憩所付近が昔の山頂。高齢のハイカーが大勢いる。突然、声をかけられた。
「いまからそんな格好して、夏になったら、どないすんねん。」
「夏は夏用Tシャツ!」
こちらも、元大阪人だから、0.5秒の反応時間で返した。12時は過ぎたが、少し下るとレストラン街があるはず。ハイキングコースは舗装道路と平行なので、時々、舗装道路を歩いた。12:50 六甲ロープウェイ山頂駅の裏。見覚えがあるような無いような場所。30年のブランクがあるので、記憶が定かではない。ガーデンテラスを目指す。13:00レストランあり。すぐに入る。カツカレーとサラダを注文。1000円と400円。カレーは旨かったが、カチカチ肉の煮込み。サラダはほんの一掴み。まあ、ほぼ山頂なので、値段の高いことはやむをえない。このあたりのレストランは、全部グルだから、どこに入っても似たような物だろう。奥様は仕事が積んでいるので、帰宅を決意。バスとケーブルを乗り継げば、簡単に下りられる。だからバスのない宝塚ルートから登ったのだよ。バスは14:02発。15時42分のサンダーバードに間に合うと思ったら、やっぱり間に合ったようだ。私は縦走路を探して歩く。昔々、ゴルフ場を横切ったことも記憶にある。興ざめなのは、しばらく普通の道路が続くこと。三国池付近からハイキングコースに入り。15:30自然の家。ここから徳川道に入ろうとしたが、逆方向に歩いてしまった。5分ばかり下ると、このままでは六甲に下りてしまうことに気づいて、引き返した。少しして穂高湖。雪が湖を覆っていた。道が錯綜して分からない。16:05シェール道に出てしまった。まあ、景色も良いし、ここを川沿いに下ることにした。どこでも寝られそうだ。しばらくして毎日登山の高齢者に会う。二週間前の大雪の写真を懐から出して見せてくれた。記録的な大雪だったらしい。私がちょっとその辺で寝る、趣味だからというと、びっくり仰天していた。しばらく行くと、川を渡る所があり、二つ目の徒渉点の手前に良い場所があった。16:30テント設営。本当は、上流に牧場があるので、最初の徒渉点程度でテントを張るべきだったが、まあ、浄水器もあるし、穂高湖からの水量の方が圧倒的に多かったので、問題はなかった。17:15顔を洗ってひげを剃り、水も4リッター確保した。夕食は同じメニューだが、一人減ったので、食べきれないほどあった。6時半過ぎに寝た。
三日目
5時に目が覚めた。非常に気持ちよく寝た。気温を調べると0度。装備が良いから寒さには気づかない。パン少しに、クリームチーズ、昨日のおかずの残りを食べた。7時出発。7:30桜谷分岐、8:40分水稜への分岐。このあたりはトエンティクロスと呼ばれる綺麗なハイキング・コース。何度も川を渡る。20回も渡らないが、数えたこともない。大昔に歩いたはずだが、記憶ははっきりしない。ずっと気温は0度が続く。河原近くで日陰が多いので、気温が上がらない。9:25市ケ原。小さな集落で、金網で住宅が囲まれている。イノシシよけかもしれない。このまま下るとつまらないので、方向を転じ、大龍寺へ向かう。9:55大龍寺。ここから再び南に転じ、大師道をたどる。奧駆けのような綺麗な道。10:10猩々池。完全に干上がっていた。10:40 灯籠茶屋。川沿いに小さな集落が残っていて、汚い駄猫が幸せそうに生活していた。11:20JR元町駅着。六甲山ハイキング終了
主な装備
テントはNallo 3、寝具はDownmat Pump 7, Marmot Herium.ライトウェイトのダウンジャケットも持って行ったので、寒さはまったく感じなかった。というか、寒さに気づかなかった。まあ、相変わらずショーツにTシャツだけど。TシャツはスマートウールとNorthfaceのTechunderwearの二枚重ねだった。マウンテンハードウェアのパーカーは重いが、暖かくて良かった。
ブーツはAsolo Sasslong。良かったが、時々、右足首を外側にひねった。長い間の痙攣のため、外側の筋肉がダメになっているため。JMTはもう少し、足首を保護するブーツで行くかなと考えた。マイクロスパイクは、装着しやすいし、岩と雪のミックスには良いようだ。
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