2023年11月28日火曜日
ハイキングの科学 Paperback版
Paperbackの価格がやっと正常表示。印刷コスト、アマゾンのリベートなどあり、これが下限値に近い値付けです。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E5%AE%A3%E5%AF%9B/dp/B0CND9TLWT/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=&fbclid=IwAR21-TOJYWsZUqprs20EQZV03iQbOOMeyQRMp_6HX7FlXkJuT_Si9LO5L2U
2023年11月13日月曜日
ハイキングの科学
無料キャンペーン
Kindle版 ハイキングの科学
月曜日, 11月 13, 2023, 12:00 午前 PST 金曜日, 11月 17, 2023, 11:59 午後 PST
アメリカ太平洋時間、日本では月曜日午後5:00から5日間無料ダウンロード可能。Kindleを持たない人はスマホのKindleアプリで。
2023年11月5日日曜日
Science of Hiking 2nd edition
free download
Fri, Nov. 3, 2023, 12:00 a.m. PDT to Tue, Nov, 7, 2023, 11:59 p.m. PST
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CMBTWXGS for Japanese
https://www.amazon.com/dp/B0CMBTWXGS
The editing for both Kindle and Paperback was done. The 2nd version expanded the description of Garmin watch and inReach device, and became much better on formatting, pictures, and hyperlink.
なお、日本語版は新曜社から出版予定でしたが、出版が相当に遅くなるので取りやめました。一ヵ月以内にPaperbackとKindleを自己出版します。
2023年9月21日木曜日
1998-2009年のブログ
2013-2010の写真は、画像へのリンクが壊れている。それぞれfacebookのアルバムがある。
2009-2007の写真はfacebookの 2009photos 他、参照。
2006-1998の写真は貼り込んだ。
2009年12月
ナイス・バディ育成講座
ナイス・バディのギャル以外は、ゼミ生としては引き受けられんと男性教官の意見がまとまり、週2回の40分の自転車漕ぎを課すことにした。もちろん授業は一つ潰した。4名の教官で仕上がり具合を厳しくチェック。言うこと聞かんヤツは再履修だからね。いやあ、今年の授業は良いね。ほとんど遊び。研究テーマは有酸素運動の心理的影響だからね。
准教授に心拍計付きの腕時計を買ってもらった。教授としては、心拍トレーニングの精髄を極める義務もある。出席を取った後は、運動場のトラックで軽くトレーニング。平均心拍数150で40分ばかりは走れるようだ。俺は結構丈夫。なかなか最近の時計の精度は高い。いやあ、辛いけど、これは研究でね。業務上、やむをえない仕事なんだよな。しかし、春のゼミ分けが楽しみですな。
ピチピチ・ギャルの争奪戦については、ワイルドキャンパー・村上×ミッドナイト・佐藤×ボンバー・下田×マッスル・石津の四つどもえの24時間一本勝負のダッグ・マッチが春に行われる予定。
2009年11月
僧ヶ岳へ
1043m地点の林道にて
夫婦とも体調不良。こういう時は、軽い山歩きがベスト。それで、宇奈月に行き、タクシーに乗ろうとするが、人がいない。宇奈月交通に電話すると、黒 部の祭りの関係で出払っていた。30分待たされる。結局、第二登山口に着いたのは11時くらい。まっすぐ登山道へ向かう。1043メーターの林道に出てか らは林道を歩く。烏帽子尾根が13時40分。テントを張っても良かったが、奥様の心臓は大丈夫とのことで、登り始める。下山する人たちとすれ違う。登山者 は合計十二、三人。頂上到着16時10分。相当の強風。テントを設営後、直下のたまり水から飲み水を7リッター作成。夕食はウィンナと乾燥野菜とご飯の炒 め物、お豆さん、スープ、果物は柿二つ。18時半頃から寝るが、満月で明るく、強風でテントが揺さぶられ、寝苦しかった。
次の日は4時頃に目が覚める。天気はしばらく保つが、完全な下り坂。6時過ぎに出発。片貝川へ下りたかったが、危険なので、宇奈月ルートをとる。と ころが、宇奈月ルートは人が歩かず、荒れ果てつつあった。落ち葉が滑って歩きにくい。9時20分、1043メーターで道に出て、林道を歩き、11時頃、平 和公園着。タクシーを呼ぶが、やはり出払っていて、宇奈月駅までというと嫌がられた。歩いて下りるつもりだったが、めずらしく観光客相手の無料バスがあっ た。11時56分、無料のバスで下山、さらに無料の足湯でくつろいで帰宅。
写真はここに upしておきました。
2009年10月
雨飾山軽バックパッキング
雨飾山の山頂付近。
天候が崩れる予報で、早朝に登山。頂上は強風、2度C。360度の素晴らしい眺望です。相変わらず、Tシャツと雨具の上、ショーツにスパッツだけで した。3年前に来た時と違って、老年登山者の集団が多い。100名山のバスツアーが3組ほど。登山口は人だらけ、車だらけの変わりようでした。ひどいこと になっていました。
登山の後は鎌池見学、高速道路が1000円になったのか、大きなカメラと三脚を持った人の群れ。おきまりの場所で写真を写し、登山道で小谷温泉に下 りました。風呂に入って帰るかと山田温泉に頼むと、団体さんが入っているからと断られた。初めての体験。非常に印象が悪かった。パックツアーを引き受けて あぶく銭が儲かると、日帰り客などは入れたくないらしい。登山の人は無料の温泉に入る方がよい。
写真はここに upしておきました。
2009年9月
帰ってきました
Mt. Whitney (8/20)。
アメリカは初めてだったけど
サンフランシスコとヨセミテで3日間、時差調整をしてゆっくり歩いたのは正解だった。
トウァルム・メドウまで奥様がご一緒。Lambert Dome も良かった。また、食糧補給は成功。
荷物の量と重さはアメリカ人を圧倒。しかも、3時間ノンストップのslow and steady walkingで印象づけた。一日の歩行距離はアメリカ人と大差なかった。
問題は英会話。最初はまったく聞き取れず、喋れなかった。ホテルではお手上げ状態。ほとんどアホ。
ヴァーミリオン・リゾートできれいなお姉さんに出会ってからめきめき上達。ところが、別れてからすっかり落ち込んだ。俺ってダメね。女には弱いから。しかし、ハグしてきたぜ。
立ち直ってからは、Asian Americanとして行動。英語はぺらぺら。夢まで英語だった。上品なおばちゃん、綺麗な奥さん、お姉ちゃん、ブルートみたいな入れ墨男たちと仲良しになった。
高度順応は完璧だった。マウントホイットニーも無問題。しかし、気圧が約半分で600hpaしかなかった。ちょっと驚いた。
ヒッチハイクは難しいと言われたが、難なく成功。Lone Pine からYosemiteまで半日で移動。お陰でCurry Villageで一週間食い放題だった。
ちょっとやばいことになったが、HikerのKevinは、プレゼントさえ持って行けば、奥様から毒殺されないよ、と教えてくれた。それで今の所無事だよ。
金髪美女も一杯いたし、英会話のレッスンも無料。もしかしたら......できるかもしれないぜ。若いヤツは、これからはJMTで決まりだぞ。
詳細については、JMT 2009 Special Page を参照のこと。写真は無圧縮Jpgで2000枚ほど撮った。
2009年7月末
ちょっと出かけるね
撮影:朝日新聞S記者by Leika M8(60万円)。
どこにピントがあるのか分からないのがLeikaレンズの特徴。しかし、印象派的なきれいな絵を出す。少しは欲しいが高すぎるぜ。 フォーサーズ用(Olympus用)のライカレンズ(14-150mm)なら11万円程度。一年前から悩んでいるが、防滴でないし、買う決心が付かない。
アメリカは初めてだけど
サンフランシスコはGoogle mapでスーパーマーケットとかフードストアを見つけたので大丈夫。
ヨセミテのカレービレッジにはビュッフェやピザ屋があるので問題なし。
トウァルム・メドウにもスーパーがあるし、ソフトクリームもあるので問題なし。
ヴァーミリオン・リゾートには巨大ホットケーキとアップルパイがあるので、超楽しみ。
マウントホイットニーの頂上にはアップルパイがない。登頂できるか不明。だれか何とかしてくれ。
まあ、ローン・パインまで歩けば安宿とフードストアがあるから無問題。
仕事で忙しい人は頑張ってね。君たちの分までたっぷり遊んでくるから。
2009年7月
僧ヶ岳-縦走、駒ヶ岳ピストン
みんなの山は俺の山
体調は中の下。トレーニングと装備のテストを兼ねて、何時もの裏山を縦走することにした。Hilleberg Aktoは洗濯して補修済み。JMT用に置いてあるので、久しぶりにSerraDesigns のHyper Light ASTを持ち出した。出発時は総荷重20キロ。重石を少し持てば良いのだが、持ちたくなかった。猛烈な暑さでバテました。靴とカメラはダメなようで、何時 ものように軽量化に失敗。この夏は大丈夫なんだろうか。
初日---東蔵から片貝山荘へ
Sunday Afternoons Adventure Hat。美男美女には素晴らしく似合う。それなりの人にはそれなりに似合う。
午前中は仕事で抜け出せず、午後に脱出。魚津駅発のバスは13時8分、コンビニにはロクな食い物がないので、何も買えない。まんじゅうが欲しかった が、太っているので我慢。東蔵は13時40分。もの凄く暑い。記念撮影をしてぶらぶら歩き。Adventure Hatは暑い時に良い。14時13分、みんなの広場。何か建物が建つらしく工事中だった。遭難碑15時11分。温度計は32度。どうなっているのだろう。 真夏だ。
遭難碑。
第四発電所上流。
正面は片貝山荘、右は発電所。
片貝川
Hyperlight、フライなし。
Hyperlight、フライつき。片貝川の発電所15時20分。片貝の登り口を過ぎ、何時もの場所に行くが、工事のプレハブがある。砂防工事で発破作業をしている。人はいないが、テントは 張りづらい。16時40分。少し離れた道ばたにテント設営。近くに川への降り口あり。水4リッター作成。テントの中にブユが何匹も入り、10ヵ所くらい食 われる。ウルちゃんにもらった超高級羊羹とコーヒーで休憩。
ほうれん草とウインナのクスクス。
オニオンスープ。
17時50分。コッヘルにウィンナとほうれん草を入れ、たっぷり水を入れる。そして、鶏ガラスープを少し加えて煮物を作る。クスクスをフライパンで 温めて、煮物を注いでしばらく放置するとできあがり。結構、美味しくできた。やっとクスクスをマスターした。オニオンスープは自然食品で添加物なし。今は 亡き軍曹に教えてもらった。JMT標準採用決定。19時、歯を磨いて寝る用意。夜中は星空がきれいだった。ダウンマットは空気を抜き加減で使う。シュラフ は全開にして掛け布団とした。氷点下対応の装備なので、暑い。
二日目---片貝から僧ヶ岳、駒ヶ岳ピストン
4時過ぎに起きる。少しテントには風が入るが、それでも19度。カシオのプロトレックの温度計は改良されている。あまり体温の影響を受けないよう だ。マンゴー、パン、チーズ、コーヒーの朝食。4時20分、車が一台上っていったが、しばらくすると下りてきた。駐車する場所が見つからなかったのだろ う。5時、毛勝に登る人がいた。少し話をする。先程の車の人かもしれない。5時30分出発、水は2リッター持った。登山道脇に綺麗な花がある。
写真ではわかりにくいが、登山道の斜度は45度から60度。
笹百合
伊折山にて
6時半、小休止、970メーター地点。カメラのグリップが外れかけていたので直す。中高年の登山者が一人、追い抜いていく。7時45分、伊折山、1370メーター、8時40分、成谷山、1600メーター、やっと平坦になる。
小さな草花
ツツジ
成谷山からの展望。左手が僧ヶ岳、右手奥が駒ヶ岳。
眼では綺麗だったが、写真では綺麗でない。12-60ミリの高級ズーム。オートだと露出が飛んでしまう。本体がE-620のためかもしれない。9時5分、やっと池。1660メーター地点。9時15分、先に昇った人が下りてきた。
剣見の池。カエルの卵だらけで、飲みたくない雰囲気。オートだと露出が飛ぶ。
僧ヶ岳手前の雪渓
10時山頂。少し疲れた。小休止する。70歳過ぎのおばあさんが登ってきた。若い者が遅いという。中年の人、60歳くらいの人。荷物を置いていって大丈夫 かなというと、おばあさん「そんな重いもん、金払っても持って行く人おらんわい」という。そういえばそうだな。10時15分、天気も良いし、ドライコンプ サミットに切り替えて駒ヶ岳へ向う。少し、急勾配のところで足を上げると太ももが攣った。左右とも太ももが参っている。だましながら歩く。雪渓の上で山菜 を探していた女の人一人。中年の人、老年の人に追い抜かれる。駒ヶ岳の少し前で、急勾配でロープを張っている所の後、二人を追い抜く。二人はバテてしまっ た。
左が駒ヶ岳山頂
久しぶりの駒ヶ岳
11時45分、駒ヶ岳。一応、コースタイム程度。頂上でカレーうどんを煮ていたおじさんに写真を撮ってもらう。女の人は奥。男二人は遅れてきた。パンを食べて休憩して12時15分出発。脚が攣らないようにゆっくりと歩く。カレーのおじさんは先行。男二人はずっと休憩。
駒ヶ岳から見た僧ヶ岳
13時45分。僧ヶ岳に到着。一応、コースタイム通り。しかし、暑いし、バテバテなので、わざわざ林道まで下りることもないだろう。頂上でテントを 張ることにした。中年の人が一人いた。ここで寝るというと、「たった一人で」とびっくり仰天。寂しがりの人のようだ。雪渓の下に行き、浄水器で水を4リッ ター作成。最初、ポンプが水を吸い込まず、焦ったが、何度かすると上手く行った。頂上に戻ると男二人が戻ってきた。15時にテントを組み立てるが、テント が大きすぎて、いつもの木陰に張れない。やむをえず、頂上のど真ん中に張る。どうせ、明日の朝まで誰も来ない。少し涼しくなったので、テントに入りFMを 聞きながらウトウトする。
ニンジンとウインナのクスクス
17時過ぎ、食事の用意。18時、ニンジンとウインナのクスクスを作る、FMでマイケル・ジャクソンの特集をしている。突然、死んだらしい。19時前に寝てしまう。
三日目---僧ヶ岳から宇奈月駅まで
4時15分に目が覚める。気温は15度。夜中は星空だった。少し高層雲あり。パン、チーズ、マンゴーの朝食。4時50分、二杯目のコーヒー。晴れてきた。5時30分出発、宇奈月コースとの合流点近くは、白根葵など、花が綺麗。
白根葵
カンゾウの一種だろうか
6時、登ってくる夫婦と会った。烏帽子の林道を4時半に出たという。ハイペースの人、午後からはゴルフがあるのでという。タフな人達。林道の方に下 りることにした。7時20分、林道に出る。脚をかばいながらだが、2時間かかっていない。登山者が続々と集結中。暑いのでスパッツを外す。8時45分、 1100メーター地点の第二駐車場の付近で、新湊の団体20名ほどと会う。リーダーに頂上付近の雪のことを聞かれた。バスが止まっていた。運チャンはぶら ぶら。6時間待つという。まあ、7時間くらいかかるでしょうと言っておいた。海王交通、新湊の海王丸の名前をとったらしい。舗装道路をすたすた歩く。足の 裏は痛いが、医療用ソルボなので、一応は大丈夫。途中、流水で顔を洗いヒゲを剃る。
サルは観音公園と宇奈月の間にいる。用心深い。
9時50分、観音公園。普通ならタクシーを呼ぶが、続いて歩く。サルがいた。望遠は弱いが、写真は中央部のみを拡大した物。10時50分宇奈月駅 着。11時の特急に間に合った。ところが、ウォーキングスタッフを切符売り場の所に忘れた。改札の人が持ってきてくれたので助かったが、1500円のタク シー代をケチって15000円を失うところだった。
JMTに向けて---カメラと靴
カメラは難しい。E-620は撮影モードダイヤルが電源スイッチをON/OFFする時に回ってしまう。ロック装置が欲しかった。現在、脱着できる 位置にエポキシ粘土を少量付けて、モードダイヤルが動かないようにした。つまり、撮影モードはプログラムモードのみとした。これでうっかりマニュアルモー ドなどになってしまうことはない。ほとんどの場合、プログラムシフトで対応できる。露出調整もボタンを押してからダイヤルを回す方法に変更した。これで、 問題は解決したが、ファインダーが悪いので、構図に神経を使わない。今回の写真は奥様にぼろくそである。せっかく遊びに行くのだから、きれいな写真を撮っ てきたい。構図には最大限気をつけることにする。
後で気がついたが、普段履き用のASOLO Expert GV GTXのサイズ10.5を履いていた。少し窮屈な感じはしたが、インソールはソルボメディにしたので、マメはできなかった。拡張工作がうまく働いたということだろう。
太ももの痙攣は大したことない。これは加齢や鍛錬不足による筋力の低下だろう。最大パワーを出さないようにして、動いていれば自動的に解決する。
問題はふくらはぎや脚全体の疲労感である。これは、ASOLOの足首のサポートが弱いために、重心を安定させるために筋力を使うためだろう。ハイカットで固いとはいえ、布製である。どうしても革製よりは弱い。靴のサイズでは解決不能である。
膝の疲労感は重大である。春に大峰山に要った後でも感じた。これは靴底が硬すぎるためである。インソールで衝撃を吸収するほかないが、ソルボメ ディでは少し力不足であった。すると、ソルボスーパーライトしかない。これはわずかに分厚いので、使えるとしても問題がでるかもしれない。もう一度、サイ ズ11.5を買い直す気力もないし、買い換えても足首の固定の問題は残る。
Vermilion Resortを出発する時には28キロくらい持つかもしれない。脚を痛めなければ背負える重量である。と言う訳で、安全のためシリオ712-GTXで JMTに行くことにする。JMTでは、スルーハイクを目指すが、それは目的ではない。のんびり楽しく歩くことが目的なのだ。どうせ高い飛行機代を払ってい くのだから、山の中で可能な限り長く過ごしたい。
2009年6月
奥能登で、軽くトレーニング
シャク崎からの木ノ浦方面の眺め
上顎奥にインプラントの基部を打ち込んだため、しばらく運動ができなかった。しかも、本の書きすぎ、出し過ぎ。奥様の体力も限界。こんなことでは、 JMTは歩けない。どうしても、軽く長距離を歩く必要がある。再び、安近短の能登半島。のんびりして良い場所なので、つい出かけてしまう。しかしながら、 インソールとソックスに失敗。久しぶりに足が豆だらけになった。新しい靴を履きこなすのは時間がかかる。今は失敗ができるから良いが、JMTではそうはい かない。
初日---鉢ヶ崎から狼煙へ
奥様御用達、金沢日記、840円。
JRで金沢、9時26分着。お弁当を買い、スターバックスへ。ところが、コーヒーが薄いし、スコーンもたいした事ない。最近は機械で入れるようにな り、苦情が多いという。店を出る。ジャーマンベーカリーもあり、パンを買って、飲み残しのコーヒーをバスに持ち込む。乗客は合計15名。高速バスは10時 半に出発。
何時もの場所で記念撮影。
鉢ヶ崎到着は13時過ぎ。トイレを済ませ、水を補給。何時も来る時期より1ヶ月は遅いので、草が茂っていた。大昔、自転車で来た時はよく寝たが、ここにキャンプ場ができてから、一度も寝たことはない。馬鹿高い料金は払いたくないから。
海岸線の道をえんえんと歩く。狼煙まで15キロ。
海岸を見学して、道路歩き。インソールは硬いようで、失敗。足先が痛む。小泊児童公園14時50分、小休止。
須須神社、16時35分、小休止。一度も見学したことがない。水の補給場所。
狼煙灯台、18時。今夜のお宿はすぐそこ。
Fly Creek UL1 と Lunar Solo
宿泊予定の公園。18時過ぎに到着。風が強い。見えない奥にテントを張るが、地面が固く、ルーナ・ソロは難しい。休憩所のところに移動。テント設営。ルー ナ・ソロ付属のペグが稲妻形に曲がる。とても使えない。このテントはJMT不採用に決定。トイレは健在。水、5リッターばかり浄水器に通す。テントが狭い ので、休憩所に入り、煮炊きをする。机とイスが置いてあった。景色を眺めながら調理と食事。19時過ぎには薄暗いライトが付いた。別荘のようだ。しかも無 料。両足に2センチばかりの豆ができていた。針で水を抜く。ソックスが厚かったのとインソールが硬すぎたため。奥様はBig Agnes Fly Creek UL 1。ペグ込みで1.0キロ。夫婦別室ということで、お気に入り。8時過ぎにぐっすり寝った。
二日目---狼煙から曽々木へ
休憩所。築十数年。初めて見た時はびっくりした。テントは裏側に設置。
4時半に起きる。ジャーマンベーカリーのジャガイモとマヨネーズとマスタードのパン、コルネ。自作のパンを一枚、チーズ、コーヒー、マンゴー。ベランダで景色を見ながらの朝食。非常にリッチな雰囲気。夜に雨がわずかに降ったが、天気は曇り。6時20分出発。
奥能登遊歩道が始まる。
距離は短いが、ここは歩かないといけません。
素晴らしい雰囲気の道。
川浦町に出る。
シャク崎の手前から海岸線に出る。
8時、シャク崎の手前で小休止。足の裏が痛い。8時10分出発。遊歩道は草を刈って整備されている。
シャク崎から振り返る。狼煙岬は一番奥。
9時15分、木ノ浦の遊歩道のもっとも高いところで記念撮影。小休止。早いが昼食とする。オニオンとベーコンパンとチーズ、マンゴーを食べ、コーヒーを飲む。雲は垂れ込めているが、雨は降らない。風は弱い。
フジだろう。
9時50分、出発、千本椿のトイレで水を補給、遊歩道を歩く。
気持ちの良い遊歩道の終わりが見えた。
岳山の手前。
鰐崎の手前。
大谷町到着は13時。珠洲からのバスは出た後だった。珠洲市の駅伝大会をやっていた。見附島からの往復らしい。パンを食べてバスを待つが来ない。よ く見ると、13時45分には米印が付いていて、日曜運休だった。アステリスクは日曜運行だったりして、紛らわしい。いつも希望的観測の方に間違えてしま う。この後は16時50分しかない。やむを得ないので歩くことにした。曽々木まで12キロ。14時出発。
長橋町。前方は鞍崎。
15時40分、道の駅で小休止、水を補給。足の裏の豆が大きくなり潰れた。曽々木で輪島行きのバスに乗って、風呂に入り、スーパーで買い物をして、袖ヶ浜にテントを張り、豪勢な食事をする話で盛り上がった。まあ、いつものパタン。
真浦町を過ぎると、曽々木まで2キロほど。
曽々木の窓岩。
曽々木口の空き地。
17時05分、曽々木着。金沢までは、6時半に高速バスがある。輪島行きのバスを調べると、18時20分しかない。輪島に行っても19時。それから 風呂に入り、買い物して袖ヶ浜に移動すると、8時を過ぎる。結局、輪島は遅くなるのであきらめた。まあ、いつものパタン。バス停のトイレは潰されて自転車 置き場になっていた。事務所の隣で水をもらう。店に入るが買う物がない。卵を一ケースとぷっちんぷりんを買う。海の傍の空き地に侵入。テント設営。ルー ナ・ソロはダメだな。張りにくい。風も通る。ご飯を炊く。高菜を戻して、少し鶏ガラスープを加えて、炒めてご飯を追加。最後に卵を加える。結構、おいしく できた。メニューは、卵と高菜のチャーハン、ふじっこのサツマイモ、ふじっこの煮物パック、タマネギのスープ。デザートに、プッチンプリン。フライパンが 抜群の性能を発揮する。8時過ぎにぐっすりと寝た。
2009年4月
奥駆け、敗退記
六日分の食料
大阪の浦野歯科で検診を受けた後、奥駆けでもと考えた。大阪の安ホテルに泊まった後、近鉄特急で吉野を目指した。ジョン・ミューア・トレールのシ ミュレーションと考えて、食料は類似の物、防寒着もシュラフも軽めにした。縦走のことは真剣に考えなかった。天候は急変。猛吹雪になったので、即、逃げ下 りた。馬鹿力があることと、根性のないことは確認したが、これは自明だった。
食料の内訳を説明しよう。全粒粉クスクス500グラム×3、健康のことを考えて全粒粉とした。吉良食品の乾燥野菜×6、サラミ5本、ビーフジャー キー半袋、フリーズドドライのスープ6、自作のパン1本、6Pチーズ3箱、ドライマンゴー60グラム×3、お菓子として、もらい物のの羊羹1、フルーツグ ラノーラ2袋、スキムミルク1袋。総合ビタミン剤、ビタミンC。2/3は持ち帰ったが、一日の消費量はそれなりに確認した。なお、今後は保存料の入ったサ ラミは廃止してコンビニのビーフジャーキーを採用する。出発時の総重量は水抜きで22キロ。
初日---吉野から五番関へ
吉野の町を眺める
7時に朝食を食べて、8時05分の近鉄特急で吉野へ。9時26分着。バスが待っていたので乗ってしまった。乗客はたったの一人。ぐるりと大回りして9時50分、中千本着。桜を撮影しながら歩いた。展望台から吉野の眺めも良かった。
10時45分、水分神社。誰もいない。
10時24分、金峯神社。
近鉄阿倍野のコンビニで買ったパン二つで昼食とした。きなこマフィンと甘納豆入りの蒸しパン。きなこマフィンはユニークで旨かった。浄水器でトイレ の手洗いの水から飲み水を1リッター作る。気温6度、12時出発。青根ヶ峰を通らず、新しい脇道を行ってみた。こちらの方が景色はよい。12時50分、心 見茶屋跡、1045メーター地点。13時11分、小さな雹が落ちてきた。気温0度。雹は短時間、ボールペンが書きにくい。鉛筆の方がよい。風が強いので、 長袖の下着を着る。13時30分、1125メーター地点。14時少し前、四寸岩山。
二蔵宿にて
14時10分、足摺の宿。15時5分、二蔵宿。登山者が一人、盛んに蒔きを炊いている。写真を写してもらった。小屋を出て小休止。意外に道が悪かっ た。気温3度。二番目の水場で水を4リッター作る。16時半出発。これで総重量26キロ。少しペースは落ちるが、この程度の重さなら特に問題はなさそう だ。
急激に天候が悪化
17時過ぎ、五番関に到着。急激に暗くなり、小雪が舞ってきて寒い。大急ぎでテントを張った。夕食は高菜とサラミのオイスタース煮にクスクスを加え た物。18時食事、まあまあか。DEGENはAMはもう一つだが、FMやTVがよく入る。イヤフォンの能率が高すぎるので、サーという雑音が聞こえるのが 欠点か。シュラフはスリーシーズンで、防寒着はライトウェイトのダウンジャケットのみ。21時、前室マイナス2度。飲み水が凍り始めた。
二日目---五番関から小笹の宿へ
午前2時マイナス4度、雪は時々激しく降る。5時20分に起きる。前室はマイナス6度。朝食は昨日、食べきれなかったクスクスの残りとチーズとコー ヒーとマンゴー。積雪は5センチ程度でたいしたことはない。しかし、外の気温はマイナス10度。こんなに寒くなるとは予想しなかった。奥駆けはどうしよう かと悩む。まあ、だめでも、山上ヶ岳まで行くことにした。7時40分、鍋冠行者、マイナス8度。たまり水はなかった。
鞍掛の岩場を上から撮影。振り返ってみると、かなりの急勾配。
8時半、鞍掛の岩場を通過、マイナス10度。氷は付いていなかったので、アイゼンは不要だった。
洞辻(どろつじ)茶屋を出た所。たまたま雲が切れた。
9時20分、洞辻茶屋、マイナス10度、強風で寒い。ガランとして何もない。自宅に携帯で連絡。9時40分出発、新道があったので行ってみる。良い道だった。
山上ヶ岳の宿坊が見える。
大峯山寺
11時、大峯山寺。人は誰もいない。パンとチーズで昼食。吹雪。マイナス8度。一応、小笹の宿まで行って考えることにする。11時15分出発、12 時20分、小笹の宿。冬山装備で来なかったので、行くべきか思案。行者還まで行くのは止めて、ここで一晩過ごすことにした。水4リッター確保。携帯で自宅 に連絡。
小笹の宿でだらしなく過ごす
13時半、部屋の中でマイナス4度。寒いので、コーヒーを入れて、ウルちゃんからもらった羊羹を食べる。なかなか旨い。持って行った新書本を寝転ん で読む。14時過ぎ、登山者が一人くる。だらしないところを写してもらう。根性を試したいという人で、小屋止まりなので、どうしても今日、行者還まで行く という。道と水場を教える。ちょっと心配だった。15時40分、日が差す。明日は天候が回復するかもしれない。
テラノバの超軽量テントを持っている人が来た。小屋があるとは思わなかった。こちらが外で寝ると行ったが、どうしても外で寝たいという。テントは初 めてという。超軽量ピッケルも持っていたし、かなりのマニア。テントのテストをしたかったらしい。50歳前後の静かな人。食事もテントで作っていた。本を 読了。クスクスを1カップに減らして食事を作る。水はゆっくりと凍るが、性分なので、手元に4リッターを確保。食後にグラノーラにホットミルクを注いで食 べる。こちらの方が旨い。夕焼けを少し見て、18時に寝始める。寒いので、小屋の毛布を借りる。
三日目---小笹の宿から洞川(どろがわ)へ
22時マイナス6度、零時マイナス7度、2時半マイナス7度、4時半マイナス8度。小屋といっても屋根の破風に穴が空いているので、時々、雪が舞い 込む。5時過ぎに起きる。残念ながら、吹雪、烈風。6時半にトイレを済ました。かなり水が凍っていたので、湯を沸かしてプラティパスに注ぐ。無理に奥駆け してもつまらないので、引き返すことにした。もう一人の人に挨拶をして6時40分出発。
前日のトレースは消え始めた。
7時、急勾配のところでアイゼンを出す。しばらくアイゼンを付けるが、シューグーで貼り付けた部分がゆっくりとはがれてきた。ひもで足首のベルトと 連結し、完全に外れないようにしていたが、安全上、この方法はだめらしい。ワンタッチアイゼンは靴を変更すると、買い直しになる。
吹雪の大峯山寺
大峯山寺の山門
大峯山寺を下った所
7時40分、山上ヶ岳。吹雪いていて、そこそこの積雪。8時16分、陀羅尼助茶屋。アイゼンを付けた二人の若者が登ってきた。何でもない所なのでびっくりした。よく考えてみたら初心者だろう。アイゼンの付けっぱなしは体力を消耗するので、必要な場所のみで装着すべき。
8時40分、洞辻小屋。吹雪。自宅に連絡。若い男が一人。ここで夜を過ごしたが、寒くてたまらなかったという。山上ヶ岳までアイゼンは要らないとい うが、彼は引き返すことにして、少し先に出発。8時50分、こちらも通ったことがないので、洞川の方に下りることにした。良く整備された道。お助け水はか なり下りた所。子供連れの高齢者も来た。信者さんのようだ。
女人結界にて
10時20分、女人結界を経て、林道に出る。若者は休憩してからというので、先に歩く。洞川にオートキャンプ場はあったが、場所がつまらない。値段は5000円以上。とんでも無い。
ふくろうの飾り物
富山まで帰ろうかと、ぶらぶらとバス停まで行くと、12時半過ぎで、バスは出た後。この後は16時前しかない。観光案内所で宿とかキャンプ場を聞 く。徒歩30分の洞川キャンプ場がある。一休(ひとやすみ)という素泊まり3900円の所もある。小雪の中、ぶらぶら上流に歩いて、悩んで洞川キャンプ場 に電話してみた。一人で小さいテントなら1400円で良いそうだ。冗談じゃない。止めた。どこに行こうかと迷っていると、建築のアンちゃんが声をかけてく れた。温泉センターがちょっと下流にあるという。昼飯は向こう岸の定食屋が良いよと教えてくれた。
「きらく九兵衛」の天ぷら定食、1550円
とりあえず、腹ごしらえと、食堂に行く。非常にきれいな新しい建物。入ると、先ほど歩いていましたねと言われた。観察されていたらしい。靴を脱いで 部屋に入る。川岸の景色がよく見える。何が良いのかわからない。天ぷら定食を頼んだ。期待はしていなかったが、これが素晴らしかった。タケノコも味を付け て揚げてある。ご飯もおかわりして良いという。おかずがいっぱいなので、ご飯もおかわりした。非常に旨かった。旨かったので、洞川のイメージが逆転。実に 良いところだ。俺は単純だな。
13時、食事終了。温泉センターを目指して少し歩くと、洞辻茶屋から一緒に歩いてきた若者と合流。観光バスの人たちが風呂に入ったので混雑している という。ではとコーヒーに誘う。しばらく無駄話。次のバス停まで歩こうと言う話になったが、やはり風呂に入りたくなったので先に失礼した。風呂からあがる と、先ほどの若者のバックパックがそばに置いてあった。バス待ちの登山客もいた。バスは16時前しかない。一緒に一駅歩くことにした。川沿いの御手洗渓谷 ハイキングコース。30分で次ぎのバス停に着いた。彼は探索し、休憩所があるという。そこに行くと、立派なトイレがあった。帰れても夜中だし、宿泊するこ とにした。しばらく待って、彼をバス停まで送った。トイレの反対側に山に登る道が少しあり、広い空き地があった。16時過ぎにテント設営。全くの一人。気 持ちがよい。ビーフジャーキーを入れたクスクスの煮物が旨かった。18時食事終了。しばらくして寝る。21時、鹿なのか、キンキンとうるさい。咳払いをし て「うるさいよ」と言ったら黙った。小雨かと思ったら雪が降る。
水洗トイレ付き、千坪を独占。
ビーフジャーキーを入れると旨い。昼飯の食い過ぎでクスクスは少量。
四日目---洞川から富山へ
朝5時に起きる。マイナス5度、テントは凍っていた。7時、パッキング終了。0度になって暖かい。バスが7時25分に来て、下市口まで。1200 円。町の近くまでずっと一人だった。近鉄の急行にのり、のろのろと京都へ。京都で11時10分のサンダーバード。福井まで立つが、その後は座れた。自宅は 3時前に到着した。短い春休みになってしまった。
2009年2月
大辻山ハイキング
大辻山からの眺め。
「山より道具」のウルちゃんが来富 ということで、安近短の大辻山を選んだ。今年は雪が少なく、春山状態。ただし、直前に新雪があったので、それなりのラッセルが必要だった。雄山神社の傍の 宿坊を見学してから中尾根をスノーシューズで突破、久しぶりに立山青少年の家に立ち寄り、昼飯をたらふく食べて、ライオンズの森の入り口の広場でテント 泊。二日目に大辻山をピストンし、普通の人は立山青少年の家から車で帰る所を、我々は千垣駅まで歩いた。適当な人間がガイドするので、適当にトラブル発 生。まあ、一応、無事に下りたし、天気も良かった。喜んでもらえた(?) だから成功。
初日---中尾根からライオンズの森の広場まで
中尾根で奮闘するウルちゃん。我が奥様の歓迎の品、パイナップルがずっしりと応援中。
ウルちゃんは夜行バスで早朝来富。やむをえず、5時に起きて、6時半に富山駅。立山行きの電車は7時26分しかない。食料を分担して持ってもらう。 無駄話をしながら待合室で時間を潰す。8時半頃、千垣に着くとバスが止まっていた。雄山神社まで行くというので、トイレで慌てて水をくんで乗せてもらっ た。雄山神社には、水はあってもトイレがなかった。博物館の人にトイレを使わせてもらう。宿坊は開いているので、見学したらといわれたので、見学に行く。 上がり込んでのんびりと見学。地獄絵がおいてあった。係の人が熱心に解説してくれた。参った。しかし、底冷えがする寒さで、外よりも寒い。ぎんなんをお土 産にくれた。少し歩くと、建築現場前で雪。9時。スノーシューをつける。中尾根ルートを辿る。よく知っているので問題はない。雪は入り口は多かったが、比 較的しまっていた。新雪を踏みしめるのも気持ちがよい。林がきれいだ。10時40分、道に出て、スノーシューを外す。バスが2台ばかり降りてくるが、 ショートパンツのためか、じっと見詰められた。
立山青少年の家で
立山青少年の家は11時頃到着。懐かしい増田さんがいた。予算を減らされて厳しそうだった。お茶をもらった。少し話をした。食事は11時45分か ら。昼食代は530円。また、皿を二枚とって注意されてしまった。以前も叱られたことを思い出した。めずらしくラーメンを食べる。げんげえの干物があっ た。旨い。サラダはたっぷりと食べた。ウルちゃんはラーメン2杯に豚丼一杯、げんげえ6匹に山盛りサラダと、食いまくった。食堂は赤字だな。
バックパックはSolitude
ウルちゃんは、Kelty のSuper Tioga Anniversary Modelで決める。
13時出発。城前峠までは圧雪。その先は新雪がしっかりと積もっていて、かなり応えた。なかなか前に進まない。時々、先頭を交代してもらう。15時40分、ライオンの森の入り口の広場。疲労してきたので、ベースキャンプを設置。
タコを切り分け、酢の物を作る。
具だくさんの粕汁
サスの昆布締め
メニューは具だくさんの粕汁、たことキュウリの酢の物、サスの昆布締め。そのほか、煮物もあったが、量が多すぎて、とても食えなかった。酒を少し飲んで、少し卵チャーハンをする。ウルちゃんが一合をMSRのカップで計ったので、大量に炊いてしまった。
20時頃、寒くてたまらなくなり、寝ることにした。シュラフに入り、しばらくは寒かったが、一眠りすると暖かくなった。シュラフが少し湿った。テントの中はマイナス6度止まり。ユニクロの薄手セーターをTシャツの上に着て寝た。まあまあか。
二日目---大辻山を往復して千垣まで
雪まくり、どうも一瞬でできるようだ。
5時半に起きて6時頃にウルちゃんを起こす。晴天の予報だが、雲を見ると下り坂。パン、チーズ、マンゴーの朝食。7時40分出発。新雪が重い。9時20分、前長尾山、10時半、山の上は雪が比較的締まっていた。
稜線に出た。
木の根元近くで雪の空洞があり、ウルちゃんが落ちる。腰まで沈んだので、激写してしまった。冷たかったかな。スノーシューはMSRライトニング、軽 く浮力があるが、急勾配の下りは苦手だ。急傾斜はジグザグに登る。わかんの人が一人、先行する。トレースを盗んだので、楽できたはず。あまり強い人ではな く、山頂近くで追いついた。
11時過ぎに山頂。曇ってきたが、室堂の建物まで見えるし、称名谷の景色が迫力があった。ウルちゃんが少し遅れて登頂。記念撮影をしてもらう。その 後、高齢の男女。山男らしい高齢者1名。板2枚をひもで接続し、観音開きにして、風防にしていた。忘れたが、最初の中年の人か、この人が横江の人。
記念撮影
11時50分、山頂発。下りるのは速い。途中、ウルちゃんを知っている人が登ってきた。その人は、俺の本を読んだという。参った。ベースキャンプに 戻り、パッキングを済ませてからパイナップルを切って食べる。なかなか旨くて、元気が出た。立山青少年の家に15時20分頃、到着。一応、増田さんに無事 下山したことを報告。バスの時刻もあるので15時半出発。16時18分のバスに間に合わない。早足で歩く。後、2キロくらいのところで車が止まる。立山青 少年の家の職員。荷物が乗り切らないので、私だけ乗る。ウルちゃんは走るという。好意に甘える。バス停にいってよく見ると、日曜日は運行しない。尖山温泉 に行きたかったが、結局、千垣まで歩き、地鉄に乗り、富山駅前の観音湯に直行した。
2009年1月
御前崎から渥美半島まで
サーファーを写している人に撮ってもらった。
グーグルアースで調べると、御前崎から渥美半島まで、歩けそうな砂浜が続いている。歩くのは馬鹿かもしれんが、歩かないのは勿体ない。そこで、今回 も海岸バックパッキングとした。昨年は骨の補填手術を受けたため、寒さが身に滲みた。今年も上顎洞に骨を入れたので、やはり寒い。ただ、去年よりは、少し だけは寒さに強くなった。シュラフは3シーズン用、マットはTHAMAREST ProLite 4。ただし、猛烈な向かい風と寒気が襲ってくる。よく考えれば、渥美半島から御前崎に向かうのが正しいのに、よほど、逆境が好きなのか。何時も向かい風に 立ち向かう。
初日-御前崎へ
富山発のワイドビュー飛騨号。スカスカなのだ。
御前崎までどう行くか。御前崎観光案内のアクセスのページを調べた。JRで名古屋に行き、新幹線で浜松、そこから在来線に乗り換え菊川駅まで行く。 シズテツジャストラインのバスと自主運行バスを乗り継げばよい。どうせ行くならと、初めて高山線の飛騨号に乗った。窓が膝の高さまで広いのでよく景色が見 える。自由席はがら空き。客をバスに取られたのかもしれない。車内販売は高山からだという。窓の外は雪で、山間部に入ると50センチ程度の積雪。高山から 少し人が乗り込み、車内販売も来たが、弁当は少し。どうせなら、名古屋で超豪華弁当と行こうと我慢した。
名古屋満載、1000円!
12時過ぎ、名古屋駅。駅の構内で駅弁を買い、新幹線の中で食う。名古屋の食べ物が一通り入っている。JRで菊川まで行き、静鉄ジャストラインのバ スに乗る。自主運行バスに乗り換え、15時半、海洋センター前で下りる。乗客は一人。ネズミ塚で水を3リッター確保。灯台まで歩くが、入館料200円とあ る。中なんか見てもつまらんので省略。海岸に下りて歩き始める。
御前崎灯台、入場料200円。もちろん入らない。
しばらくは道路沿いの遊歩道を歩く。1時間くらいで道は内陸に向かうので、砂浜を歩く。ウィンド・サーフィンが盛ん。向かい風、強風。キヤノンのばかでかい350ミリ望遠ズームを持って写していた人がいたので、撮影を頼む。
夕暮れ時が迫る。
しばらく歩き、防波堤をよじ登り、防風林の中にテント設営。4時半頃。5時くらいから暗くなる。ご飯を炊く。替えソックスを忘れたのに気づく。スーパーフィートというインソールを使ったが、固めで、足裏が痛い。これは失敗だった。
初日のお宿。風を避けるため、松林の中。
二日目-御前崎から袋井市海岸へ
お宿の下の堤防の道。
朝、6時まで寝てしまった。くたくたで、おかずも足りなくて、夜中にパンをだいぶ食べてしまった。朝食は、パンとチーズとコーヒー。7時半出発、晴天。
道はなくなり、遠くに浜岡原子力発電所が見える。
原子力発電所を迂回するために県道に出る。自転車道あり。上ノ原に、サンクスがあった。ベーコン、どら焼き、チーズを買う。9時再出発。少し砂浜を歩く、大東港。
きれいな砂浜が続く。
菊川(菊川とか掛川とかは川の名前、地名と紛らわしい)の潮騒橋の所で防犯パトロールの人と話。食堂は温泉の所がよいという。少し引き返し、温泉に 行く。入館料は500円だが、これは温泉代。入らないということで、無料で食堂まで。お勧め定食は掛川いも汁定食1000円。飯は冷えていて、不味かった が、芋汁をかけると旨い。サバ出汁。まあ、1000円なら良心的。
掛川いも汁定食1000円。
大東港からは富士山が見える。
12時45分出発。三浜海の家、屋根があるだけ。
サーファーが多い。俺は泳げないので、格好いいスポーツはダメ。
15時、白砂橋。弁天大橋を渡った所に水とトイレがあった。15時40分、水3リッター確保。テントが張れる場所はあるが、たき火の跡が多い。それ と窪地。風は当たらないが、日も当たらない。面白くない。少し歩くと、サイクリングロードのソバにトイレ。しかし、ブルーシートの家を造って住んでいる人 がいた。パス。
風が弱まったので、見晴らしの良い砂丘の上。
2ブロックばかり歩き、松をくぐり抜け、砂丘の上にテント設営。4時。町が遠くに見える。4時50分飯炊き開始。ベーコンと大根葉の炒め物、お豆さ ん、卵焼き、スープ、ビスケットを食べる。18時には寝る。23時、目が覚めたので、残りのビスケットを食べてしまう。テント前室は1度。
三日目-袋井市海岸から中田島砂丘へ
サイクリングロードではなく、地道を歩く。
5時45分に起きる。コーヒー、パン、チーズ、マンゴーの朝食。7時20分出発、川にぶつかる。福田漁港。8時46分、太田川を渡る。9時16分、 小さなスーパーはあるが、まだ早い、コンビニでクラッカーを買う。進もうとするが、ローソンに戻り、かつ丼と焼きそばセットの弁当を買う。
強風、向かい風、柔らかい砂、敗退。
海岸に出て弁当を食べる。大した食い物では無かったが、旨かった。10時40分、出発。少し砂浜を歩くが、柔らかくて堪える。11時、地道へ。12時40分、竜洋町駒場。トイレ有り、通過。
天竜川を渡る。烈風。
13時、天竜川。向かい風が猛烈で、吹き飛ばされそうになる。13時40分、やっと川を渡る。町は陸のずっと奥。海に向かう途中でうなぎ屋があっ た。ちょっと高いが鰻の白焼き1200円を買う。温泉もあった。900円と高いが、やむをえない。出ると、地元の野菜を売っていた。水菜を買う。砂丘まで と思って遊歩道を適当に歩くと、本当の行き止まりになった。ループになっていた。少しヤブ漕ぎをして、脚に擦り傷ができた。迂回して、やっと川を渡る。公 園もあったが、中田島砂丘を目指す。
中田島砂丘の夕暮れ。
ホントの砂丘だった。少し歩くと、観光客にぶつかった。テントが張れないので、しばらく進んで、林に入る。4時40分テント設営。5時10分飯炊き開始。
今夜のお宿。
白鰻丼。
水菜と細切れビーフジャーキーの炒め煮。
白鰻丼はなかなか。水菜と細切れビーフジャーキーの炒め煮は、オイスターソースを少しだけ入れて煮た。結構、旨い。食事の後、どら焼きやビスケットを食ってしまう。19時、寝る。
四日目-中田島砂丘から渥美半島基部へ
時々、道ばたに多くのウンコが放置、ネコ式トイレくらい学校で教えろ。
5時に起きる。身体のあちこちが痛い。テント内7度。6時、食事終了、6時40分出発、明るくなった。数分歩くと、立派な公園。トイレもあり。多目的広場。
足の裏が痛い。二キロばかり歩いて、テントマットを切り取り、インソールの下に敷く。少し柔らかくなったが、今度は靴が狭くなった。一応、軽快に歩く。
弁天島から新居弁天の鳥居を撮す。
浜名バイパスは高速道路なので、通れない。浜名湖を迂回する。弁天島駅のサークルKでカメラのリモコン用ボタン電池を買う。立派な食堂もあったが、入る度胸がなかった。橋を渡ると工業団地。コンビニで弁当を買う。道ばたで弁当を食べ、新居駅から海に向かう。何もない町。
新居町の海岸。
時々砂浜を歩く。部分的に締まっていた。14時半、1号線と別れる手前。トイレがあったので、水を補給。3リッターとする。15時10分、道の駅、 潮見坂。最後の補給場所。ウインナとほうれん草と野菜の揚げ物を買う。ほうれん草はトイレで洗う。アイスクリーム100円を追加。太陽熱での足湯があり、 浸かりながらアイスクリームを食う。固くて歯が折れそう。ソフトクリームにすれば良かった。
波打ち際は固い。
15時40分出発。しばらく砂浜を歩くが、ちゃんと道がある。道に移動。なかなか良い場所がない。裏に入るとウンコの山。ウンザリ。
砂丘の上。
ほうれん草とウインナのソテー。
4WDのサーキットの場所があり、砂丘の上にテント設営。4時50分。景色が良く、最高の場所。メインメニューは、ほうれん草とウインナのソテー、野菜の揚げ物(さつまあげのような物)、ご飯、味噌汁、ぷっちんプリン。
五日目-渥美半島基部から赤羽根の海岸まで
地道が続く。
5時半まで寝てしまう。変な夢を見た。パン、チーズ、マンゴーとコーヒーの朝食。トイレに行く時にコーヒーをこぼす。入れ直す、6時半、コーヒーが旨い。7時出発。すぐに道が無くなる。海岸に出る。道はあったが、すぐに切れる。
愛知県に入ると、公衆トイレが整備され、放置ウンコも減った。
立派なトイレあり。ただし、水は塩分、鉄分ありで飲めないという。浄水器で濾してもだめだ。地下水らしい。一応は飲めるので1リッター汲んでおく。 8時半、崖から水が湧いている。1リッターを取り替えるが、味は同じ。鉄と塩が混じっている。9時、野外教育センター近くの海岸に、水洗トイレと飲み水が あった。小休止。水を1リッター確保。9時半、出発。
ここまで来ると、釣り人もいない。
砂浜が小さく、崖が迫るが、難しい所は無かった。10時20分、再び、道に出る。11時半、昼食。13時、水、トイレあり。東神戸町の海岸。
一番狭い所を通過。
崖沿いの道は砂丘の中に消える。
一色の磯の岩が遠くに見える。
一色の磯、手前で堤防の上を歩き、その後、歩けないので砂浜に出る。磯の岩の所15時6分、トイレと水あり、サイクリングロードが始まる。駐車場に テントは張りづらいので、前回の場所まで行く。15時半。サンクスまで買い物に出かける。餃子、チーズケーキ2個、チョコパイ一袋を買う。
昨年と同じ場所まで歩いた。予定終了。
テント設営16時半、久し振りにコーヒーとケーキが旨かった。飯はサラミと大根葉の炒め物、餃子10個、卵焼き、味噌汁。6時食事終了。後一日歩けば、先端まで行けるが、頑張る理由もないので、これで終了とする。
まとめ
直線距離で100キロ移動した。迂回を含めると120キロ前後。高度差がなければ一日20~30キロは歩けるようだ。
スーパーフィートというインソールは固くてダメだった。加速は付くが、脚を痛めやすい。やはりソルボで安全確実に歩いた方が良さそうだ。
今回の無用の長物は浄水器。まあ、予想はしていたが。500グラムの重りとしては有用だった。
2008年11月
ちょっと奥多摩へ---鴨沢-雲取山-飛龍山-丹波天平-丹波
夕暮れ時の富士、今回のベストショット。オリジナル画像(商用利用不可)はこちら
「山より道具」の ウルちゃんと知り合いになった。東京に行ったついでに奥多摩を歩くことにした。行動開始が13時半という非常識な時間。暗くなるまで3時間少々。ウルちゃ んはハイペース。やむをえず、こちらも飛ばす。奥多摩小屋手前で日没。非常にすばらしいビバークができた。軽くしごかれたので、翌日はターミネーターモー ドに変身してしまった。雲取山まで軽く歩き、転進して飛龍山へ向かった。やや速めのペースでコンスタントに歩く。こうなると、12時間くらい何ともないん だよ。
初日-鴨沢から奥多摩小屋手前
最初は暗い杉林を行く。
奥多摩駅12時半のバスで鴨沢へ。バスはカーチェイスのように、高速でコーナーに突っ込む。シートベルトが欲しかった。鴨沢のトイレで水を補給。 13時20分頃出発。高度は600メーター程度。ウルちゃんがハイペース。止むをえず付いていく。最初は暗い杉林の中の道が続く。廃屋もあった。奥駆けの 風景と似ていた。尾根に出ると明るい。傾斜は緩め。
尾根に出ると明るい。
防火帯。ペースが速いので少し疲れた。
ペースは上げ気味で歩く。16時20分、七ッ岩の水場。高度は1600少々。3時間で1000メーターを登った。水はちょろちょろ。浄水器で吸い上 げた方が速い。3リッターを確保。傾斜がゆるくなったので、ペースを上げる。すでに薄暗くなってきた。一応、奥多摩小屋を目指すが、どこでも寝られるよう にした。
オープニングは、この後のショット。
奥多摩小屋手前に良さそうな場所があった。一番景色の良い所にアクトを張った。ウルちゃんは少し離れた所に800グラムの超軽量テントTerra Nova Photonを張る。
少し多めの炒めご飯。
テントの外で一緒に料理。ウルちゃんはアルコールストーブで湯を沸かすだけ。私はニンジンご飯を炊いて、乾燥野菜とウインナを追加して炒め物を作っ た。食べた後で足が痙攣した。急に強い運動をしたからだろう。寝ようとすると、ウルちゃんから軽い悲鳴。テントの床はつるつるのシリコン素材床。テントを 水平な場所に移動。これは思わぬ欠点だった。21時過ぎに就寝。ウルちゃんはイビキをかく。ちょっとお疲れのようだ。
二日目-奥多摩小屋から雲取山-飛龍山-丹波天平-丹波
雲海と朝焼けを堪能する。
朝、5時に起きる。真っ暗。パンを暖めて、コーヒー。ウルちゃんを起こす。朝焼けが始まったので、写真撮影を始める。富士が少しずつ見えてくる。数十枚写す。晴天になり、6時50分出発。
よく寝てすっきりしたウルちゃん
奥多摩小屋の下の水場で2リッター確保。7時15分出発。ほぼ水平の歩きやすい道。ルートはウルちゃんが歩いていない狼平を経て、丹波平から丹波に下りることとした。バスは遅くなるが良しとした。8時05分、雲取山の山頂、小休止、記念撮影。
ターミネーターモードになってしまった。
8時15分出発。急角度で下りるが、比較的良い道。下りると水平に近い遊歩道が続く。どこでも寝ようとすれば寝られる。8時36分、三条ダルミ。
三条ダルミ。
狼平。
9時25分狼平。ここだけ木が生えず、コケが生えていた。湿地帯だが、水はない。
大きめの岩。
三山付近は険しいが、巻き道。崖際は木道が整備されている。10時55分、三条の湯分岐。少々、風が出てきた。天気は下り坂。ニコチン切れのため、 ウルちゃんが少し失速気味。飛龍山の山陰に入ると寒い。11時40分、祠の場所で昼食。コーヒーを入れて、パンとチーズと干しマンゴー。ウルちゃんはホッ トレモンとアメリカ製のチョコレート入りのエナジーバーのような食べ物。12時出発、曇り、わずかに雨粒が落ちた。12時40分、前飛龍の手前。ウルちゃ んが前回宿泊した場所。
道は落ち葉で覆われて見えない。
13時30分、熊倉山。落ち葉が敷き詰められた素晴らしい道が続く。サオラ峠。中高年の集団とすれ違う。サオラ峠を教えた。落ち葉の尾根道を快適に進む。
丹波天平(たぱでんでえろ)
14時45分。丹波天平。かなり広い平らな尾根。ここから急角度でジグザグに丹波へ下る。ちょっとウルちゃんが疲れてきた。すでに行動時間は8時 間。こちらは大丈夫だが、柔らかインソール(シンフィット)が滑りがち。やはりこれはダメだった。帰りにさかいやで交換してゴミにした。
丹波(たぱ)の町
16時、丹波に到着。バスの時刻は18時半ではなく、16時半だった。待ち時間の間、ウルちゃんはパンを食べ、ビールを一杯。こちらは、超高速で温 泉に入った。帰りのバスの運転は優しかった。駅前食堂で夕食とした。ウルちゃんはイワナの乾物で一杯。こちらは、ヒレカツ定食に野菜炒めを追加。田舎の良 心的な食堂。18時に別れた。
2008年9月
E-Smileでの歯列矯正が終了
主治医の有本さん
ちょっと見ると、普通の青年に見えるが、人を外見で判断してはいけない。その正体はこちら。
世話になった皆さんと卒業証書
左は昨年10月の状態(1本壊れている)、中央は完成予測、右は今年8月の模型
58歳としては、驚異的な移動速度だろう。たったの10ヶ月。まだ歯は安定していないので、後戻りを防ぐために、右の模型にあるリテーナーを装着す る。脱着自在で、しばらくすれば夜だけの装着になる。これからもメインテナンスはずっと無料。あきれる。一回の診察は1~2時間。20回くらいは通ったか な。金は最初に払っただけ。矯正医は、あんまり儲からない商売だ。
治療は第一ステップが終了しただけである。長年、乱れた歯列で、歯周病だったので、歯槽骨は、溶けて薄くなっている。上顎奥歯がないので、放置すると、歯列が乱れてくる。今後は(堂島ペリオインプラントセンター)のお世話になる。治療は三ステップで、まず歯槽骨の補填手術、次にインプラント基部の埋め込み、最後にインプラント上部の装着。インプラントは計4本程度打ち込む。費用は最大で200万円ほど。身から出たサビ。やむを得ない。良心的な価格設定である。
追記:再生医療が成功とのことで、インプラントは上顎2本でよいことになった。
このHPを見てしまった人へ
歯列は矯正しておいた方がよい。血液の循環が良くなるし、ブラッシングが簡単になる。その結果、歯周病が防げる。歯周病になると、自覚のない間に ゆっくりと歯槽骨が溶けていき、ある時に抜け落ちる。インプラントはどうしても、費用がかかる。最初に矯正に投資しておけば、その必要がなくなるし、トー タルの費用が安くなる。
歯周病なんか気にしないという手もあるが、ちょっと医学文献を検索してほしい。歯周病は全身の免疫系に悪影響を及ぼす。血管系や心臓疾患にも関係している。たぶん、寿命を縮めているはずである。
歯が抜けたら、ブリッジ、入れ歯という方法もあるが、これは、もはや医学的に見るべき価値がない方法。ブリッジをすると、支える両方の歯に負担が くるし、欠けた部分の歯槽骨が溶けていく。最終的に両方の歯も抜ける。もちろん、入れ歯はどんどん歯槽骨が溶けていき、1~2年もすれば作り直しになる。 現状で、最善の方法はインプラントらしい。手術は腕の良い医者を選ぶこと。
浦野さんから聞いたところでは、歯肉の再生医療はまだ事例報告しかなく、再現性が乏しいとのことだった。つまり、若くて再生能力の高い、うまく いったケースだけを報告しているようだ。アウトドアでも、歯はどんどん溶けるので、一日に一回、ちゃんとブラッシングをしないとダメだぞ。
2008年8月
蓮華温泉-雪倉岳-朝日岳ー黒岩山-小滝駅
内面から滲み出る人相の悪さだな(雪倉岳にて)
奥様がストレスで倒れる寸前。治療のため、連れ出して半殺しにする必要がある。二泊三日しかダメと言われたが、ルートがとれない。アプローチの関係 で前泊の許可をもらった。ゼロ泊目は蓮華温泉。バスで標高1400メーターまで行けるし、温泉もキャンプ場もある。一泊目は鉱山道をまっすぐに上がり、雪 倉避難小屋まで。標高差が少ないし、楽勝のはず。二泊目は朝日小屋などに寄らず、まっすぐに北上し、黒岩平で水を補給し、寝床は黒岩山か、その周辺。最終 日は、奥様の体力次第。中俣新道から小滝駅が原案だが、そのまま日本海に抜けてもよい。ちなみに、奥様の荷重は水抜きで7.5キロ。私の方は水抜きで24 キロ(四日×二人分)。
初日-温泉とキャンプ
バックパックは超気。蝶番とアルミプレートを一回り大きな物に変更した。
10時前のJRで平岩に行った。バスを待つ。昼食はコーヒーとパンとチーズ。下りてきた登山者に聞くと、落雷と風雨で大雪渓で4名が行方不明。ま た、ツアー登山でリーダーが急死したという話もあった。登山道は川だったそうだ。今年は白馬でバタバタと人が死んでいた。ただ、天候は回復して問題はな い。12時半のバスで蓮華温泉へ。13時半着。
蓮華の森キャンプ場
500メーターばかり歩くと靜かなキャンプ場。水洗トイレは比較的きれい。テントは一つあった。離れた所にテントを設営、14時半。温泉に入りに行 く。片方が全面ガラスの風呂。素晴らしい眺望。800円は少し高いが、キャンプ料は一人300円と安い。16時、テント場に戻る。生水は飲むなとあるの で、浄水器で6リッターを確保。4時半に飯炊き開始、5時半頃から食事。
歯に注目。矯正はもうすぐ終了。
メニューは相変わらず、ウインナと高菜の炒めご飯とパックのお豆さんとフリーズド・ドライの中華スープ。この後、ウインナがサラミに変わるだけ。何か、新メニューを考えないといけない。
キャンプ場に4~5人来た。テントを張るのを見るとド素人。何度も張り直している。やばい。食事も終わったし、テントをキャンプ場の入り口に移動した。まったく音が聞こえなくなった。19時前からぐっすりと11時間程寝た。
二日目-鉱山道
4時半に起きる。晴天。パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。6時出発。一時間少々は良い道。川の上流に向かうとガレ場、かなりの急勾配。
遊歩道の鉱山道への分岐
川に出ると、いきなりのガレ。道が消える。
丸太橋はあった。
昭文社の地図は丸木橋がないとあるが、ボロボロだがあった。川を渡って少し行くと道が地図から外れて上流に行く。しかも腰までの草でずぶ濡れ。道は 不明瞭。GPSでログを取っているので、食い違いが分かる。古い道から150メーター程度上流に外れていて、T字路になった。当然、上流への道は違う。下 流へ向かう。
しなのなでしこ
みやまきんぽうげ
しばらくすると良い道になり、古い地図と一致してきた。花も多い。時々、腰までの草を掻き分ける。川跡のような所を登り、鉱山事務所跡、9時45分着。コースタイムからかなり遅れている。9時55分出発。少し歩くと、池塘群。記念撮影。
池塘
おれ
白山こざくら
急勾配の雪渓。奥様は右の赤い点。
小蓮華山の稜線
11時、2000メーター地点で昼食。少し歩くと、急で幅の広い雪渓。危ないので12本爪のジュラルミン・アイゼンを出して突破。奥様も乗り切っ た。その後も急な雪渓が3つ続いた。そのたびにアイゼンを着ける。結構、危ないルート。しかも誰も通っていない。13時、塩谷精錬所跡で小休止。
鉢ヶ岳
ゆっくりとした登り。黒いザクをへてやっと稜線の分岐に出る。14時半。予定より2時間ばかり遅い。すこしガスが出てきたが、ルートはなだらかで問題なし。日本海まで向かう女性一人。
雪渓は前回よりも大きい。傾斜が緩いのでアイゼンは使わない。
うるっぷ草
やった!
15時半、雪倉避難小屋の横にテント設営。ペグを軽量化して少ししか持ってこなかった。これは失敗。サイドの細引きは岩で固定。かなりの強風でテントがゆがむ。水は小屋の上の雪渓で得られた。6リッターを確保。浄水器の音を聞いて雷鳥の子供が3羽近づいてきた。
避難小屋は男2名、女2名。飯炊き開始5時。ニンジンご飯を炊いて、サラミと乾燥ほうれん草と炒める。6時40分、食事終了。一時ガスが出て風が強かったが、天候が回復して、風がとまった。7時過ぎに寝た。夜は天ノ川が見えた。
三日目-雪倉岳から栂海(ツガミ)新道
3時半から目が覚める。4時に起きる。晴天。パン、チーズ、コーヒー、マンゴーの朝食。奥様は明け方少しか眠れないという。こちらも少し頭痛がする。高所障害か。標高は2400メーター。
雪倉岳の雷鳥のお母さん(子供5人連れ)
6時前に出発。雷鳥の親子がすぐ傍にいて逃げない。何枚も写させてもらった。
雪倉岳から朝日岳を見る
雪倉岳、6時45分。雲が出ていて完全に晴天ではなく、下り坂。6時50分出発。
まつむし草
雪倉岳下部の岩稜
水芭蕉
白山こざくら(?)
大町まで抜けるという女性とすれ違う。山小屋泊まり。12本爪アイゼンを見てびっくりしていた。ジュラルミンで、390グラムしかないと分かればもっとびっくりしただろう。技術の無さは器財でカバーする。安全第一。
朝日岳への分岐9時45分。幸いに登山道に雪がない。まっすぐ登り、朝日岳、11時15分。登りはコースタイム通りだった。コーヒーを作ってパンとチーズで昼食。11時50分出発。雲が湧いてきた。12時半、栂海新道入り口。
朝日岳直下の雪渓で水を補給
長栂山の近く
あやめ平の入り口
13時10分、小雨がぱらつく。雨具の上のみを着る。しばらくすると止む。14時アヤメ平。実際はアヤメ平の標識はまだ先。標識の所にあやめはない。
黒岩平の手前
黒岩平に建物が見えた。避難小屋だろうか。行ってみると、木道工事の作業小屋。天国のような場所で地獄の様な労働か。奥様は限界が近づいている。し かし、有名なキャンプ禁止地区。水を6リッター確保。5リッターをパッキングする。その時に工事の人が背負子にロープを背負って登ってきた。少し話す。サ ワガニ山岳会の連中が勝手に道を造ったので、その補修に二千万とか三千万、国の予算をつぎ込んでいるんだと文句たらたら。この辺だってあいつらがテント 張って裸地にしたんだ。そうだよな。あいつらがみんな悪い。あいつらが道を造ったために、こんな所にたこ部屋造って、放り込まれるんだから。
下の方に沢があるし、オレの見えない所ならテント張って良いよという。黒岩山で植生が変わるから、そこなら良いだろうと答える。残り4名、歩道整備をしていた。あちこちに歩道の板を投下して、植生に相当のダメージを与えている。酷いものだ。
最後のおおきな池塘
黒岩山山頂付近
中俣新道との合流点には蚊が多く、水平な場所があまりない。17時、山頂近くの平な所にテント設営。奥様はバテて切れる寸前。しかし、今回はしぶと い。食事の用意を手伝ってくれた。夕食は再び、サラミと乾燥野菜のピラフ。お豆のパック。中華スープ。10年、サラミは食いたくないと言ったが、止むをえ ない。蚊は多かったが、風があったし、比較的マシだった。19時半過ぎに寝る。ガスの中。
四日目-中俣新道を経て小滝駅まで
中俣山へ向かう
4時に起きる。ガスの中。パン、チーズ、コーヒー、マンゴーの朝食。蚊は多い。6 時少し前に出発。樹林帯を抜けると草原状になる。下り勾配はきつめ。7時10分。道が川になっていた。水を2リッター確保。1055メーター地点。急角度 で下りて中俣山に向かうが、道は付け変わっていて碁盤平へは向かわない。南側の尾根を行く。GPSの2万5千分の1も、昭文社の地図も間違い。ログですぐ に分かる。
水平な場所を進むと、いつの間にか中俣山。8時10分。標識はない。小休止。ここから急な下り。慎重に進む。最後の高度差100メーターの所、やはり、尾根筋に道が付け替えられていた。これもGPSのログで分かった。
鎖が三本続く一番急な場所
中俣小屋
しかし、僧ヶ岳の片貝からの登りよりは全体的に道がよい。9時45分、中俣小屋。小休止。水を2リッター確保。ブユ多い。10時出発。林道に下りて 木陰てコーヒーとお菓子。ここからまだまだ遠い。10時40分出発。小さな滝が多く、景色は良いが、時々ブユの集団に取り囲まれる。奥様はスピードアッ プ。
小さな滝
ヒスイ峡の岩山
コースタイムは3時間だが非常に遠い。しかも非常に暑い。ヒスイ峡を通り越す。延々と歩いてやっと人家が見えた。自販機の場所でポカリを一つ飲む。 小滝駅着は14時半くらい。温泉はない。身体を拭く。15時2分のJRに乗り、糸魚川で乗り換えて、富山まで戻る。観音湯に入り、17時半、大和のビッ フェに向かう。品物は少ないし、昼と変わらないが、ローストビーフは旨かった。満腹するまで食べて、バスで帰宅。
今回の優れもの
ジュラルミンの12本爪アイゼン。鉱山道は、よく見ると経験者向きと書いてあった。ド素人には危ないぜ。点線で描いてくれよ。
map60 Csx。やはりGPSの威力は絶大。地図の間違いまで分かる。
注意点。中俣小屋から小滝駅まで20キロ近い。栂海新道で日本海まで歩いた方が楽。タクシーも呼べない。栂海新道のエスケープルートとあるが、車が用意できないとダメ。
注意点。蓮華の森キャンプ場は、蚊とブユが多い。蚊取り線香を持って行った方がよい。
2008年7月
体細胞のリセット
宇奈月ルートの白根葵
日経サイエンスに、抗がん剤を投与する前に48時間の絶食をすると、体細胞が生き残りモードになって、抗がん剤がよく効くという記事があった。薬を 継続的に投与する場合は、いつ食べれば良いのか、心配になった。ともかく、強い負荷をかけると、体細胞が生き残りモードになって、リセットされることくら い、30年前から知っているし、実行している。
ストレスで疲労がたまり、奥様が不在、しかも週末。三つの条件が揃ったので僧ヶ岳を軽く歩くことにした。二泊三日分の食料は持ったが、奥様がお戻り になるので、二日の予定。水抜きで17キロと私としては軽め。二日目には雨になるが、良いだろう。宇奈月ルートで上り、北駒ルートでトチの湯に戻りたい。 さて、どうなったかというと。
一日目
毎日、昼はサラダだけ食べている。昼の弁当は久しぶりで、幸せなのだ。
5時に起きて7時のJR、富山から北越に乗り換え、魚津で地鉄、宇奈月からタクシーで第一登山口までいく。一応、これで最速のアプローチ。第一登山 口は標高600メーター地点、9時出発、むちゃくちゃ暑い。10時20分、1040メーター地点。荷物(本体17キロ、水2キロ)が軽い(?)ので、速 い。標高1200メーターくらいの小屋跡でコンビニ弁当を食う。割といけた。朝早く登って下りてきた人に聞くと、駒ヶ岳方面は雪が無かった。こちらから登 る所に一ヵ所急勾配があり、アイゼンを出そうかと思ったといった。
雪渓のどす黒い水だが、濾すと旨い。
1リッターでこれだけ汚れがたまる。
11時10分出発、しばらくすると単独の青年が追いついてくる。宇奈月駅から歩いてきたという。なかなかの健脚。ただ、雨具を持っていないという。 ちょっと心配。こちらはペースが遅いので先に行ってもらう。白根葵があちこちに咲いていた。写真を撮りながら歩く。宇奈月ルートもなかなか良い。池の所で 手持ちの水を4リッターにする。
良い雰囲気だろう。
山登りのプロらしい女性が登ってきた。ハイペース。北駒ルートを聞くと、雨になると、川があり、徒渉できないという。テープは着いているが、道も整 備していないという。明日は雨だ。ダメっぽい。この女性2時まで行動して、引き返すと言う。この人とは前僧ヶ岳の少し前でもう一度会った。前僧ヶ岳頂上で 引き返したという。さすがプロ。無理はしない。
頂上手前の丘で
14時10分、前僧ヶ岳。ガスが少し出ている。頂上の直前の急な丘で、立派なヒゲを蓄えたおじさんと話しをする。若い時は僧ヶ岳を自分の庭にしてい た、山桜を写しに来たという。もちろん、こちらも山桜が一本あったのを知っている。ただ、このおじさん、サクランボができる時に来て、いただいて帰るとい う。さすが。歯がきれいで、さわやかな笑顔のおじさん。うらやましい限り。歯並びは矯正できても、山が好きでないと、こんなきれいな笑顔にはならない。俺 はだめだな。写真を写してもらった。しばらく立ち話をしていたら、朝、会った青年が下りてきた。時刻は14時半に近かったので、ちょっと心配になった。後 でメールをもらうと、5時半に宇奈月駅に着いたという。相当の体力の持ち主だった。
僧ヶ岳山頂の木陰の別荘
こちらはのんびりと最後の丘を詰める。雪渓があり、水が流れていて汲める場所があった。頂上は3時過ぎに着き、テント設営、水の確保にいき、水の在 庫を4リッターにした。身体から臭い汗が出たので、すっきりした。薄い靴下を履いていたので、右足のかかとの上の皮膚がめくれてしまった。暇なので、湯を 沸かし、ココアを飲む。4時半過ぎから飯炊き、夕食はウインナと乾燥高菜の炒め物、お豆のパック、インスタント味噌汁をダブル。18時過ぎ、少しラジオを 聞いて寝る。ガスにはなったが、雨は夜中くらいから。10時間以上、うとうとと寝た。
二日目
山頂近く。一応、暴風雨です。
4時半に起きる。雨は本降り。風も強い。テントは木陰なので、問題なし。食料は十分あるし、1日寝ていたい所だが、奥様が帰宅。動かざるをえない。 朝食はパン、チーズ、コーヒー。パンはダブルで食う。昼飯がいらない程度。片貝へ下りようと思ったが、天気が悪すぎる。安全を見て烏帽子尾根から森林公園 にくだることにした。6時15分出発、暴風雨。特に仏ヶ原はひどい。登山道は川になっていた。7時20分、宇奈月ルートと烏帽子ルートの分岐、8時30 分、林道に合流した。
烏帽子尾根から宇奈月方面。大荒れです。
烏帽子山、9時20分、小休止。11時30分、森林公園の管理事務所、ここは鍵がかかっていないので、入って服を着替える。シャツまでびしょ濡れになっていた。昼飯としてコーヒー、チーズ、お豆のパックを食べる。
12時15分出発、新しい林道がやっと開通していた。思っていた場所に合流。下立口、2時30分、ちょうど電車が出た所。公衆電話は何処にもない。3時13分まで待って、魚津で乗り換え、自宅は5時過ぎ。ピザ職人の仕事が待っていて、なかなか厳しい。まあ旨かったよ。
杉が伐採されて、巨大な送電塔がむき出しになっていた。
体細胞の方はきちんとリセットできましたよ。せっかく良い生活をしていたのに、しごかれて殺されると思ったんでしょう。
2008年5月
清見村のしだれ桜
「ウォンウォンウォーン!春だぞう。走りたいようと、雄ネコと同じ神経メカが台頭。ゴールデンウィークは何処にも行かない予定だったが、落ち着かな い。お蔵入りのクロカン・スペシャルのクモの巣を払った。もうダメだ。奥様に特別許可をもらって疾走した。ルートはワンパタンだが、庄川を遡り、莊川村を 抜け、下小鳥ダム経由で、角川、猪谷、富山と抜ける巡回コース。とりあえず、どこかを走りさえすればよい。三日を予定していたが。
一日目
庄川町へのアプローチ
朝、4時頃に目が覚めてしまった。6時出発。黒河集落、10年ぶりで、ほとんど忘れていた。6時半、昔住んでいた太閤山。旧道を走り、庄川町手前から川沿いの農道に入る。8時10分、庄川町。自転車が非常に重く感じる。荷物のバランスもとれない。
庄川上流、大牧温泉手前
祖山近くの休憩所
脇道で下梨へ
小原ダムの脇道、正面はくろば温泉
9時20分、祖山近くのトイレで写真を写してもらう。10時、下梨着。トチモチを3つ食う。うまい。315円と値段は高め。10時15分出発、まだ50キロしか走っていない。右足がだるい。10時50分、菅沼合掌集落。観光客が一杯。左足内側の股が痙攣。小休止。
味噌カツどんぶり750円
11時10分、上平、道の駅で味噌カツどんぶりを食う。量は少ないが、トチモチを食った後だし。鮎の握りなんか、食いたくないし。
足が疲れている。ブランクが長いからか。白川の合掌集落の手前のトンネルから渋滞。トンネルの中を1キロほど歩く。車だらけ。13時40分、鳩谷ダ ム。帰雲城入り口、水あり、キャンプはできるがしたことはない。2時半、平瀬。バイパスができて、村の中は車なし、しらみずの湯に入る。600円、15時 10分、出発。みぼろダムの登りで、左股の内側が再び痙攣。引き足が使えない。少し歩いた。
みぼろダム
莊川桜
16時20分、莊川桜、かなり散って青葉になっていた。車の列がひどい。レストハウスは満杯で見る気になれず、キャンプ場は二ヵ所満杯、バンガローもできていた。10年ぶりだから変化が激しい。水をいただいて逃げる。
行き止まりの道に入り、ちょっと上を探すこと。簡単だよ。
橋を渡って、行き止まりの道に入り、道の上にテント設営、小川もあって水を1リッター補充した。ツナ缶と高菜の炒め物、お豆さん、味噌汁。7時前に寝た。
二日目
白川街道の家、久し振りなので懐かしい。
5時に起きた。昨日は110キロ走っていた。ペダルは靴に合わない。サドルは固すぎる。チーズ、高級クルミパン、マンゴーとコーヒーの朝食。6時半出発。小雨、8時15分、むまや。雨は気にならない程度。雨がひどくなる。松の木峠は高速道路で切り開かれていた。
しだれ桜
これも桜
人家の傍の桜も綺麗だ。9時、清見村、豆腐屋さんは大きくなっていた。豆腐はまずいが。
下小鳥ダムへ向かう
下小鳥ダム
しばらくして雨が降ってきた。寒い。10時20分、下小鳥ダム。相変わらず綺麗な所。何度か寝たこともある。
11時10分、角川。食堂がない。もう少し走る。宮川村もJAが休みで、店もない。杉原の酒屋さんでパンとレモン飲料を買い、チーズと合わせて昼食。
打保駅
打保駅はすっかり変わっていた。昔の駅舎は古かったが、掃除が行き届き、広くてマンガの本も置いてあった。新しい駅舎は、5人程しか座れない。何も置いていない。駅前の人家の庭も荒れていた。10年以上前は、綺麗な花が植えてあったが。
楡原からの神通川、いつも脇道を走る
蟹寺まで、3キロくらいの長いトンネルがあった。30分は短縮できた。13時半、41号線と合流。細入村の道の駅で、栗あん入りの回転焼きとトチモ チを食べ、コーヒーを飲む。15時、笹津駅、駅舎が立派になっていた。雨、雨具は上だけ。ゆるい下りなので、時速30キロ以上で走る。最高速度54キロ。 少し道に迷うが適当に走り、16時10分、自宅到着。計242キロ走った。
二日目は自転車を完全にコントロールできたし、脚も痛まない。非常に気持ちがよかった。このコース、松の木峠は標高1085メーター。アップダウンもあるし、きつめのコース。二日で走ったのは初めて。
2008年4月
交通事故に遭遇
写真はイメージです。
視力が衰えていたのか、道を横断する時に車にはねられた。たまたま、20キロ近いバックパックを担いでいて、本格的な中華鍋をバックパックに仕込ん でいた。車の被害だが、たぶん、バックミラー基部の破損は間違いない所。何しろ、中華鍋がモロにぶつかった。ボンネットも多少凹んだかな。私の体重とバッ クパックで100キロだし。可哀想なことをした。
被害状況
脹ら脛上部に強度の打撲傷。臀部右側に軽い打撲傷。事故直後、仰向けにひっくり返ったのですが、メガネの位置ずれなし。立ち上がって脚を点検して も、骨折なし。それで、車の人とはすぐバイバイしてしまいました。これは良くないようですが、かといって、結果は同じだったようです。
筋繊維に損傷があるので、一日後に軽い挫滅症候群を予測しました。その夜、寝汗をかいて、これはクリア。自然治癒で、脚の力が1割アップ、痛みは一割減少。3日後に屋久島行きなので、たぶんOKという結論をくだしました。
屋久島に行く途中、大阪のE-Smileに寄って歯列矯正のワイヤー交換。今回は強烈な極太ワイヤー。歯槽骨が融けてます、また、出来ますと、有り 難いお言葉。ワイヤー交換すると、ストレスがあり、二、三日、身体が浮腫むんです。多少の弊害くらいありますよね。気にしないで、屋久島病院へ直行しまし た。
屋久島病院にて
海楽園キャンプ場。私のテントはガジュマルの木の下。
とりあえず、キャンプ場へ。ここはすぐ傍に「わいわいランド」という宮之浦で一番品物が揃っているスーパーがある。食い放題モードに突入。天気予報によると、二日後に前線が来て、大雨となる。登山はその後。
白谷雲水峡リハビリハイキング
くたくたに疲れて、6時まで寝た。ヨーグルトとバナナ、パン半ダースの朝食。バックパックの中身には手を付けない。市役所前のバス停で待つ。マツバ ンダ交通のバスが来た。乗るとすし詰め状態。8時半に到着。珍しく協力金を払い原生歩道に入った。入ると人がぱたっといなくなる。久しぶりなので、ゆっく りと撮影しながら散歩する。右脹ら脛は、引っ張られると痛いが、歩くには支障がなかった。
三本足杉
三本槍杉
奉行杉
9時半、白谷広場、白谷小屋への道と合流。人が多くなったので、すぐに下る。11時15分、一回りが終了。バスは出た後。歩いて帰ろうかと思った が、少し足が不安なので、楠川前岳への登り口を探索。道が崩れていて、以前とまったく違っていた。今度は登り口にははっきりとテープがあった。いずれ登る ことにして、飯を食ってバス待ちをする。矯正ワイヤーの締め付けから頭が少し痛い。ロキソニンを一錠飲む。
栗生へ移動
9時半、テントを畳んで出発。9時47分、バスで島の南に行くと、雨が本降りになった。時間もあるし、途中、尾之間で降りて風呂に入る。やはりここ は最高だった。土砂降りの中、慌てて生協で買い物をして、バスに乗り込む。終点の栗生橋で降りた。運ちゃんは小太り、刈り上げ。鹿児島交通だが、栗生出身 なので回されたという。
トイレ野宿に近いな。下がコンクリートで設営しにくかった。
12時半、栗生橋。シャクナゲ園は4月から開園というが人がいない。トイレがあり、屋根があってベンチもある。鮭弁のおかずのみを食べて、シャクナ ゲ園を見学。咲いているのは西洋シャクナゲだけ。川沿いの立派な所。ただし、アップダウンがかなりあり、敷石が滑るので危険。抜けると普通の道、立派な水 洗トイレもあり。地図に載っていない楊子橋があり、ぐるぐると林道が続いた。地図も持って行かなかったので、迷うといけないので、中止して引き返した。
午後2時トイレの場所に戻った。3時、テント設営、寝転んで本を読む。ロキソニンを一錠飲んだのでだるい。ヤン坊マー坊の天気予報が更新されていな い。なぜだろう。4時、少し眠くなってきた。鳥がうるさい。巣にしているようだ。飯を早めに炊いてウインナと高菜の炒め物を食べた。18時半、寝てしま う。
一日目(旧栗生歩道)
5時15分に目が覚めた。ピザパン2枚とマンゴーの朝食。風が強い。6時45分出発。7時、栗生小学校。7時46分、90メーター地点、水有り。8 時、左手に滝。9時、315メーター地点、水有り、分岐はまだ。しかし紛らわしい分岐も二つあった。オタマジャクシのいる水たまりから水を失敬。2リッ ターとする。最後の分岐、9時17分。立派な林道が右に続く。420メーター地点。入り口が見つからない。少し道が付け変わっているようだ。やっと古い地 図より50メーターほど先にテープが見つかった。
登山道入り口は、4キロの標識の100メーター先くらい
9時55分、侵入を開始。旧栗生歩道は、点線でしか表示されていない上級向きコース。危ないので緊張する。11時、650メーター地点。テープは いっぱいある。道もまずまず。ただし、荷物が重い。体調が悪いためか。11時半、風が冷たいので、日だまり、710メーター地点で、昼食とする。気温は 10度。11時40分、出発。920メーター、道が分からなくなったので戻る。テープを一つ見落としていた。
ちょっと面白い杉
12時46分、強風、冷たい。再び、赤テープがいっぱいある。13時半、水場あり、985メーター地点。広場風の所あり。強風、1020メーター、 赤テープはなだらかな道から左に逸れて藪の中に入る。テープに従う。一時テープを見失うが、戻って見直すといきなり頭上に変化していた。
テープに従うとほとんど道ではない。崖に近い急勾配をジクザクに登ると木の根があり、テープが喪失。二回登り直してやっとテープを発見。木の株の向 こうに平坦な道があった。しばらくして水があり、GPSでマーク、1085メーター地点。旧道と合流した。たぶん、旧道の一部が落ちたのだろう。ひどい迂 回路だった。
穴の空いた杉
14時44分、水有り。道の先が分からないので、バックパックを置いて、探検する。しばらくすると巨木群。ガラスビンがあったので、これが山林官舎 跡。横倒しの巨大なほら杉あり。水もある。テープにしたがって進むと10分くらいで林道に出た。林道と言ってもど真ん中に木が生えているので、車は走れな い。
素晴らしいテント場
3時40分、引き返して、山林官舎跡の手前の日当たりの良い道にテントを設営。なかなか雰囲気の良い場所。水は4リッター確保。きついコースだった。道らしい所を行くと迷う。赤テープは真上とか真下にあることがあり、難コース。あまいものこさんの記述と違うのは道が崩れたためだろう。17時半、夕食。ラジオは入る。
二日目(栗生歩道)
栗生歩道は傾斜も緩く、歩きやすい。
パンとチーズとマンゴーの朝食。今日は4時間半コース。半日かければ楽勝。水場があるので1リッターにする。6時45分出発。今日は風がない。林道 6時55分。上着を雨具だけにする。7時10分出発、7時40分、Tシャツだけになる。道ははっきりしている。傾斜も緩い。9時5分、勢いよく流れている 川があった、1370メーター地点。とりあえず水を補充。テント場に出来そうな良い場所。9時20分出発。9時37分水場を横切る。GPSでマークする。 9時55分、花之江河まで3キロの標識、やっと半分だった。1460メーター地点。電話はつながらない。10時40分、花之江河まで2キロの標識、 1530メーター地点。少し腹が減ってきた。11時、日だまりで昼食。後1キロ程度。11時25分出発、露岩あり。12時7分、遠くに前線の雲が見える。 一週間晴れの予報はやっぱりウソか。花之江河、12時半着。人間は立ち入り禁止なのに、鹿が縦横無尽。なんだこれは。
花之江河、鹿がめちゃめちゃにしていた。
天気が良いので先に進む。黒味岳にカメラを片手に登る。これは良くなかった。ロープが何本もあった。登ると絶景。永田岳まで、ほとんどの山が見える。穴場だった。
黒味岳から宮之浦岳、永田岳などを俯瞰する。
先に進もうと思ったが、1時半なので、花之江河の秘密の場所まで引き返してテント設営。2時。2時半、水4リッター確保。明日は雨でもいいやと、コーヒータイムにしてどら焼きを食べて寝転んで本を読む。たまにはこんな山登りもいいや。
花之江河の秘密基地
3時15分、空気が冷たくなってきた。Tシャツは3枚全部着る。まったく人が通らない。どうしたのだろう。石塚小屋の利用者はゼロか。4時半、寒く なってきたので飯を炊き始める。文庫本を読む。相変わらず、高菜とサラミの炒めご飯。お豆のパックとスープ。18時、食事終了、上手かった。明日の天気は 午前中は保つと言う予測。弱い前線。写真は写したし、まあ良いか。7時40分、眠れない。運動不足か、パンとチーズを少し食べる。気温はテント前室で零 度。あまり寒くない。
三日目(宮之浦歩道から永田歩道)
5時40分まで寝てしまう。曇り。6時10分、食事終了。6時50分出発。幸い、雲はかかってこない。見通しはよい。7時半、投石岳直下のテントサ イト。ここでも良かったかな。気温2度、ショーツで歩く。宮之浦岳まで2キロ。最後の水場で、水を補給、1リッター満タンにする。後1キロ。資材置き場が あり、ここでもテントは張れるが、風が吹くとひとたまりもない。投石岳直下が良いだろう。8時50分、翁岳直下の人間風モニュメントを写す。
翁岳直下のモニュメント1
翁岳直下のモニュメント2
栗生岳頂上付近から、翁岳、安房岳、投石岳、黒味岳
宮之浦岳で記念撮影。
9時15分、栗生岳。9時45分、宮之浦岳。風が強くなってきた。天気は後2~3時間保つか。今回はまったく人がいない。
永田岳。
永田岳から見た宮之浦岳。
10時6分、三叉路。10時20分、無口な登山者とすれ違う。三叉路に荷物を置いて永田ピストンの人。表情にゆとりがない。天気は曇り。永田岳頂上 の岩場に登り撮影。永田がよく見える。そろそろ雨が近づいてきた。12時20分、鹿の沢小屋。開け放し、無人。外で昼食とする。
12時55分出発。八井の鼻の水場まで行くことにした。鹿の沢小屋の水は旨い。水場 は途中にあるので、水は1リッターとする。歩いて10分で良いテント場あり。ガスが下っ てきた。13時半、川を渡る。14時、桃平展望台。14時25分、桃平。手前には雪はあっても 水はなかった。良い場所だが先に進む。
14時50分、雨になる。雨具を着る。姥が岩屋。良い場所だが水はない。16時、やっと水場に到達し、テント設営。テント場は川を渡り、道を登った 所。一張りしかできないが水はけもよいし、ベストの場所。雨が一時上がる。水を4リッター確保してくつろぐ。夕食は例のメニューだが、最終になるので、お 豆のパックはダブルで食った。
八井の鼻の水場近く
四日目(永田歩道)
夜の間、結構、雨が降った。一週間晴れの予報はやはり外れた。7時20分出発、7時45分、竹の辻。長袖下着を脱ぐ、水は1リッターにする。8時20分7つ杉、8時20分、竹の辻の標識。9時15分、水あり、バックパックを下ろして小休止、第三休憩所の辺り。
雨もまた良い。
道が付け変わっていた。10時、登りの登山者と会う。旧道との分岐の件を注意する。10時18分、水鳥沢、小休止。10時25分出発、水は補給せ ず。10時50分、昼食とする。700メーター地点。11時15分出発。テープがなくなり、道もなくなる。漁師沢に下りる道に半端にテープが付いていた。 引き返すのも面白くないので、GPSを頼りに尾根筋に出る。テープがあった。やはり分岐していたようだ。今度は迷わずに13時26分、永田歩道入り口に到 着。小休止。少し歩けば横側渓谷の公園があるので、そこまで歩いて、コーヒータイムとする。バスは3時10分しかない。ゆっくりする。
2時半、バス停まで歩くと、休憩所から「お帰りなさい。ご苦労様でした。」の声。「???」とよく見ると、栗生橋まで乗せてもらった運チャンだっ た。まったくビックリした。記念写真を写してもらう。嫌がる運チャンの写真もぱちり。客はいないし、おしゃべりしながらバスに乗る。バスが田代別館の前を 通ると分かっ たので、下ろしてもらう。その時、固く握手をして再会を誓った。熱いぜ。
田代別館に着いたのは4時過ぎ。風呂は沸かしている所で少しぬるいかもと言われた。固いこと言わな いで入らせてもらう。一年に一回500円の客だが、田代別館の人は親切だ。来年の再会を誓って別れる。まったく屋久島は良い所だぜ。海楽園のテント場にテ ントを設営。誰一人いない。近所のわいわいランドで買い物。唐揚げ弁当、餃子20個、トビウオの開き、ほうれん草など。食ってくって食いまくる。
永田バス停にて
食い放題モードの食事
宿泊代はせいぜい500円。食事はいくら食っても2000円を超えない。宮崎の従兄弟は我が奥様に「安い趣味だ」と吐き捨てるように言ったとか。その従兄弟、オレの脚を見て、打ち所が良かったねと一言。みんな全然心配してくれない。冷たすぎるぜ。
下のメニューはこれでワンセット。毎日、これだけ食ってました。交通事故の直後だし、歯もダメージがあるし、栄養をとって治療優先ということで。しかし、トビウオは馬鹿にしてたけど、旨かったぜ。とろりと喉に融けてしまう。キャンプ場では毎日食ったよ。
飯を炊くのが面倒なので。米はコッヘルに入れて少量の水で温める。とんかつはフライパンで蒸し焼きにして温める。
野菜の中華風炒め煮
必殺安物餃子のこんがり焼き
トビウオのムニエル。塩こしょうして、かたくりをまぶすだけ。これは超旨かった。
注意点
永田歩道の不完全なテープについては、観光協会に緯度経度を報告し、善処してもらうように頼んだ。間違って漁師沢に下りて行方不明者でも出たら大変だからな。
今回はGPSでログを取った。バッテリーは太陽電池で補充した。一応OKだった。旧道から付け変わっている場所がはっきりと分かった。
旧栗生歩道のように、昭文社の地図で破線で示されている道は、上級者向きで、危険である。それなりに覚悟して望むこと。GPSで現在地は分かるし、旧道を辿ることも理論的には可能だが、垂直に落ちている場合もある。原則として、赤テープを辿ること。
2008年3月
渥美半島プチ・バックパッキング
渥美半島、恋路浦。
大学の雑務が忙しい。奥様とスケジュールも合わない。渥美半島に脱出してプチ・バックパッキングで憂さを晴らした。初日は晴天だが強風。二日目は晴 天で景色も良く、バックパッキングが楽しめた。三日目には早くも帰宅。海亀も上陸する奇麗な砂浜だった。渥美半島付け根の無人地帯はいずれ単独で歩きた い。
一日目
豊鉄で、三河田原12時半着、13時前から歩き始める。町を離れると殺風景で、鉱山まである。車が多く、強風で冷えて頭が痛くなる。コミニュニ ティ・バスで、白谷から馬草までショートカット。しばらく歩くと、奇麗なコーヒーハウスがある。ブーゲンビリアが咲き誇り、天国のような場所だった。
caffee bistro muse
15時半出発。1キロばかりで宇津江。パス停があった。保美までのバスを待っていると、伊良湖行きのバスが来た。国民休暇村で降りた。キャンプ場 は、土日のみの営業。8000円からの宿泊プランがあると言う。もちろん、水を3リッターもらって逃げた。2キロばかり歩いて、伊良湖手前の松林にテント 設営。5時頃。飯炊きの間にサークルKまで買い出しに出かけた。夕食はウインナとご飯の炒め物とスープとお豆さん。7時過ぎから、ぐっすりと10時間ほど 寝た。
伊良湖手前の松林
二日目
背景は伊良湖ガーデンホテル
晴天、無風。6時頃起きて、バナナとヨーグルトとパンの朝食、ゆっくりとして8時10分出発。伊良湖灯台を見学、歩道をぶらぶら歩き、10時、伊良湖ビューホテルを見上げつつ、海を眺めながら、ヤマザキのまんじゅうでコーヒータイム。晴天、暖かく、リッチな気分。
海を眺めながらコーヒータイム
10時半出発、恋路海岸がなかなか綺麗。サイクリングロードが続く。
恋路浦を見下ろす
奇麗な海岸線が続く
12時25分、小塩津着、日替わりランチを食べる。しばらく道路を歩く。戸田、14時40分。池尻、16時過ぎ。トイレは工事用の臨時トイレだっ た。結局、赤羽根のサークルKまで歩く。夕食のおかずを追加。水5リッターを背負う。海に出ようとするが、絶壁で降りられない。止むをえず引き返して北 上、海に降りるバイパスを下り、サイクリングロードの横にテント設営。6時半。夕食はウインナと野菜の炒め物、キムチ、ニシンの酢の物、スープなど。ぐっ すりと10時間寝る。靜かで暖かかった。
2008年1月
大洗→上総一宮バックパッキング
明けましておめでとうございます。
歯列矯正で弱い炎症が継続中で、体力の2割程度は奪われている。年末のバックパッキングは軽めにした。googleの航空写真で見ると銚子から大洗 まできれいな砂浜が続いている。歩くほかないだろう。計画は大洗から九十九里浜を経て大原だったが、時間の関係で上総一宮で止めた。それでも、8泊もし た。体調もあるが、距離が長いので、結構、きつめになった。惨めで、素晴らしいバックパッキングだった。
一日目
米と乾燥野菜を6日分、ミューズリ、粉ミルク、チーズ、ドライのマンゴー数キロ、コーヒーのパックと無神経にバックパックに放り込む。出発時のバックパックの重量は23キロ。
JRは信号機の故障で遅れ、大洗着は3時半。エコスというスーパーで、ステーキ、冷凍餃子、ポテトサラダ、ウインナのパック、チーズケーキなどを買い、水3リッターを持つ。4時5分、出発。荷物が重い。風が強い。
大洗フェリーターミナル
フェリーが見えた。きれいな海浜公園がある。綺麗な店もあるので、食料満載で野宿場所を探すのは、惨めな雰囲気。海浜公園はキャンプ禁止。砂浜へ進む。
暗くなってきたので、5時過ぎテント設営。標高1メーターで、高波が来るとひとたまりもないが、調子が悪く、疲れた。強風だが、砂地にブリザード・ ステイクがよく効く。テントはびくともしない。ヤマザキのチーズケーキが旨い。ステーキも旨い。餃子の焼き加減も素晴らしかった。新しいフライパンのお陰 だ。惨めな野宿が素晴らしいキャンプに変わる。
気温は2度。夜、ひどく寒さを感じる。ダウンマットと冬用シュラフなのに、寒くてガタガタふるえる。その内にびっしりと寝汗をかく。風邪を引いたようだ。そのまま寝ていると乾いた。気温はマイナス2度。今度は寒くない。治ったようだ。
二日目
4時半に起きる。テントを締め切って寝たので、結露がひどい。朝食はミューズリと粉ミルクと水を混ぜて暖めた物。それにチーズとコーヒー。結構、旨 い。5時半、二杯目のコーヒー。ウォーキング・スタッフを一脚にして大洗フェリーターミナルを撮影。露出時間0.4秒で、一応写っている。さすがE-3。
明け方の大洗フェリーターミナル
6時10分出発。まだ暗い。海水浴場には水がない。砂浜もなくなり道を歩いていると、レストランひたちのが見える。砂丘を上がり、水を1リッターいただく。
砂浜がなくなる。
7時、気温マイナス2度、ショーツで歩く。8時13分、気温0度。海岸線は工事中が続く。立ち入り禁止を無視して進入。10時25分、滝浜。素晴らしい砂浜が続く。11時、岡堀米海浜公園。きれいなトイレもある。ベンチでしばらく休憩。
広い砂浜が延々と続く。
人相が悪くなったが、これで正常。
ドライブインまで歩いて昼食とする。12時半、ドライブイン51号。入るのを止めようと思う雰囲気。トラックの運チャン風の人が入ってくる。水3リッターを確保。重いが持ち歩くことにする。13時半出発。
肉炒め定食、800円。意外に旨い。
14時、砂浜に出る。15時、高釜。海辺の別荘はボロボロになって廃墟が多い。やっと自販機があったので、クーを購入。若いアンちゃんが「この辺、 治安、悪いんですが、大丈夫ですか」と言う。「砂浜には誰もいないよ」と答える。「大洗から歩いてきた」というと「まじすか」とビックリされた。いくら治 安が悪くても、でかいバックパックを担いだ恐いおじさんに寄ってくるヤツはいないわな。15時半、堺釜。ハマナス自生南限地帯。
山の中腹を切り開いた場所。砂地なのでブリザード・ステイクでテント設営。
山を切り開いた場所が見えたので内陸に入る。標高20メーターくらいで、山を切った平地があった。4時20分テント設営。夕食は乾燥野菜の炊き込みご飯とウインナの炒め物。お豆のパック、スープ。
三日目
明け方の砂浜。蛤の貝殻が散らばっている。
4時半に起きる。ミューズリとミルクとチーズとマンゴーとコーヒー。6時10分出発。7時20分、荒井。9時15分、清水。10時、下津。鹿島工業団地があるので、内陸へ。
鹿島の北海浜工業団地。
10時45分、セブンイレブンでパンとミルクコーヒーを買い、空き地で食べる。11時出発。宇宙通信センターあり。12時半、住友金属の正門前を通 過。まるで高速道路のゲート。バスは東京行きの高速バスばかり。13時35分、港公園。狭いがずっと道路沿いに続く。公園の道を歩く。14時16分、国道 124号に合流。郊外道路風となる。
14時40分、市役所前。男二人、話しかけてくる。「趣味ですか。大変ですね」と言われる。まったく大変な趣味だ。足にまめが出来て、潰れた。歩き 始めが痛いが、後は麻痺するので、まあ歩ける。南浜の海浜公園の水場を聞くと、テニスコートがあり、水はあるという。4時、最後のセブンイレブンでおかず を補充。
5時、海浜公園。余りにもきれいな場所。合宿しているのか、人も多い。トイレで水3リッターを確保。人のいない運動場の吾妻屋にテント設営。夕食は乾燥高菜ご飯とウインナの炒め物、ポテトサラダ、チーズ。
今度はニードル・ステイクをタイルの間に差し込んで設営。
四日目
6時までぐっすりと寝る。お菓子パンとケーキは夜に食ってしまった。朝食は水で戻したマンゴー、ミューズリ、粉ミルク、コーヒー、チーズ。7時半、ノンビリしたので片付ける。トイレに行くと人だらけ。何か試合があるようだ。8時10分出発。9時、砂浜に出る。
鹿島工業団地を迂回して砂浜に出る。
今回は、マウンテンハードウェアのsolitudeを使用。万能バックパックだ。
風が冷たいので、マウンテンハードウェアのジャケットを着用。脇の下のチャックを開放して体温調整ができる。ショーツもマウンテンハードウェア。
10時温かくなったので、Tシャツになる。10時半、須田浜。再び、風力発電の風車が並ぶ。波崎の老人ホームの所で陸に向かう。セブンイレブンでパンとミルクを買って再び砂浜へ。12時半、昼食。13時出発。釣りの人と珍しく口を利く。カレーがとれるそうだ。
14時20分、バテてきた。浜新田の海水浴場にはトイレと水あり。ただし、銚子はすぐそこ。銚子大橋は一車線、歩道もなし。トラックが通るとゆらゆ らと揺れる。緊張した。銚子の駅の近くの食料品スーパーに行き、にぎり寿司、餃子、豆のパック、サラダなどを購入。銚子電鉄は出た所。5時7分発で君ヶ浜 へ。
辺りは真っ暗。5時半、いつもの場所にテント設営。休憩所は空いていてトイレも水もある。誰も野宿していない。なっとらん。こんなに便利なのに。オリジナルのにぎり寿司は非常に旨かった。冷凍餃子もフライパンが良いので楽勝。
五日目
3時半に目が覚めたので、ヤマザキのあんまんと肉まんを食ってしまう。テントの雨よけのヒサシの針金が布をやぶって飛び出した。抜いてしまう。シリコンチューブを埋め込む予定。7時、そろそろと片付ける。久し振りにヒゲを剃った。7時半、出発。
君ヶ浜、遠くの灯台は犬吠埼。
外川を経て、セブンイレブンでパンとミルクを買う。10時20分、Tシャツになる。有料道路を歩くが、今日はゴーゴーと車が通る。一時、屏風ヶ浦に降りる。
屏風ヶ浦、通り抜けは止めた。
通行止めあり。通り抜けは可能か不明。10時50分、国道に合流するとアルペンがある。ガスカートリッジを一つ買っておく。コーヒーハウスがあったのでカレーピラフとコーヒーで昼食。量が少ない。味はまずまず。
11時40分、出発。脇道にはいるが、舗装道路が続く。13時、飯岡町の手前、小休止、ミルクを飲む。飯岡町からは砂浜に出る。
非常に広い砂浜が続く。
14時50分、矢指ヶ浜、トイレ、水あり。かんぽの宿まで1.6キロなので歩く。かんぽの宿で風呂、800円だが、明日からは1000円という。少 し先にセブンイレブンがあるので、水を補給せず、4時、出発。セブンイレブンは潰れていた。ガソリンスタンドで水を3リッターもらい、砂浜に向かう。
すぐに古びた吾妻屋があった。テントは奥の松林に張った。飯を炊いている間にコロッケパン、卵サンドイッチ、お豆さんを食ってしまう。その後、夕食 は乾燥ほうれん草いりのご飯にシーチキンをぶっかけた物。これで非常に旨い。ひどい雨になる予定なので気になり、引っ越し開始。7時20分、吾妻屋のベン チをまたぐ形でテント設営。ふかふかダウンマットなので、下はコンクリートでも関係なし。
六日目
夜中過ぎから風雨が激しい。6時半にようやく起きる。朝食はミューズリ、ミルク、マンゴー、チーズ。ミューズリの在庫がなくなった。
低いベンチをまたぐ形でテント設営
8時出発、小雨。10時、西浜近くの国民宿舎、望洋莊の所で内陸に入り、セブンイレブンでアジご飯を買う。遊歩道に入り込み、ベンチで食う。ネコ飯風だが、旨かった。水は1リッター。10時半、出発。雨が上がったのでショーツになる。
川があるので、中川岸で内陸に入る。成田山上陸地点と表示があり、水、トイレ、記念碑あり。再び砂浜に出る。13時半、屋形に上陸。前回は通らなかった。
遊歩道が延々と続き、13時50分、蓮沼海浜公園。以前、2泊したテニスコートの所のトイレは閉鎖され、水道の蛇口は壊されていた。参った。浄水器 を持ってくれば良かった。さらに、コンビニの場所に行くと、潰れていて閉鎖。20分ほど歩いてガソリンスタンドで水をもらう。やむをえず次のセブンイレブ ンまで道路を歩く。15時半、宿の下、セブンイレブンあり。夕食の買い物。水を3リッター確保。砂浜に出る。
最初に張った砂丘の上。
大きな砂丘の上にテント設営。高波が来ると、ひとたまりもない。4時50分、内側の砂丘の上にテントを移動。夕食は乾燥野菜入りご飯とウインナの炒め物、煮豆、パン、スープ。
七日目
6時に起きる。マンゴー、ケーキ、パンとコーヒーの朝食。自作のパンやミューズリと比べると食べ応えがない。7時半、出発。
いよいよ九十九里町が近づく。
8時半、内陸に入る。やっと九十九里町の中心部。ローソンが潰れていて、セブンイレブンができている。以前、入った「マリン」という店あり。砂浜に向かう。
九十九里浜は海鳥が少ない。遠くに見えるのは国民宿舎、九十九里莊
強風。砂嵐状態
しばらく歩くが、強風。膝下が砂嵐状態となる。9時40分、サイクリングロードに上がる。しばらく内陸を歩く。ヤマザキショップであんまんを買う。10時20分、国民宿舎九十九里莊。10時40分、以前野宿した広場であんまんを食べる。10時55分出発。
松前定食、1000円。ほっけの切り身に注目。
13時、白子町、「北海」という店で松前定食1000円を食べる。ほっけが1/3しかない。ご飯も少ない。世間の風が冷たいことをしみじみと感じる。
遠くに見えるのは大東崎。九十九里浜は手前で終わる。
昼食中に風が治まったので砂浜に出る。15時50分、国民宿舎一宮莊。空き部屋あり、食事付きで5900円。お金はあるのだが、わずらわしい。セブ ンイレブンに行き、晩飯を考える。結局、乾燥スパゲティの麺とトマトソース2パック、アジの水煮の缶詰、コーンスープを買う。甘いパンには飽きたので、大 きなレーズンパンとピーナツバターパン。まあ、どら焼きは一つ買った。テント場は少し離れた松林の遊歩道脇。夕食はアジをのっけたパスタ。非常に旨かっ た。
暗いので、カメラを木に押しつけて写す。何とシャッタースピードは2秒。さすがE-3。
八日目
5時に起きてブドウパンとピーナツバターパンとチーズとコーヒーの朝食。6時15分出発。上総一ノ宮駅7時17分発の快速があった。JRは猛烈に混んでいたが、午後1時過ぎに自宅着。一応、帰ってからも無事でした。
今回の優れ物
吉良食品の乾燥野菜
実は毎回の優れ物。非常に軽いし、1日一袋(200円)を食べれば、絶対に野菜不足にならない。現在、歯を移動中で、噛み合わせがメチャクチャで噛めな い。今回は米に乾燥野菜(高菜、ほうれん草、大根葉など)を入れ、中華だしを少し入れて煮てしまった。それを細かくきざんだウィンナと一緒に炒めたり、 シーチキンをぶっかけたりして食った。非常に旨い。
MSRブリザート・ステイク
Aktoは非自立式だが、砂地でも申し分なく設置可能。ちなみにニードル・ステイクもタイルの隙間に差し込んで活躍した。
Map60Csx
砂浜を歩いていると、現在位置は分からない。GPSがあると、上陸地点が正確に分かる。同時に持ち歩いたのは、カシミールで印刷した5万分の一地形図。予め、google mapで、セブンイレブンなどの場所を記入しておいた。
今回の費用
費用は交通費と食料程度。交通費は往復で26000円、食費は13000円程度。1日2000円の壁は越えられなかった
2007年11月
石膏模型
左が現在の歯列、右が矯正後の予想歯列模型
実は、歯列矯正を始めた。上顎奥の親不知が寿命を迎え、このままでは咀嚼力が低下してしまう。並べ替えればマシになると考えた。優秀な矯正歯科と知 り合いだったのを思い出した。昔、歯列矯正に伴う精神状態の変化の研究をしていた。今も最新の矯正法を熱心に研究中。2001年にE-Smileを開業。院内にMacのネットを巡らすエンジニアタイプ。
左の石膏模型は現在の歯列。右は矯正後の予想。治療期間は1年半から2年。高齢、歯周病持ち、歯の位置がメチャクチャ、神経近くに埋没歯あ り、歯槽骨も退縮と、条件が悪い。アンカーとなる歯もない。ベストの方法を聞くと、アンカーとしてチタンの棒を上顎と下顎に打ち込み、同時に歯肉と歯槽骨 の再建手術をする方法だという。こうすると歯の移動速度が二倍になる。ベストを選択した。
E-Smileと堂島の浦野歯科はチーム医療をしていた。ここ10年程で、再生医療は格段の進歩をしている。手術はGBR法(骨誘導再生)の 改良版と骨補填材の併用だそうだ。成功すれば歯の状態が20~30年若返る。浦野歯科の腕が心配だが、聞くと日本のトップ。ブラックジャックの雰囲気が漂 う人だ。手術は6時間ばかりかかった。上顎の奥に、各1本、インプラントを打ち込めば歯列は完成する。入れ歯は顎の骨が萎縮してしまうので、時代遅れの方 法だった。
歯並びが良くなったら
映画俳優になろう...と思ったが、どうせ役回りは、ダイハードとかターミネーター。忘却力の偏差値はトップだった。台詞は覚えられない。ダメ。
笑顔を振りまいて、弁舌さわやかに...と思ったが、面白くないと笑えない。弁舌巧みに人をだますに決まっている。ダメ。
...
歯並びが良くなったら、野菜と肉をしっかり食って、ウェイトトレーニングとランニングをやって体力と気力を付けて、悪事に励むか。きれいな歯並びでニヤリと笑うと凄味がでるぞ。
2007年9月
学会帰り
牛の丸焼きを懸命に切り分ける料理人
パーソナリティ心理学会の懇親会での一こま。メインメニューは牛の半身の丸焼き。朝9時頃から焼き始めたそうだ。山ほど食っても食いきれなかった。 残った肉を懸命に切り分ける孤独な料理人。この他、ホタテ、豚、イクラ、畜産大の生ハム、チーズ、トウモロコシ、十勝ワイン、十勝ビールなど、てんこ盛 り。若手でも食い過ぎ、飲み過ぎ、寝不足の三重苦だったらしい。
帯広の糞田舎で学会などやって、誰が行くものかと、固く決意していたけど、講演とかコメンテーターのお声がかかり、仕方なしに行った。肉を食って急に気が変わった。毎年でも帯広で学会やってもいいね。懇親会だけ行くよ。
「どこにテント張った?」と何人にも聞かれたが、まじめに極安のビジネス・ホテル(朝食付きで4200円!)。もちろん、野宿地は事前にしっかり検討した。河原に公園はあるが、風呂、買い物、畜産大への距離が2~3キロ。ちょっと不便なので今回は見合わせた。
学会終了後
豚丼なんです。
帯広名産はともかく豚丼。食う予定はなかったが、つい食ってしまった。炭で焼いた豚で非常に旨い。しかし、塩辛いし、野菜が足りない。後で野菜サラダと果物を山盛り食べた。そういえば、講演の格好いい写真、一枚もないな。
1日目
黒岳石室
学会終了後、奥様と待ち合わせて、帯広から層雲峡へ。高速バスが便利だ。黒岳石室は避難小屋で山小屋ではなかった。立派なバイオトイレがあった。北 大の連中が二、三週間テント泊。一人はイチローに似ていた。熊の観察のお仕事。夕方、遠くの雪渓の上に熊が出没、望遠鏡で見せてもらった。
2日目
北鎮岳2244メーター
夕方は強風。ぐっすり寝て、3時半頃に起きて、5時出発。お鉢展望台6時、北大の熊観察隊がお仕事中。仕事は今日で終了でヘリコプターが迎えに来てくれるそうだ。さすが、北大はお金持ち。北鎮岳は7時。間宮岳8時15分、のっぺりした山だ。
旭岳の裏、今回はマウンテンハードウェアのバックパック
旭岳の裏は急傾斜で、道はない状態。まっすぐに登る。人や岩が落ちてきてもおかしくない。山頂は9時40分。奥様も恐かったようだ。10時5分、下 山開始。火山なので、山がぱっくり割れている。急勾配の下山で脚が痛い。避難小屋11時40分着、ゆっくりとコーヒーを湧かす。ケーブルで下りるとお終 い。昼食はキャンプ場の前のロッジでラーメンとした。特に旨くもない。
旭岳青少年キャンプ場
かなり広いキャンプ場で、空いていて貸し切り状態。キツネもいるそうだが、会わなかった。きれいな水洗トイレだった。静かでぐっすり寝た。
エピローグ
帰りはフェリー、奥様が一緒だったので一等室なのだ。
今回の破壊活動
旭岳青少年キャンプ場の男性用トイレの入り口。ドアをぎゅっと引くと、大きな取っ手を引きちぎってしまった。ネジが潰れた。たまたまトイレ掃除の おばさんいて、顔面蒼白、口を効いてくれなかった。ここのトイレ、最初の入り口は引いて開ける立派なドア、次が押して開ける男性用と女性用の立派なドア (これを引きちぎった)、その次が個室という順。設計が悪いのよ。ごめん。
気に入っていたプリムスのP-131マイクロン・シングルバーナーのごとくをひねると、リベットともちぎってしまった。がっくり。仕方ないから、P-153ウルトラバーナーに買い換えました。7000円の損害。
カメラをぶら下げていたプラスチックの接続バックルが割れていた。きちんと接続していなかったからだろう。これは手元に代替品があった。
2007年8月
層雲峡からトムラウシ山へ
左前方の一番高い所がトムラウシ山
JRが柿崎付近で不通。意地でも今年は北海道に行こうと、富山-新潟は高速バス、新潟-小樽はフェリー、連絡バスで札幌に行き、JRで上川、バスで 層雲峡、ケーブルを使うと黒岳の7合目となる。トムラウシ温泉まで、3日の行程。晴天に恵まれて素晴らしいバックパッキングができた。
ところが、難治性の蛙野嫌田嫌田病が再発。一日、天気が崩れるので、倶知安に移動して、未知のルートを歩こうとした。日頃の行いが良すぎたため、台 風が直撃。やむなく三日寝たきりで、四日目に羊蹄山にアタックした。帰りは苫小牧東港から新潟へフェリー、新潟からは高速バス。フェリーはリッチな気分が 楽しめるが、バスは窮屈、値段も高い。
アプローチ
新潟からはカモメが見送ってくれた。
富山-新潟の高速バスは、シートが4人がけ。しかも固いのでお尻が痛くなる。乗客は1/3程度。フェリーの出航時刻の関係で、新潟で一泊してから フェリーに乗った。おでこの広い、無口な登山家が一人。能登で仕事をしてきた人に写真を写してもらう。カメラのセミプロ。「旅人」と言われた。フェリーは 移動する温泉宿だった。残念ながら新潟-小樽は、食事が×。皿を一杯取ったが、腹が一杯にならない。
一日中デッキで、文庫本を読んだ。
フェイズ1---1日目
3時に目が覚める。4時半に下船。店も何もない。連絡バスの5時半まで待つ。札幌駅で6時半から営業の店あり。豚汁とおにぎりのセット。ちょっと ビックリ。これで350円。意外に旨かった。キオスクでパンを買い、7時21分のオホーツク1号に乗る。おでこの広い登山家は旭川で下りた。上川9時41 分着。北海道の登山家、江守徹に似た人と一緒になる。層雲峡でまんじゅうとパンを買い、水2リッター持つ。これでバックパックは24キロ。リフトの駅で、 簡単な登山届をだし、11時20分出発。12時10分、黒岳の9合目。
黒岳九合目付近
12時40分、山頂。あんパンを三つ食う。晴天。モンベルの帽子をかぶった登山家に沢山写してくれと頼むと20枚くらい撮ってくれた。バックパックはウェストベルトをボルトナットで蝶番に直付けした。荷重が完全に腰の両サイドにかかり、素晴らしい背負い心地だった。
黒岳山頂で。バックパックを中心に
少し後に、岩にぶつけたのか、カメラのモニタにヒビが入っていた。パッドの手抜きをしていた部分。今後はカメラバッグを胃の左に固定するか。
北海沢
13時10分、黒岳を出発、13時25分北海岳分岐。雪渓が多く、水も豊富。
北海沢の先のお花畑
北海岳15時10分。野口健のような笑顔の青年と会う。天気は良いが、時刻が遅いので、先を急ぐ。16時40分、白雲岳のテント場着。
白雲岳避難小屋とキャンプ指定地
テントは隅に張る。江守徹さんも隣に張る。水は4リッター作成。彼は浄水器に興味津々。携帯は小屋の傍なら通じる。NHKの取材の人が来ていた。女がいるとうるさい。7時半過ぎまでぺちゃくちゃやっていた。注意する。8時頃に寝る。
2日目
3時15分、起きる。4時、コーヒー終了。トイレはバイオトイレ、紙は持ち帰り。5時出発、晴天。
遥か彼方のピークがトムラウシ山
雲海は遥か下
6時10分、高根ヶ原分岐。7時5分、平ヶ岳。平原にしか見えない。
平ヶ岳山頂付近
10時45分、忠別岳。忠別岳手前で気象衛星の画像や天気図を確保。自宅に連絡。江守徹さんが追いついてくる。夫婦1ペア。自転車のタイツをはいた若者、野口健さんなど。適当に前後して歩く。
忠別沼と忠別岳
11時40分、五色岳。昼食。携帯は通じない。12時15分出発。
キタキツネと会った
神遊びの庭
13時40分、化雲岳。岩があるだけだが、神遊びの庭が見下ろせる。14時40分、ひさご沼テント場。水はけの良い場所があったので、テント設営。
ひさご沼キャンプ指定地
ひさご沼避難小屋とバイオトイレ
70歳のおばさん。バックパックに興味を示したので、20キロのバックパックを背負わせる。腰のベルトを締めると重量が抜ける。「私でも背負える」と感激していた。「重さが消えた訳ではないのよ」とは言っておいた。
15時、身体を拭いて、水4リッターを取りに行く。おでこの広い登山家と再会、となりのサイト。気がつかないので、あえて声もかけない。
ベテラン登山家、江守徹さんが訪問。彼は今日は山小屋泊まり。食事を作るのを見学にきた。遅く着いた人がいて、山小屋は混雑。トイレへの通り道だったが、7時前に、一斉にトイレラッシュがあり、すぐに靜かになった。7時頃に寝る。
3日目
2時半、トイレで目が覚める。2時50分、パンとチーズとコーヒーの朝食。4時半、そろそろと出発。アルミのアイゼンを持ってきたので、雪渓を直登する。しかし、途中で外れる。締め付けが甘かったようだ。また、調節しないといけない。
トムラウシへの分岐、5時15分。天沼手前、5時45分。トムラウシの北側は素晴らしい庭園風の丘陵が続く。
日本庭園
ロックガーデン
7時50分、トムラウシ山。360度が見渡せる。携帯も通じる。野口健風、江守徹風、サイクリスト風登山家と一緒。写真を撮ってもらう。
十勝岳方面
トムラウシ山頂
山頂直下の変わった花
ガイド二人と中高年のおばさん。ガイドの一人は筋肉量が私の数倍のプロレスラーのような人。パンを食っていた。自作のパンも余っているのであげた。 感激してくれた。おばさん達に「富山のパン屋さん」と呼ばれた。ポカリスエットの粉末をくれようとしたが、「水しか飲まない」と断る。代わりに甘酒の粉末 が出てきたので、ひったくるようにもらう。江守徹が「この人は甘党なんだ。大福も食べていた」と余計なことをいう。
ガイドはフレームパックを見て感激。「そうだ、フレームが良いんだよな」と昔、山小屋で使っていた思い出話をした。しかし、天気は下り坂。みるみる内に黒い雲が湧く。この時、利尻では暴風雨。
8時10分、下山開始。8時35分、南沼キャンプ指定地、トムラウシ公園もなかなかきれい。江守徹と前後して歩く。9時半頃、前トム平。若い二人が 先行、私、江守徹が続く。1395メーター、谷川から離れ、新道に入る。大雨で人が死んだので、道の付け替えをやったらしい。急な登り。途中、牛のような 獣くさい臭いが立ちこめる。クマちゃんです。その後、ハイキングコースとなった。
11時50分、カムイ天上の数百メーター手前。ゆっくり腰を下ろして昼食。江守徹が追いつく。先ほどの臭いはクマとのこと。先に行ってもらう。13 時、温泉コースへの分岐。14時25分林道に合流、15時、トムラウシキャンプ場にテント設営。貴重品をもって温泉へ。10分かからない。まず自宅に電 話。隣に風呂上がりの江守徹がいた。まったくよく会う。こいつは金持ちだから温泉泊。
風呂は500円。素晴らしかったが、バスは一日二本、2000円もする。7/14から8/12の限定運行。タクシーだと1万5千円という。厳しい場 所。風呂上がりにポカリを飲む。それを見た江守が「水しか飲まないと言ったじゃないか」という。「人の言った事を何時までも覚えてるんじゃないよ」と言い 返す。まったく記憶力の良い男だ。困る。いい女でもないし。
あまりにも順調に歩いたので物足りない。せっかく苦心して北海道に来たのにと、蛙野嫌田嫌田病が発症。天気は一日、崩れるだけだし、羊蹄山に一登り してから帰ることにした。テント場に戻ると親子連れが傍に来た。迷わず遠くに引っ越す。水3リッターを作る。サラミソーセージと乾燥野菜のチャーハンも飽 きたので、中華煮物にするが、サラミの味はどうしようもない。その後、おでこの広い登山家が来てテントを傍に張った。相変わらず気づかない。19時頃から 寝る。家族連れは靜かだった。
フェイズ2--移動と休養
5時に起きる。トイレは最悪。5時50分、チョコパフェとチーズの朝食、二杯目のコーヒー。寝ころんで文庫本を読む。7時、景色も良くないし、飽き てきたし、テントを片付ける。バス停までぶらぶら。温泉の前で座って文庫本を読む。おでこの広い登山家が来る。初めて気づく。タクシーで沼の原から入り、 五色ヶ原、トムラウシと回ったとのこと。バスは8時45分発。江守徹も乗り込む。新得駅10時10分着。
新得の駅
札幌まで5250円。倶知安に行くバスは15時半しかない。今ならいくら食っても太らない。大丸のビュッフェに向かう。食い放題にコーヒーを付けて1650円。控えめに食べましたよ。
倶知安、18時着、旭が丘公園の高台へ。真っ暗。東屋の中にテント設営。貴重品を持って東湯に出かける。番台をくぐった時、洗面用品を忘れた事に気 づく。おばさんがひとそろい貸してくれた。どうも以前に来た記憶がある。倶知安温泉に入り浸り、忘れていたようだ。帰りに生協に寄って、パイナップルとお にぎり一個、朝食用にフランスパンを1本を買う。雑貨品としてミニの蚊取り線香のセット。テントに20時40分に戻る。深い霧で何も見えない。
2日目
5時に起きる。公園を見ると、ここにテントを張るなと看板が出来ていた。テーブルとイスも撤去されていた。どうも、オレみたいな不心得者が一杯いた ようだ。下の古いトレイも閉鎖。仕方ないので、テントを片付けて、東屋で本を読んでゴロゴロする。町を一回り回ってから本を買ってくる。天気は良くない。 二日くらいは悪そうだ。京極に移動してみることにした。4日後には帰るので、フェリーと高速バスに予約を入れる。昼食に海鮮どんぶりとサラダ。非常に旨 い。いつもは生魚は食べないのだが。
Aコープの海鮮丼とサラダ
煉瓦と煉瓦の間にニードル・スティックを差し込んで設営
京極のスリーユーキャンプ場に移動して、2時にテント設営。500円。きれいで広くて隅に張ると靜かだが、ゴミは持ち帰れとある。これは非常に困 る。それに京極のエーコープには新鮮な物がない。キャンプ場近くの京極温泉は500円だが、ロッカーが有料で100円。ローソンはあるが、どうも生活しず らい。湧水公園はにぎわっているが、中国人の団体客がいて、不気味な雰囲気。夕食は冷凍のチャーハンに餃子がメインメニュー、サラダとして、ジャガイモコ ロッケを買ってくる。これが非常に旨かった。3つで150円。天気予報が当たらない。台風は接近中。北海道南部を直撃らしい。19時に寝てしまう。
3日目
6時に起きる。11時間も寝た。朝はしっかり雨。フランスパン、ヨーグルトケーキ、コーヒー、バナナの朝食。本が残り少ない。やはり倶知安でないと 長期滞在できない。9時、雨が一時止んだ。しかし、台風は道南直撃コース。11時ぶらぶら歩いて湧水公園のレストランでジンギスカン定食。肉は旨いが、飯 と味噌汁がダメ。1200円もした。コンビニであんパンとスコーンを買って、12時半、テントでコーヒータイム。こんなに食うと豚になるが、しばらくは大 丈夫。
羊蹄山は京極コースを登り、喜茂別コースで下りる予定だが、その後、京極に戻らないといけない。京極にタクシーはないかと観光センターに電話。「京 極ハイヤー」があった。電話で確認すると、3000円ほどだそうだ。台風は午後に直撃し、その後天気は回復する。4時半、エーコープに行き、豚肉、ター ツァイともやし、餃子、ジャガイモコロッケのお総菜を買う。5時半頃から飯を炊き、豚肉と野菜の中華炒め煮を作る。上手にできた。19時、食事終了。雨が 上がった。
フェイズ3--羊蹄山アタック
3時半に起きる。小雨。倶知安は曇りの予報。レーダーには濃い雨雲はない。3時50分、二杯目のコーヒー。水3リッター持つ。4時半出発。雨が上がる。まず、登山口まで1時間の歩き。5時35分、登山口、41メーター地点。隣はジャガイモ畑。
京極登山口
京極コースの中腹
しばらく歩くと松林の中。1合目525メーター、6時。2合目小雨、635メーター、6時20分。3合目、730メーター、6時35分。4合目、 895メーター、7時。暑くて上はびしょ濡れ。5合目、1085メーターも7時35分。1155メーター、やっと花が見える。クマの臭いもする。かなり以 前だが。いるようだ。6合目、1280メーター、8時13分。7合目、1460メーター、8時45分。8合目、1565メーター、9時7分。岩が出始め る。小雨。9合目、1755メーター、ガレ場のコースを左へ、9時53分。
三角点にて
三角点のピーク、10時12分、ガス。記念撮影。喜茂別ピークに行くと、男二人がいる。真狩コースから登ってきたという。東京からの人と話。膝が悪 いので、下りるのは遅いが、駐車場で待っていてくれれば、京極まで送ってくれるという。何か、お礼はというと、ラーメン一杯で妥結。しばらくして下山を開 始するが、方向が違う。私が下りるのは真狩ではなく、喜茂別だった。残念。それでも送ってくれるというが、迷惑になるから断る。10時50分下山開始。し ばらく草地が多く、花がきれい。その後、笹になり、白樺林に変化する。
喜茂別ピーク直下のお花畑
喜茂別コースの白樺林
12時40分、840メーター地点。590メーター地点で林道を横切る。ピークハントの人には便利なのだろう。13時40分、97号線に合流。「京 極ハイヤー」に電話する。今日は貸し切りだからと断られる。喜茂別のハイヤー会社の電話も教えてくれない。すぐに電話を切断される。かき入れ時だから、雑 魚は相手にしてくれない。仕方ないから京極を目指して歩く。15時10分。京極温泉前のローソンに到着。ミルクを飲んで一息いれる。
テントを片付けてパッキング。4時29分のバスで倶知安へ。倶知安はじゃが祭り。サラダとフランスパンと握り寿司14個入りを買う。テントを合法サ イトに設営。まず、寿司を食う。エーコープの寿司は旨い。その後、倶知安温泉に出かけて、洗濯もする。出ると、花火大会。ぐるりと町を歩く。丸ごとバナナ とミルク500ミリリッターを買ってしまい、テントに戻り、ぺろりと食ってしまう。蚊が多いので、蚊取り線香が活躍。8過ぎに寝る。
エピローグ
5時に起きる。チーズ3個、フランスパン1本、コーヒーの朝食。天気は曇り。昨日登って正解。9時29分、倶知安十字街からバスに乗る。札幌、昼 頃。ドトールで軽い昼食と思ったが、ふらふらと飯やに入り、ハンバーグと半熟卵を乗せた丼を食う。550円。コーヒーを付けて650円。コーヒーも実に旨 かったが、客は少ない。札幌としては値段が高すぎるのだろう。
ハンバーグと半熟卵の丼
荷物を預けて、紀伊国屋で文庫本を買い、その後はビックカメラで過ごす。苫小牧東港までの高速バスは16時50分発。乗船は19時から。船が一回り 大きい。二等寝台は8千円。一応、頭の横が棚になっていて、仕切られている。まず風呂に入る。気持ちがよい。夕食はバイキング。1600円。野菜が山ほど 食べられる。旨かったのはジャガイモのチーズとクリーム煮。コーヒーも飲み、ゆっくりと過ごす。9時過ぎ、隣のメタボおじさんがすごいイビキをかき出す。 止まらない。10時、堪らなくなり、乗員に相談。場所替えをしてもらった。10時過ぎ、ぐっすり眠る。新潟-富山の高速バスは混んでいて辛かったが。フェ リーは安くでリッチで良いぞ。
フォアワードサロンでのんびりと本を読む
羊蹄山十文字登山の提案
羊蹄山には、倶知安コース、京極コース、真狩コース、喜茂別コースの4つの登山コースがあります。お鉢回りもできます。例えば、倶知安コースで登り、お鉢を半周して、京極コースから下り、喜茂別コースを登り、真狩コースで下りると、結構、充実しますね。
さて、ルール。登山口から登山口へは車で移動しても可。また、お鉢回りは不完全でも可。でも、休みなしの連続登坂とします。遅くても20時間、速い 人は10時間少しでしょうか。万が一、馬鹿なことをしてしまった人は、大学宛の郵便で記録を連絡してください。余っている本があれば一冊贈呈します。賞金 はありません。
2007年7月
林道プチ・バックパッキング
改造カーソン90 腰のベルトに注目。四半世紀前のJanSportsのベルトに交換した。フレームは背中に沿うようにくの字に曲げた。この時は背 負いベルトの起点がやや低いが、現在は一番高い位置に変更した。テントは中に入れたが、昔のように一番上に水平に乗せた方がよいようだ。
本を立て続けに出版したので、身体に来てしまった。先週は弱点の親不知が炎症を起こし、歯槽骨が溶けた。幸い、抜けなかったが、ウォーキングしない と死んでしまう。それに昨年購入したカーソン90も林道デビューさせないと可愛そうだ。台風も近いが、東蔵から僧ヶ岳の林道を歩き、いつもの峠で夜を過ご し、森林公園へと下るなら、いくら天候が悪くても大丈夫である。---大丈夫だと思った。
写真を冷静に見ると、このベルトは失敗。フレームを背負う位置が5センチばかり下がっている。今、思いついたのは、このアルミの蝶番に元のベルトを低めにボルトナットで固定すること。そうすると5センチばかり高く背負える。改造はいずれ。
一日目 林道ハイキング
僧ヶ岳の林道入り口。
いつものように、JR魚津で下りて、バスで東蔵。9時着。ゆっくりと林道バックパッキングを開始した。雰囲気の良い、寂しい林道。距離は非常に長い。ガスの中をグルグルと歩く。車は通らない。
坂本弁護士一家の記念碑。
11時15分、坂本弁護士一家の記念碑の場所。オーム真理教の狂信者に殺された奥さん(都子)が埋められていた所。花が生けられていて、まだ枯れて いない。腹が減ったので、パンとチーズとプルーンで昼食とした。缶コーラが記念碑の上にあったので頂いた。ゴミになるから、持って帰れと看板にも書いて あったし。
12時前、道は通行止めだったが、いつものように無視する。もう一度、通行止めの標識がある。おかしいなと少し前進。道が垂直に落ちていた。標高760メーター地点。幅は10メーターくらいか。
道が奇麗に落ちていた。
あまりの事にびっくり。まるで橋が落ちたようだ。金網を伝えば行けないことはない。空身で少し行ってみる。足元がざらざらと崩れる。無理すれば渡れ るが危ない。引き返すことにした。体調が悪いと、運も悪い。無理はしない方がよい。ガスと小雨の中、ダラダラと歩いて、再び、東蔵14時25分着。捜索令 状が出るとまずいので、奥様の留守電に伝言を入れる。
「みんなの広場」にテント設営。
テント場3時着。誰もいない。発電所が作った施設。珍しくトイレがある。一応、テントを張るなとは書いてある。一度寝たいと思っていた場所。テント 設営3時半、川に下りて水4リッター少しを確保。トイレットペーパーが見あたらないので、慌てて探す。しばらくしてバックパックのサイドポケットに入れた のを思い出す。携帯電話が通じた。植村直己の「青春を山にかけて」を読む。随分、無茶なことをした人。本を読むだけで充分。
夕方になるとガスが湧き、良い雰囲気。
17時、飯炊き開始。久し振りにステーキをダブルで食べる。旨い。乾燥野菜をスープで煮た物とお豆さん。
久し振りにステーキをダブルで食べる。
19時から40分ほどうとうとする。小雨になる。眠れなくなって、チョコパフェとパンとチーズを食う。21時、寝る。
二日目
6時に起きる。雨は大して降っていないが、台風が接近中。歯の根も少しうずく。体調と天気が良ければ、片貝川を遡って山登りもできるが、無理はいけ ない。中止にする。コーヒー、パン、チーズ、マンゴーの朝食の後、植村直己の文庫を寝て読む。9時前に薄いココアを飲んで、出発の用意。
東蔵の集落は左手で見えない。
バスは9時15分にあるが、魚津まで歩いてみようと思った。9時20分出発、小雨の中、ぶらぶら歩き。魚津はなかなか遠い。景色は良いが、段々と足 が痛くなってきた。横枕11時40分着。バスが56分にある。魚津駅まではまだ1時間以上かかるので、乗ることにした。12時10分、魚津駅。富山駅のド トールで昼食。今回のプチ・バックパックキングは終了。少しだけ体調は良くなった。
2007年5月
奥駆け(順峰)バックパッキング
山上ガ岳では本物の行者に会った。ぼんぼりの色が地位を表す。赤は最高位だそうだ。一番偉い人だからHPに載せるなと言うはずない。肖像権無視の無断掲載。
大峯奥駆道を知ったは何年も前の事だ。「山と渓谷」の特集は保存していたし、本も買った。行く機会がなかった。昨年末の小辺路ルートは易しすぎた。 この機会に少し難しいルートに挑戦することにした。熊野本宮から吉野へ参るのは順峰、吉野から熊野本宮へは逆峰と呼ぶ。熊野本宮から吉野へ道が開かれたか らである。地形的には逆峰が楽であるが、大した違いはないと考えて順峰とした。
一日目は、夕方5時、熊野本宮着、1時間歩いて七越峰でテント泊。二日目は、玉置山を経て、かつえ坂展望台、テント泊、行動時間は11時間弱。三日 目は暴風雨、香精山から地蔵岳の巻き道を経て、行仙宿でテント泊、行動時間は10時間。四日目は、倶利伽羅岳、天狗山を経て、深仙宿でテント泊、行動時間 は12時間20分。五日目は、釈迦ヶ岳、弥山を経て、行者環避難小屋でテント泊。行動時間12時間半。六日目は、大普賢岳から山上が岳を経て五番関でテン ト泊、行動時間は10時間。七日目は、四寸岩山を経て吉野へ。行動時間は7時間。距離は100キロ以上ある。水場が限られているので、最速の人でも4泊5 日は必要。
一日目 アプローチ
七越峰の公園。良い所だが、水が非常に不味い。
バックパックは水抜きで23キロ。7泊分の食料。JRの紀伊田辺からJRバスと龍神バスを乗り継ぎ、熊野本宮へ向かう。道が混んでいてバスは遅れ勝 ち。龍神バスの運ちゃんは、オウム真理教の上裕に似た人。よくしゃべり、観光案内もしてくれた。中辺路の旧道をグルグルと走る。乗客は川湯温泉ですべて降 りた。一人だけになった。
17時4分、本宮手前の熊野古道入り口の橋で下ろしてもらった。車道と古道を歩き、6時過ぎ、七越峰の公園でテント設営。トイレと水があった。浄水 器の調子不調。浄水してもしなくても水がもの凄くまずい。後に、浄水器はシリコンチューブの付け根が破れていたことが判明。カットして再接続。メニューは 鰻どんぶり、サラダの豆パック、ほうれん草のフリーズドドライのスープ、柏餅。久し振りの鰻どんぶりは不味かった。晴天。
二日目 かつえ坂展望台へ
4時前に起きる。パン、チーズ、コーヒー、ドライのマンゴーの朝食。4時半頃から明るくなる。公園を見学すると、キャンプ禁止の看板を発見、手遅れ。水3リッター確保。5時15出発。6時45分山在峠。7時、小休止、杉が伐採され、熊野川が見下ろせる。
本宮を見下ろす。昨年、テントを張った河原が見える。
7時半、大黒弁天岳。8時半、登山者とすれ違う。吉野からの人。玉置神社でビールはないかと聞くと、そんな物はないと叱られたそうだ。御神酒ならあ るという。1合700円。少し険しい所を通過、馬の背か。手がかりは一杯あって問題なし。シャクナゲが自生。10時、五大尊岳、小休止。10時半出発。 12時5分、大森山、昼食とする。水がまずいのでココアをわかす。一人、速い人が来た。前鬼から来たという。意味分からず。12時46分出発、水は後1 リッター。14時7分、本宮辻、玉置神社入り口。14時45分、玉置神社。水が旨いので、1リッター程飲む。水3リッター確保。玉置山をまわる道が通行止 めになっていた。玉置山山頂15時40分、1076メーター。木がないので、見晴らしがよい。登山者ともすれ違う。
玉置山山頂、木立がないので見晴らしが良い。
16時10分、舗装道路に合流し、少し先に展望台があった。トイレと雨水あり。バイクの兄チャンと話す。旅館の人は山菜採り。テント設営は4時半頃。吾妻 屋の中。下は砂利。水は浄水器で5リッター作る。5時半、飯炊き開始、ニンジンご飯とウインナ大根菜の炒め物、白豆、クノールのスープ。なかなか旨かっ た。天気は下り坂で、明日は雨。眠れないのでストレッチ、風が強い。
かつえ坂展望台。立派なトイレと雨水あり。
三日目 行仙宿まで
3時半に起きる。小雨。気圧は急上昇。パン、チーズ、コーヒー、マンゴー。4時45分出発。ガスと雨。水は2リッター。5時10分、花折塚、小休 止。6時20、稚児森。6時40分トンネルの上。ここから登りになる。6時50分、如意宝珠岳736メーター。21世紀の森が見える。キャンプ可能かもし れない。8時、バックパックをおろして小休止。雨は大したことないが、風が強くなってきた。貝吹金剛。狭い場所、すぐしたの鞍部やその前の丘陵地の方が キャンプ適地。
雨風が強くなってきた。1000メーター地点、岩陰で雨具の下を着る。9時半、香精山、1122メーター。小休止。強風。誰とも会わない。i- modeで衛星画像を捕捉。現在、前線が通過中。4時間程すれば抜けるだろう。稜線は厳しいので地蔵岳の巻き道を行く。入り口が2万5千分の一の地形図と 違う。少し北よりに付け変わっている。かなり道が悪く荒れている。水場近くまでの道がガレガレ。赤テープでかろうじて道と分かる程度。水は2リッター確 保。
12時、葛川辻の手前でパンとチーズの昼食。12時17分出発、気温10度。かなりの登りが続く。13時半、傘捨山、1352メーター。風雨強い。 行仙宿の手前で道を間違える。GPSで元に戻る。3時過ぎに到着。山小屋の建築主もいた。82歳。この先の道が荒れているという。もう少し進みたい所だ が、止めた。テント設営後、たき火で暖まらせてもらう。雨具も乾いた。登山客は10名程度、車座になって酒を飲んでいる。小屋の主人の振る舞い酒。宿泊の お布施は千円。実に立派な山小屋。水を汲みに行くのが面倒だったので、雨水から水5リッターを作り、おしゃべりに付き合った。飯炊きは17時40分に開 始、ウィンナと小松菜とニンジンご飯の炒め物。丹波の黒豆、フリーズドドライのスープをタップリ。19時20分、小屋の発電機が止まった。そろそろ寝る。
行仙宿の傍にテントを張った。
四日目 深仙宿まで
曇り、3時半に起きる。パン、コーヒー、チーズ、マンゴー。ガスが心配になってパンを暖めるのを止めた。今日は深仙宿まで行きたいが、かなり遠い。 4時45分出発、小屋の叔父さんはお見送りで表に出ていた。5時15分、行仙岳。大きな電波塔が建っている。下りが荒れていた。5時半、怒田宿。良さそう なテント場だった。クマザサの急な登り。クマの足跡もあった。6時50分、倶利伽羅岳、1252メーター、小休止。
遠くに見えるのは、悪天候のため巻き道を通った槍ガ岳と地蔵岳(たぶん)。
スピードを上げたいので、平な所で飛ばし、登り下りはスローで行く。一応、コースタイム程度で歩く。一人とすれ違う。水場を聞かれる。7時半、転法 輪岳、1281メーター。バックパックをおろして小休止。7時50分、平治宿の山小屋、一人が出発準備中。雨で避難したとのこと。8時半、くっきりしたク マの足跡、写真撮影、1145メーター地点。8時50分、持経宿の山小屋、ポリタンはあったが、雨水から3リッター確保。重いので2.5リッターで出発。 この水は失敗。たき火を猛烈にしたらしく、薪の味が強烈だった。
10時、阿須迦羅岳、1252メーター。登りなのでペースが落ちた。二人とすれ違う。鎖場(トサカ尾)あり、膝を少しすりむく。10時46分、証誠 無漏岳、1301メーター。11時16分、涅槃岳、1376メーター。名前の通り、のっぺりとした山。寒いので、少し降りてから昼食にする。
涅槃岳あたりの道。
11時50分、乾光門、1200メーター地点。宿のあった所。下れば水がありそう。人が通ったので写真を写してもらう。12時出発、寒い。12時 35分、滝川辻。強風。上着を着る。少し滑って、杖で歯を軽く打つ。問題はないが、疲労した模様。13時半、すれ違う人に聞く。深仙宿から水平道を経て千 丈平は水があり、抜群のテン場とのこと。そこまで行けるか不明。13時45分、地蔵岳、1464メーター。
天狗の稽古場。
無口な男が一人、地図を見ている。強風。少し高度を下げると小さな水たまりがあった。天狗の稽古場。テント泊は可能だが、先に進む。13時55分、 嫁越峠、バックパックをおろして小休止。14時10分、もう9時間歩いている。15時20分、天狗山、1537メーター。二人組と会う。水を持っていて、 この先で野宿とのこと。深仙宿はたまり水で飲む気になれない、山小屋はひどいという。16時20分、仙人の舞台石。17時、深仙宿着。トイレなどない山小 屋、小屋は満杯。お堂に寝る夫婦もいた。
深仙宿の一番隅。夜は強風。
テントは3張り。テントは一番隅に張る。隣に外人の女性が一人。浄水器を持って水場に行き5リッター確保。美味しい良い水だった。本日の行動時間 12時間20分。夕食のメニューはサラミと高菜とニンジンご飯のピラフ、フリーズドドライのフカヒレスープ、お多福豆のパック。夜は強風が吹き荒れたが、 テントを山陰に張ったので影響が無かった。
五日目 行者環岳避難小屋まで
スリーシーズンのシュラフで、テントマットを省略していたので、夜、寒くて、ベストと雨具の上を着た。気温は10度。疲労のためかもしれない。4時 に起きて、パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。薄暗い内にネコ式トイレで済ます。今日は弥山あたりまでか。4時50分、ガスの残量が心配になってき た。5時半、出発、雨具の下に長袖シャツを着た。強風で寒い。6時40分、釈迦ガ岳1800メーター。意外に早く着いた。
釈迦ガ岳からの眺め。
7時、鎖場あり。切れ落ちている。数百メーター下が見える。用心して通過。7時13分、下った所で小休止。長袖下着を脱ぐ。空鉢岳の下。大学のワンゲルとすれ違う。鎖場のことを聞かれたので「落ちなきゃ大丈夫」と答える。
鎖場を通過。背後は釈迦ガ岳
8時40分、鳥の水、流れていた。少し行くとテントが張れそうな場所があった。9時35分、仏生ガ岳、下の道を通過してしまった。10時、1700 メーター地点、小さな池あり。10時半、楊子避難小屋、水を2リッターにする。低血糖になったためか、どこから下りたか記憶がない。GPSで確認、尾根道 に戻る。11時半、船の峠で昼食。釈迦ガ岳で会った人と会う。前日に避難小屋に泊り、ピストンとのこと。11時50分出発、険しい道が続く。バテバテにな るが、八経ガ岳の手前で、なだらかな丘陵になり、元気回復。14時20分、八経ガ岳、1915メーター。人がいたので写真を撮ってもらう。
八経ガ岳手前。ブナが倒れて枯れている。
八経ガ岳山頂
15時、弥山小屋着。人が多い。評判の悪い所なので、後3時間歩くことにした。16時35分、やっと出合。途中に貯まり水もあったが、人が沢山通 る。17時、一ノ峠。崩れかかった小屋とたまり水があった。ここも通過。野宿予定の若者数人とすれ違う。水は持っているという。18時5分、行者環小屋 着。あまりにも立派な小屋。外で食事中の中高年4名。中をのぞくと人がびっしり。シュラフにくるまり、お休み中。外にテントを張り、雨水から水5リッター 作成。ここの雨水は旨かった。本日の行動時間12時間半。疲労感はない。飯炊きは18時40分から。ニンジンご飯とほうれん草とサラミの炒め物、クノール のフリーズドドライのスープ、黒豆のパック。さすがに運動のし過ぎで寝られない。テントで、ストレッチ。寝たのは21時近かった。
六日目 五番関まで
3時20分に起きて、パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。暗いのでゆっくりする。4時50分出発。昨日の人達が朝食中。熊野本宮から来たとい うと若いと言われた。若くないと言い返す。5時45分1485メーターのピークをを過ぎた鞍部。これからやせ尾根と鎖場が始まる。6時20分、やせ尾根に なり、階段もある。前夜、足がつってビバークした人と会う。「生きている時」の写真を撮ってもらう。鎖場が続く。全然恐くない。長いだけ。一応、落ちると 大けがはする。7時45分、国見岳。鎖場は終了。8時20分、中高年の団体とすれ違う。8時50分、大普賢岳、1780メーター。頂上は人だらけ。女の人 も多い。
大普賢岳山頂
吉野から来た人に水場を聞く。この先は小篠の宿が最終らしい。その次は遠い。道は良くなるので、ここで水を持つことにする。五番関がキャンプ適地と のこと。9時出発。11時、小篠の宿。ゆっくりと昼食。水は3リッター持つ。これでは明日の朝まで足りない。天気は下り坂。11時半出発、12時半、山上 ガ岳。
大峰山寺本堂(山上ガ岳山頂)
奉納すると言い、ホラ貝を吹く。この人に色々教わる。
立派な寺がある。ゴールデン・ウィークなので人だらけ。宿坊を見学して、山伏を撮影。作務衣の人と一緒になった。山伏の位はぼんぼりの色で分かるそ うだ。立派な山伏と遭遇。写真を写す。写真を撮るなら、じっとするのにと言われたので、何枚も写させてもらう。最高位の人。洞辻茶屋で別れる。タダでお茶 もご馳走になった。茶屋は宿の主人が出張して客のもてなしをやっているとのこと。作務衣の人は100回通っている。もちろん、お布施は毎回渡しているとの こと。
鞍掛の岩場、長いが緩い。ロープ有り。降りると三人の登山者。一人は30年前のJanSportsのフレームパックを使っていた。ビックリして、つ い話し込んでしまった。銅鍋行者の祠の所にポリタンがあり、たまり水があった。浄水器で水を追加。3リッター少しにする。行動中に1リッターは飲んでい た。15時半、五番関(女人結界)にテント設営。ガスは大丈夫だろうが。まだ天気は良いし、たき火で飯炊きをした。
ガス節約のため、焚き火で飯を炊き、スープを作った。
4時半頃、高菜とサラミとニンジンご飯の炒め物。食べていると、男3人が下ってくる。小屋はないかという。有るわけない。テントを張ろうか迷ってい る。後続の3人も到着。議論をして、二蔵小屋まで行くことになった。天気が下り坂なので、雨が降るとテントが重くなるので嫌だそうだ。3人用テントに3人 寝るとのこと。悲惨。こちらは濡れても重くならないシリコンコーティッドのナイロンテント。お陰様で、一人でゆっくりとキャンプできた。18時、食事終 了。19時前に寝てしまった。
七日目 吉野へ
曇り、風は吹いたが、雨にならなかった。4時に目が覚めた。9時間半寝たので、睡眠不足は解消。今日は半日歩けば吉野なので、ゆっくりする。パン、 チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。ガスはまだまだあった。今回のガス・ストーブは小さい火にできるのでガスが節約できるようだ。6時5分出発。水もあま りないし、疲れたので大天井ガ岳の巻き道を通る。30分で水があった。顔を洗ってヒゲを剃る。水は2リッター確保。7時出発。しばらく歩くと尾根になり、 テント適地が現れる。さらにもう一ヵ所、水場。さらに進むと、尾根になり、ここも素晴らしいテント場。ここまで来れば良かったが、分からないから仕方がな い。スミレの花が多い。親に電話。
7時55分、二蔵宿。実に立派な宿。トイレもある。8時出発。9時、足摺小屋。ここは土間で、祭壇がある。9時20分、四寸岩山、1236メー ター。岩なんか、少ししかない。ハイキングコースとなる。10時、ヒルトンのビュッフェに予約を入れる。11時20分、金峯神社着。舗装道路になり、ス パッツを外す。吉野に到着。散歩モード。
吉野水分神社。
金峯山本堂を見学。ぶらぶら歩いていたら店の人にどこからと聞かれる。奥駆けというと草まんじゅうを2つくれた。食べたら店に入る必要がなくなっ た。ケーブルに乗り、近鉄に乗り、阿部野へ。阿部野橋と天王寺が同じ場所とは知らなかった。ジュースをのみ、ドトールでコーヒー。その後、親の金で、ヒル トンのビュッフェで食い放題。種類は少ないが、料理は旨かった。満腹になり、予定はすべて終了。結局、交通費以外、使わなかった。お布施は払わなかった が、賽銭泥棒もしなかった。偉いだろう。
今回の優れ物
Map60CSx英語版とUpUpDownの地図。登山道は正確。10メーター移動すると、位置の変化が分かる。木立の中でも衛星はロスしない。測位も非常に速い。地図を取り出す程度の時間。
プリムス P-131・マイクロン・シングルバーナー ご飯を炊くときに弱火にできる。弱火が安定していて、温まっても火は大きくならない。結果的にガスの消費量が減った。
この他、MountainHardwearのSolitudeも素晴らしい。重い荷物が楽に持てる。i-modeの防水携帯も、通話可 能であれば、日本上空のレーダー画像が手に入る。GPSや携帯電話で、言わば神の力が手に入る。身体能力や知的能力をカバーするため、ハイテク武装は必 要。
2007年4月
屋久島・口永良部島・開聞岳バックパッキング
スタートは永田集落から
何年か前、可愛いワンゲル部員と宮之浦歩道で会った。おじさま扱いされて「永田岳のルートはお勧めできません」と言われた。確かに、他のメンバーは よれよれで、歩くのは私の方が速かった。ただ、天の邪鬼だから、きつめの永田ルートを登ってみたくなった。長い間、屋久島に通っているのに、隣の口永良部 島にも渡りたいし、開聞岳にも登ってみたい。今回はちょっと欲張りな計画を立てた。
一日目
永田歩道入り口。水もあるし、なかなか良い場所だ。
マリン・エキスプレスの二等寝台は空いていて4人しかいなかった。早めに電気を消して20時くらいから10時間は寝た。中年の奇麗どころの女の人にどこに行くのかと聞かれた。
「屋久島、10年近く通っています」
「そんなに女の人より山が好きなんですか」
「そんなことないですけど。女は後ろから刺したり、毒を盛ったりと危ないでしょう。山は危なくないです」
たっぷり睡眠をとったので体調が良いようだ。8時半に下船、バスとJRを乗り継ぎ、鹿児島の北埠頭からロケット(水中翼船)に12時10分に乗り込 む。宮之浦でバス待ちをする。女子大学生7名が待っていた。私の巨大バックパックを見て、スゴイと後は声が出なかった。皆さん、パッキングがへたくそで、 マットを落としそうだった。今回は水抜きで23キロ。食料6日分、予備のガス・カートリッジまで持った。ちょっと持ちすぎ。
女子学生たちはいなか浜のキャンプ場で下車。永田には、4時半ごろに到着。ぶらぶら歩き、横河渓谷、16時50分。駐車場とトイレがあり、キャンプ可能。気持ちよい遊歩道があり、進むが途中で道が完全に消えた。GPSは正確。少しヤブを漕いで林道に戻った。
17時半、登り口でテント設営。水4リッター確保。メニューは牛肉ともやしと高菜の中華炒め。なかなか旨かった。クノールのフリーズドドライのスープも旨い。煮豆も一つ食った。
二日目
晴天で星がよく見えた。少し頭痛。風邪かもしれない。4時半に起きる。パン、チーズ、マンゴー、コーヒー。5時20分、のんびりした。出発は6時少 し前。やっと少し明るくなった。しばらく行くと、道が無くなる。分からない。GPSで歩く。6時14分、170メーター地点。6時25分、道が何本もあ る。赤いテープもある。280メーター地点、小休止。6時50分出発。400メーター地点、道がおかしくなる。GPSで元に戻る。
最初の水場、たぶん第一休憩所近く。
450メーター地点、水あり。小休止。リスのような動物が走る。カメラで写す。しばらくするとGPSを落としたことに気づく。50メーター程引き返す。水場の傍に落ちていた。専用ケースに入れて、ヒモで接続しないといけない。
水鳥沢780メーター、9時20分、水を補給。現在1.5リッター。9時半出発、少し頭痛、830メーター地点、道が100メーターくらい東にずれ ている。付け替えたのだろう。9時45分935メーター地点、後7.7キロの標識。10時10分、鹿が一匹。疲れたので小休止。960メーター地点。
男女二人と会う。鹿の沢小屋からとのこと。975メーター地点。小屋の標高は1550メーターとのこと。1130メーター地点、小休止。やはり、 コースタイム程度はかかる。1190メーター、岳の辻手前、水あり、昼食とする。11時半。ほとんどコースタイム通り。チェダーチーズも旨い。パン一枚、 チーズ3個。11時50分出発、水0.5リッター追加、現在1.3リッター。岳の辻12時。竹の辻12時34分。1230メーター地点、7本杉。12時 半。後6.2キロ。
7本杉、台杉状態の杉が何本もある。
ほとんど展望のないコース
1300メーター地点、水有り、12時40分、テント可。鞍部、12時50分、素晴らしい水場、ヒゲを剃って顔を洗い、身体を拭く。水は1リッター のみ。1320メーター、後4キロの標識。やっと姥ヶ岩屋、たき火の後あり、寝られる岩屋、14時6分。遅れたが、後3時間程度。
桃平、15時7分、水は無いが、下ればある。テント泊可。15時42分、なめた沢があり、渡るとテント場あり。後30分程度なので通過。16時半、鹿の沢小屋着。
鹿の沢小屋、10時間半かかった。
黒味岳往復の人がいた。単独だと、どうしても食料は多めになってしまうという。写真を写してもらう。明日、花山歩道を下り、栗生まで歩きバスに乗って飛行機に乗るという。開聞岳に行くとのこと。川を渡った所に良いところがあると聞き、17時、テント設営。
永田岳近くの山が少し見える。完全な不法キャンプ
夕食は米をカップ一杯と多めに使い、サラミとゴーヤと高菜の炒めご飯、中華スープ、お豆。18時過ぎ、5から6人の団体が小屋に入る。テントで良かった。夜は晴天、20時半、目が覚めて、少しパンをかじる。風が出てきて下り坂。
三日目
0時、杉花粉症のため、苦しい。体操をする。3時、星が見える。風が強い。4時半、目が覚める。強風、曇り。パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。6時出発。強風、ガスであまり見通しはない。
永田岳の岩頭
7時22分、永田岳直下、強風、岩には登らず、ガスの切れ目に写真を写す。永田岳の登り口、7時43分。三叉路、8時16分、強風、向かい風、ガス。宮浦岳へのコースは中止。ルート変更、宮之浦歩道で下山開始。
第二展望台あたりの山。雲が渦巻いている。
ビャクシン岩(坊主岩)
平石、8時35分。平石岩屋、8時52分。天気は下り坂だが、時々雲が切れる。いわゆる偽の晴れ間。坊主岩9時半、9時45分、小休止。
第一展望台10時6分、新高塚小屋、誰もいない。大休止。ココアを飲む。淀川小屋から来た大阪の人、風で吹き飛ばれそうだったという。しばらく一緒に下山。
新高塚小屋を下った所
さすがに縄文杉はでかい
縄文杉12時半、永田で会った人と再会。地元の人らしくなかった。ガイドだった。ウイルソン株、13時50分。大勢の人と前後して歩く。水1リッターとする。ツアー客に追いつかれた。先に出発、三代杉、15時35分。再びツアーに追いつく。
楠川分岐より少し入った所の小屋跡にテント設営、16時。水は川に汲みに戻る。3リッター確保。4時20分、雨 が本降りになる。テントの中で水を濾す。ニュースによると明日は雨。上は大荒れ。大根菜とサラミのピラフ、クノールのスープ、カネハツの黒豆はまずい。 18時、食事終了。雨が時々ひどい。トイレに出て行けない。すぐに寝てしまう。20時半、バケツをぶちまけるようなすごい雨。テントは2センチばかりの水 たまりに浸かっていた。
四日目
朝には水が引いていた。雨は小降り。シュラフが少し濡れた。4時半に起きる。パン、チーズ、コーヒー。5時半ゆっくり二杯目のコーヒー。6時頃、出 発、小雨。7時4分、辻の岩屋。下に水がたまっている。こんな所では寝られない。辻峠7時10分。白谷小屋7時40分。学生2グループとすれ違う。皆さ ん、あまりバックパックが様になっていない。初心者が見え見え。
8時半白谷雲水峡、バスは9時、疲れたので乗ることにする。しばらくすると、大阪の人が降りてきた。原生歩道を回ってきたという。真面目に協力金を払っていた。
バスで田代別館でおろしてもらったが、風呂は16時からだった。ぶらぶら歩き。レストラン寺田屋は定休日、名残の松公園で身体を拭き、顔を洗う。屋久島ふるさと市場で日替わり定食。コーヒーは旨かったが、エビが小さかった。パイナップルと豚の三枚肉のパックを買う。
村営フェリー太陽、別名けっこう丸
フェリー太陽で口永良部島に渡る。弁当とか買い込んだ若い島の人に聞く。寝待温泉が一番良いとのこと。車で35分、歩くとどれだけか分からない。フェリーはもの凄く揺れて死ぬ思いをした。脂汗が出て吐く寸前。14時40分、下船、助かった。
道はコンクリート舗装。火山島で、アスファルトは危険。
立派な雄鹿
寝待温泉まで歩くことにする。水2リッター確保。東京からの家族、先に車で出発。GPSを使いフルスピードで歩くが、遠い。16時、立派な鹿と遭遇。民宿くちのえらぶ、16時26分。東京の家族の人が車で追いこす。川あり、野宿可能。ペースを上げて歩く。
寝待温泉ちかくの岩頭
17時半、寝待温泉に到着。車で追い抜いた二家族が迎えてくれた。広島から来て1年になる人、松本さん。イカ刺しを食えといただく。テントも張ってよいというが、長屋を借りても800円だという。借りてみた。みすぼらしい部屋。風呂は乳白色のぬるめ。なかなか良い。
松本さんの息子はITSの有名な研究者らしい。松本さんは絵を描く。釣りも上手になった。こちらが大学に勤めていることを一度で言い当てた。硫黄島 の県営住宅に応募中、3DKで家賃は月1万円だという。もう一人、長屋の海側の人は来て4ヶ月。何も無い島なので釣りが趣味でないといられない。夕食は チャーシューと野菜の炒め物、プロパンガスのキッチンを使う。
隣から物音とかテレビの音がする。外は強風だが、風の当たらない場所がある。星がきれい。20時半、避難壕の隣にテント設営。気圧があがり寝苦しく、一時間ごとに起きたが、結局、6時まで寝る。テントはすぐに撤収。
五日目
コーヒー、パン、チーズの朝食。明日雨の予報。今日、宮之浦に戻り、テント泊して鹿児島に渡り、開聞まで行くことにした。8時40分、車に便乗、 アップダウンの激しい海岸沿いの道をグルグル走る。気分が悪くなってしまった。荷物の発送後、岩屋泊まで見学に連れて行ってくれる。記念撮影。景色はよい が、牧場になっていて、有刺鉄線を張ってある。
岩屋泊にて
竹を苅っている人、お見送りと港へ急ぐ。こちらも港へ。車でも酔いそうだった。10時、港。若くてきれいな 先生のお見送り。松本さんによると、離島手当8万円。金を使うところはなく、島の人が野菜とか魚を持ってきてくれるそうだ。希望者殺到とのこと。島の人口 は160名。天気が良かったので、揺れなかったが、地元では欠航丸と呼ばれる。500トン、一週間程欠航するのは珍しくないらしい。
レストラン寺田屋の日替わり定食、700円
宮之浦、12時10分着。レストラン寺田屋で日替わり定食。ここは実質本意で美味しい。
宮之浦の徳州会病院近く。近くにスーパーがあるので便利。
テント設営14時、オーナーは代替わり、改築中。一番隅に張る。バックパックの調整ヒモが切れてトップがバラバラになりかけていた。調整機構は接着剤で固めてしまった。トップの分解と組み立てで40分もかかった。15時、散歩に出かける。田代別館で一番風呂。
テント場の傍のスーパーで買い物。牛ステーキ2枚、菜の花の和え物、餃子、巻き寿司と稲荷のパック、小さい蒸しパン6つ、オレンジ2個、ピザパン2 枚。みんな食った。足りなかったので、もう一度スーパーに行き、ミルク500ミリリッターとあんパン5つ買い、すべて食べる。やっと落ち着いた。口永良部 島でくたくたになった。19時、歯を磨いて寝た。
六日目
4時45分に起きる。ピザパン2枚、オレンジ2個、コーヒー。5時20分、歯を磨く。6時前からぶらぶらと宮之浦港へ。松原の公園でテントを畳んでいた自転車の男がいた。まだ、初心者。ロケット7時10分に乗り込む。
天気は悪く、空が真っ暗。10時5分、鹿児島、北埠頭着。山で一緒になった大阪の人、種子島を回っていたという。鹿児島駅近くの市場で買い物。ミンチコロッケ、3つ。サラダ2種類、もやし、餃子、それと、お昼の弁当に880円のにぎり寿司。
従兄弟に電話するが、携帯に出ない。具合が悪いのだろうか。12時18分のJRでとりあえず指宿に行く。ひどい雨。町を見学して時間を潰そうとする と、鹿児島交通のバス停があった。14時のバス。乗客は一人。キャンプ場、16時半頃に到着。食事の後、従兄弟に電話。二回目に娘が出て、亡くなったとい う。絶句。しばらくして気を取り直し、奥さんに電話。明日か明後日に顔を出すことにした。バンガローにうるさい客がいて、子供が長い間騒ぐ。キャンプ場の 一番隅に引っ越す。10時20分、時々「ギャッハッハ」と聞こえる。最低。
七日目
5時に起きる。パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。6時出発。迷ったがオスプレイのsoloで行く。水2リッターを持つ。3合目、6時27 分、樹林帯で見えず。4合目6時40分、5合目6時55分、6合目7時10分、7合目7時25分、8合目7時40分、9合目7時57分、最後にはしごがあ る。登山道は2万5千分の1と食い違う。水1リッターを捨てる。8時15分頂上。黄砂のために霞んでいる。
開聞岳山頂から。高度感は抜群。黄砂で霞んでいる。
従兄弟の死を知って、さすがに表情が悪い。
開聞ふれあい公園のキャンプ場から
8時半、下山開始、高齢の登山者が多い。時々、すれ違う。ヘルメットをした人が登ってきた。道の工事という。所々、救助ポイントがあるのは、ヘリコ プターでつり上げるため。高齢者だとどうにもならないらしい。10時12分、テント場、着。すべて予定終了。11時、片付け終了。バス停に急ぐ。
日替わり定食、824円、魚の一口フライ。なかなか旨かった。
開聞で香典袋を買う。バスはすぐにきた。山川桟橋で下車、つなぎのフェリーがないので、ひさごという店に入って昼食。船は2時。根占、15時着。バ スは15時19分。猛烈なスピードで走り、16時15分、鹿屋で志布志行きに乗り換え、串良着16時40分。従兄弟の家、16時50分。奥さんが一気に老 け込んでいる。長女は倒れて点滴を受けている。次女にホテルまで送ってもらう。
ホテルの風呂に入ると、髪の毛がたくさん抜けてしまった(単なる加齢かもしれないが)。さらに、一日後、ヒゲが三日分くらい伸びた。身体の 変調がある。従兄弟とはいえ、パートタイムの兄弟だったので、ショックは大きい。もう、野之湯温泉に連れて行ってもらえないし、美味しい蒸し料理も味わえ なくなった。ちなみに従兄弟の死因はタバコの吸いすぎによるガン。このHPを見た人は禁煙してください。毒物です。
2007年1月
熊野古道・小辺路ルート
熊野本宮大社。正月の少し前
奥様がご一緒とのことで暖かいルートを探した。熊野古道が世界遺産とかでうるさい。調べてみると、伊勢路ルートが暖かいが、古道は少ししか残ってい ない。よく考えてみれば、10年ばかり前に自転車で走って、新宮から奈良へぬけたことがある。高野山から本宮までの小辺路(こへち)ルートが良さそうだ。 距離は長いが、十津川温泉まで出ればエスケープもできる。標高差800メーターを毎日クリアしないといけないが、これは黙っていた。二人4日分の食料を持 つと26キロもあった。これは無問題。
一日目
朝、早くJRで出発。難波で昼食。南海電鉄で極楽橋。ケーブルに乗り換えて、バスで千手院橋で降りる。午後2時。寺に興味はない。GPSは正常作 動。しかし、頭がぼけて、自信がない。宅配の人に道を聞くと、正反対の方向を教えられる。再び、頭が混乱した。道に迷い、寺の人に道を聞いて、引き返す。 最初の方向感覚が正しい。正門院横から小辺路ルートに入った。世界遺産なのに、観光案内板に表示もない。普通の林道を歩き、3時40分、薄(すすき)峠、 4時40分、御殿川。険しい場所で、テント場なし。川を渡り、坂を上がると廃屋あり、その前にテント設営、5時。水は引き返して、川に降りて浄水器で7 リッターを確保。5時半。飯炊き開始。乾燥にんじんを入れたご飯にウインナと高菜を入れてピラフにした。カボチャスープ、ユリ根の卵とじ、お菓子パン。7 時半に寝る。
二日目
大滝集落。道標はしっかりしている。
晴天でものすごく冷えた。前室で4度くらい。しかし、フライは凍っていたので氷点下は確実。6時に起きて、パン、コーヒー、チーズ、乾燥マンゴー。 ここの水はもの凄く美味しく、コーヒーの味が違った。もたもたして8時出発。大滝に休憩所とトイレがあった。山に入ると、きれいな杉林が続く、GPSは ジャストミート。地図に誤差がない。9時5分、900メーター地点、小休止。9時25分、スカイラインに合流。10時、横浜から歩いてきたという男と会 う。12月1日に出発したとのこと。あきれた。軽快に歩いていた。10時5分、分岐。古道に入る。水ヶ峰集落跡、しばらくして林道に合流。
水ヶ峰林道、ここは舗装されている。
11時15分、あづまやに到着。昼食。晴天。11時45分、出発。12時半、平辻。10時10分、分岐で小休止。GPSの精度は素晴らしい。1時 45分、大股バス停。きれいなトイレと水があるが、平らな所がない。5分ほど歩くと、対岸に畑と道があり、道ばたに張れる。しかし、農作業の人も帰った。 2時半、古道がスイッチバックしている平らな所にテント設営。4時半、ご飯を炊き始める。にんじんご飯にサラミ、高菜、小松菜を入れたピラフ。カボチャ スープ、煮豆パックなど。6時過ぎに寝る。天気は下り坂。下ってしまう前に山に登りたい。
三日目
伯母子岳山小屋、トイレは閉鎖されていた。
4時40分に目が覚める。風があるが、雨は降っていない。曇り。パン、チーズ、マンゴー、コーヒー。6時にテントを片付ける。トイレに行って、6時 15分出発、急な登りだが、快適な杉林が続く。7時20分、畳小屋跡。8時35分、水平の尾根に出る。山頂への分岐手前500メーターに水があった。 8時55分、山頂への分岐。天気が悪いので、峠に向かう。9時15分、伯母子峠の山小屋着。水は5分先にもある。トイレは閉鎖されていた。ココアを飲む。
伯母子岳の南側山道が一番険しいが、この程度。
山が低いので大した景色ではない。
9時45分出発。10時40分、上西家跡。水平に行く道は新道。古道は道が悪い。一度、尾根に出る。しばらく行くと、高度を下げて暗い杉林の中。 11時45分、ついに雨が降り出す。小休止。石畳の道でかなり疲れた。1時40分、三田谷。きれいなトイレはあるが、何もなし。水を7リッター確保。反対 側の川原に降りてテント設営。2時半、かなり激しい雨になった。
突然、車がテントの前に現れる。キャンプに興味のあるおじさん。四方山話。奥様はばてて吐き気、食欲もゼロ、熱が少しある。帰るという。冗談じゃな い。バスは一本あったが、十津川村行きは日祭日のみ運行。携帯電話はつながらない。公衆電話で十津川村観光課にかけるが、話の途中で切れてしまい、その 後、つながらない。故障。一度、テントに帰るが、再度、公衆電話を試みる。つながらない。車が来たので止めると先程のおじさん。バス停の傍の家の人だっ た。川沿いに下ると、十津川温泉はあるが、車で40分。とても歩けない。朝、7時半、上野地(うえのち)へのバスは確かに運行する。接続して、奈良の五条 までいけるという。助かった。テントに半分くらい戻ると、車の移動販売の音楽。引き返し、みかんとアンパンを買って戻る。夕食はニシンの甘露煮をにんじん ご飯に載せた。味噌汁、お豆さん。6時、雨は土砂降り。雷も響く。結露でシュラフが濡れた。
四日目
吉村家跡の巨大杉。
5時に起きる。雨は収まった。テントはびしょびしょ。6時10分、テントの片付け。奥様は先にトイレへ。6時50分出発、合流。心配なので、バスが 来るまで待つ。7時半、確かにバスが来る。運転手に「お先に失礼します」と挨拶された。見届けて歩き始める。小さな店があった。吊り橋を渡り、登り始め る。標高400メーターの三浦集落は消滅。9時30分、30丁の水、旨い。10時5分、水が流れていたので、1リッター追加。計2リッターとする。10時 35分、三浦峠、1070メーター。トイレと休憩所はあるが、林道が走り、つまらない。10時55分、古矢倉跡。道は良い。水もある。新道と旧道の分岐で 休憩。あんパンとチーズで昼食。シュラフを干す。
大勢が歩いたので、尾根がすり減っている。
11時45分、出発。12時15分、四つ辻。四本の山道の合流地点。12時50分、観音堂。1時10分、舗装道路に合流。1時40分、西中バス停。 1時54分に十津川温泉行きのバスがあった。停留所を一つ歩いたが、舗装道路を歩くのが嫌になった。バスに乗り、十津川温泉にいく。同乗のおばさんからス タミナドリンクを一つもらう。運転手には公営の風呂を教えてもらった。川を渡った所。素晴らしい風呂で400円。3時、2リッター程度を持って風呂を出 る。店でもの凄い重さの固いアップルケーキとサンマ寿司を買う。小辺路ルートの入り口で寝場所を調べる。水は林道の側溝に流れていた。小辺路ルートを少し 戻り、下った所に杉を切り開いた広い場所があった。4時半テント設営。水は3リッター確保。5時、サンマ寿司を食う。もの凄く酸っぱい。まあ、旨いけど。 食い残しのにんじんご飯と高菜でピラフを造り、お豆さんやカボチャスープを追加。6時過ぎに寝る。
背景はつまらないが、朝靄に煙る十津川温泉はなかなか良かった。
五日目
5時半に起きる。パン、チーズ、アップルケーキ、チョコレート・ドリンク。明日から寒気が南下。今日、昼までは大丈夫の予定。6時40分、気温7度。7時10分出発。8時、果無(はてなし)集落あり。トイレがあった。天水田、620メーター、朝日が温かい。
時々、こんな観音様が祭ってある。
天水田。昔は雨水を上手に利用した水田だった。
9時13分、山口茶屋跡。9時50分、観音堂、855メーター、水とトイレあり。大休止。アップルケーキをすべて食ってしまう。気温7度、風が強く て冷たい。シュラフを干す。10時25分、出発。水1リッターとする。果無峠、11時10分着。気温4度。強風で冷たい。上は長袖シャツ一枚に雨具、下は ショーツ。くだりは良い道。2時5分、矢木屋バス停。舗装道路だが、歩くことにする。2時35分、道の駅本宮。水を1リッター。しばらくは舗装道路だった が林道に入り、それから古道に入る。熊野本宮大社着、3時50分。宝物殿を見学。何にもないのに驚いた。通りがかりのおばさんに聞くと、屋根のあるバス停 があるという。結構、親切な人が多い。野宿のプロだからバス停などでは寝ない。店は一つだけ。迷った挙げ句、牛肉とだし巻きを買う。水2.5リッターをも らい、川原に向かう。大鳥居の下に水場もあった。堤防の上に張ろうと思ったが、強風。川原に降りてテント設営、5時。
熊野川、河川敷。広々として気持ちがよい。冬は渇水期で、増水の恐れはない。
夕食は牛肉とドライのほうれん草で中華風に煮込んで、中華どんぶりにした。 6時30分、食事終了。雪がちらついている。気温は7度なのに非常に寒く感じる。7時過ぎに寝た。寝汗をかく。夜中には寒気が消える。服を脱いで、ぐっすり寝る。
六日目
5時に目が覚める。雪がちらついている。テントの前室は5度。パン、コーヒー、マンゴーの朝食、6時のニュースを聞いてから片付ける。7時前にテントを畳 み、バス停へ。雪が本格的に降り始める。これから奥駆けにでかける若者と会う。立派な靴を履いているし、ジャケット、パンツも本格的。吉野までバスで行く のが速いらしい。7時24分のバス、少し遅れてくる。8時半、新宮着。洗面所で洗顔、ひげそり。JRはがら空き。GPSはもの凄い。JR中でもローケー ションする。カーナビのよう。松坂で牛肉弁当を買った。塩辛くてまずかった。名古屋で途中下車。ドンクでパンとコーヒー。おみやげを少し買い、自宅は7時 前。小辺路ルートは素晴らしいバックパッキング・コースだった。しかし、富山の山道に慣れているせいか、物足りなかった。
2006年6月
残雪期の僧ヶ岳
山頂にて
今年は残雪が多く、躊躇したが、この機会を逃すと何時になるか分からない。一日目は片貝川からアプローチ、二日目に縦走して森林公園へ下りた。三日目は林道をそぞろ歩きで下立へ。
一日目
雲の塊は南に逸れ、曇りの予報。遅めの出発、JRで魚津駅、11時前。コンビニが出来ていた。山崎のまんじゅうを二つ追加。11時8分発の東蔵行きのバスに乗る。東蔵着は11時40分。ぶらぶら歩き。食料満載のため、バックパックの重量は22キロ。
初日はゆっくりと馴らし運転。
まあ、どうでも良い雪渓
よくある土砂崩れ
クマも人もいない。
地元の山菜採りの人と会い、明日は雨だから片貝山荘に泊まった方がよいと言われた。その可能性もあったので山荘を覗く。電気はあるが、水がない。幽霊屋敷。気持ちが悪いので、上流まで歩いて、いつもの場所で野宿とした。三時半テント設営、水4リッター確保。MSRの浄水器は意外にポンピングしにくい。5時過ぎメシを炊き始める。ウインナと乾燥高菜のピラフ、今回は高級インスタント味噌汁を買ってみた。フリーズドドライのキャベツとネギがたくさん。何と一回分100円、旨かったけど。6時過ぎからうとうとする。寝間着は持ってきたが、何とTシャツの替えを忘れた。小雨がぱらついたが、夜中から天気が回復。
二日目
4時に起きる。天気は良さそうだ。外は明るい。鼻づまりで、少し風邪気味。5時35分、出発。水は3リッター持った。ゆっくりと高度を稼ぐ。1250メーター地点で地元の登山家に追い抜かれる。宇奈月側は平和の塔までしか除雪されていないとのこと。1330メーター、7時45分、雪渓が現れる。雪田状態。
登ってきた尾根を振り返る。左手は毛勝山。
夏道が露出した所はかたくりの群生地。
1540メーター、8時45分。アイゼンを付ける。急勾配も現れる。しかし、登山家の人たちはピッケルは持っているけど、アイゼンは履かないらしい。たまに左右がキレ落ちたナイフエッジがある。てっぺんを歩くと、スタッフが宙を漂う。50センチばかり傾斜の緩い方に下りて片方のスタッフを突いて歩く。少し怖いよ。
1855メーターの頂上。超重量級オスプレイを愛用。
10時15分、頂上。登山家の人は下りていった。4時間半かかった。20キロ以上の荷物を背負っているし、雪だし、まあ許されるペース。休憩して記念撮影。宇奈月側には足跡なし。一週間前に一人くらいは登っただろうが。10時25分、下山開始。10時40分、仏ヶ原、雪もないし、晴天だし、座り込んでパンとチーズをたっぷりと食べる。GPSは地図の入れ方が難しい。今回はつねに西に300メーターずれた。現地で直せない。不便。
背後を振り返る。怖くないが恐そうな景色。
11時15分、本当の下山開始。遠くの雲が少し厚い。北東尾根のため、積雪は異常に多い。よく知っているし、晴天だから不安はないが、ガスに巻かれるとやばい。12本爪アイゼンでざくざくと大股で下りる。たまに夏道が現れても、重戦車のように穴だらけにして、そのまま歩く。安全第一。林道着、12時55分。林道は完全に雪の下。溶けて少し水が流れていたので浄水器で水を一リッター作る。寝ても良いが、明日は確実に雨。天候の良い間に下山した方が賢い。山崎の大福を食べて、13時半、下山続行。
烏帽子山、14時25分。雪は切れ切れ。アイゼンは付けたり外したり。しかし、下山途中にキレ落ちた尖った雪渓あり。アイゼンがないと危ないと思うが。下っていくと雪田状態。熟知している場所で、テープもあり、歩きやすい。さらに下ると地元の登山家に会う。邪魔な枝をのこぎりで切っていた。「なんだ、ピッケル持っていないのか。宇奈月側は急傾斜の所があってピッケルがないといけない。片貝側はなだらかだからな。」と馬鹿にしたような感じ。総重量100キロで、12本爪のアイゼンを履いてるんだけど、ぜんぜん尊敬してくれない。身の軽い人で、アイゼンも履かず、雪の上をとんとんと下っていく。こちらは重戦車のように、ガスン、ガスンと下りる。4時40分、森林公園着。テントを張り、傍の杉の幹を見ると、クマちゃんの爪研ぎの跡だらけ。奥様に連絡すると、避難せよとのご指示。雨は必須だし、傍の物置小屋に潜り込んだ。可愛い、小さなネズミちゃんとお知り合いになった。挨拶する。好奇心で二度見学に来た。たらふく食って、安眠。
三日目
夜中三時頃、もの凄い雷鳴と豪雨。予定終了なので、6時半に起きて、ゆっくり出発準備。レーダー画像によると数時間は雨。8時過ぎに出発、一時間ほどで小雨になる。折立駅、11時着。富山駅でベーグルサンドとコーヒーとリッチな気分を味わい、予定終了。日頃の行いが良いと天気も良い。
2006年4月
沖縄バックパッキング
辺戸岬
20キロを背負って100キロくらい歩くと、身体が自動的にターミネーター・モードになる。
沖縄へのアプローチ
普通は小松から飛行機だが、朝8時半に飛び立つには小松に前泊が必要。しかもガスカートリッヂは持ち込めない。面倒なので大阪からフェリーにした。午前0時50分発。夜中過ぎまでアナウンスがあって眠れない。フェリーは立派だったが、食堂はひどかった。食券制で、前もって購入する。食い足りなくても追加は効かない。結局、お豆さんを二種類持って行った。二日目は夕方7時過ぎからぐっすり寝てしまった。那覇まで31時間。
一日目
下りると那覇新港。20分ばかり適当に歩くが、那覇のどこだか分からない。那覇の地図を忘れた。聞くと那覇のバスターミナルまでまだ5キロはありそうだ。バスを探してターミナルに行く。高速バスに乗り換え、名護に向かい、世冨慶(せらがき)で降りた。
野菜チャンプル定食(950円)
定食に感激、スーパーは隣にあった。食料を補充し、12時40分出発。二見の分かれ道、14時40分。二見15時12分。足の裏が痛い。大浦15時25分、背嵩16時10分、トイレと水あり。海岸は絶景、砂丘の上にテントを張る。米軍基地の移転候補地で、大浦湾の一部は埋め立ての予定。ジュゴンも住んでいるきれいな海に基地はやめて欲しいな。
大浦湾近くの背嵩
最近の主食
最近、炒めご飯に凝っている。材料は吉良食品の乾燥野菜(高菜、小松菜、ほうれん草、大根葉)、ウインナ(なければサラミか卵)。まず、ご飯を炊き、乾燥野菜の袋に水を入れて戻す。ウインナはコマ切れ。ごま油でウインナ、乾燥野菜を炒めて、炊きたてのご飯をぶち込んで、こしょうを多め、塩を少し加えてできあがり。キャンプでは美味しいよ。
二日目
7時前出発。9時、非常にきれいな海岸線が続いた。嘉陽(かよう)、食事どころもあり、トイレ、水あり。10時、疲れたのでクッキーを食べる。天仁屋(てにや)10時46分、トイレ、水、ゲートボール場あり、道路工事中。有津11時半。慶在次(げさし)大橋1時。人家が非常に少ない。食堂「あいうえお」あり。チキン定食にケーキとコーヒーをつけて1000円。非常に旨かった。13時半、出発。ヒルギを見学。東村の平良(たいら)、共同店舗が一つ、小さい店が一つ。買いたい物がない。卵一パックを買う。
東村の平良(たいら)
丘の上でツツジ祭りをやっていた。キャンプ場もあるので見学した。立派すぎるオートキャンプ場、値段は一泊2000円。馬鹿馬鹿しいのでやめた。海に下りる途中で水を補給し、2.5リッターを確保。下る前に役場の反対を見ると慰霊碑があり、広い公園になっていた。人気がないし、道からも見えない。宿泊所に決定。
野菜チャンプルピラフ
夕食メニューは、乾燥ゴーヤと乾燥玉葱と卵のチャンプルとカボチャスープ。卵は6個使った。ナントゥ(タオピカと紫芋を混ぜて揚げたお菓子)も食べた。結構食えた。夜中過ぎから雨。
三日目
7時出発。海岸に降りると水道があった。少し行くと寝場所もあり、売店もあった。缶詰とクッキーを買う。川田7時37分、売店あり、港、トイレあり。宮城8時15分、いのがま、9時5分。まるで北海道の田舎。人家はまばら、トイレは村ご とにあり、水道あり、石けんもきちんとおいてある。感心する。雨が本降り。魚泊で、パンとミルクを買い、ブルーシートのハウスに避難。大休止。山羊を飼っているおじさん、公民館に泊まれると言ってくれるが、まだ、早すぎる。ハブは温かいと昼でも出るという。水2リッター持つ。10時15分出発。福地ダム上流11時8分、雨具を着ないで突っ走るロードレーサーが10台ほど通った。高江12時40分。焼いたアジのつまみを買った。一時、小雨になったが、再び、雨がひどくなった。
新川ダムのテントサイト
新川ダム、14時半。許可を取るとキャンプOKとある。次のダムまでは3時間以上かかるので、泊まることにした。15時テント設営。15時半、コーヒーを入れる。リッチな気分。しかし小さなブユがいて、顔と足を食われ、血が流れた。本を読む。16時過ぎ、雨が上がった。卵が割れている。メニューは卵の炒め物となった。ハブよけの目の細かい金網が地面から一メートルぐらいの高さで公園を取り囲んでいる。ハブが出そうな感じ。雨で寒いし、まあ、大丈夫だろう。
四日目
小雨。6時55分出発、風が冷たい。国頭(くにがみ)村に入る。8時20分、小雨。道はなだらか。標高は235メータが最高。小休止、ナントゥを食ってしまう。
やんばるの樹海
9時50分、もう少しでダムの入り口。大規模なパイナップル畑がある。青空が見えてきた。阿波(あわ)11時5分、共同店は休み。サンピン茶を飲み、クラッカーを食べる。11時半、出発、風が強い。村営バスの運転手が止まる。営業用の名詞をもらった。13時、安田(あだ)への分かれ道。14時、伊部(いべ)への分かれ道。15時40分、蘇州。共同店は休み、月曜は休みだそうだ。おじさんに水をもらう。伊江の川の水は飲める。河原なら理想的なキャンプができるといった。川の水が美味しいようだ。
河原には車が入っていて子供が遊んでいる。海も見えない。それでトイレの反対側の海岸の砂の上にテント設営。絶景。面倒だから水はトイレからくんだ。16時50分、雨になった。100円の缶詰、ポークのソーセージと大根葉のピラフにシーチキンを追加。カボチャスープ。太陽電池リナは充電に失敗。これはダメ。
五日目
夜の間、かなりひどい雨。7時5分、出発準備完了。快調に歩き、9時頃、奥の手前1キロ。小さな小屋がいくつもある家。奇妙に思い、見ているとコーヒーでも飲んでいけと呼び止められた。これが良くなかった。
伊江から奥へ向かう
ハブの皮を張り付けたライター
本格的なコーヒー。これは旨かった。サクランボをつけた泡盛も飲まされた。ぼんやりしていると、昼飯を食っていけという。ついでに食ってしまった。勉強したこと。
· ハブの皮はベニアに貼り付けて油をとる作業を何度も繰り返し、次はガラスに貼り付ける作業を何度も繰り返し、最終的に腐らない表皮だけにする。それをボンドで貼り付ける。
· ハブは海岸にも出る。腹を割いたら魚が出たことがあった。
· トイレでもどこでも、まずハブがいないことを確認してから入ること。
· ハブは襲ってこない。間違って接近した場合に自衛のために噛みつく。だからまず先に見つけること。(もちろん、テントの出入りの時は、ライトでハブがいないことを常に確認していました。)
· トルコ風呂(現在は呼称変更でソープなんとか)は儲かる。給料を払う必要がない。場所を提供するだけだから。
· お前は口の利き方が悪い。そんなことでは出世できない。(これ以上の出世すると厳しい世界になるんだよ。)
この辺りの土地を一万坪持っているお金持ちのようだ。ただ、アル中で、人間不足、話相手がいないようだ。山羊をペットにしていた。池の水を抜き、湯を入れると露天風呂になると、イモリを追い出し掃除をしてくれた。しかし、天気は崩れて強風、寒気の流れ込み。湯を注ぐが池はいくら待っても温かくならない。風呂は中止。夕食は質素に親子丼、なんと鳥の皮だけ。少なすぎ。早く寝ようとしたら、自分勝手だと責められた。喋りたくて止まらない。やっと9時過ぎに寝せてもらった。
六日目
5時に起きる。朝食をつきあうと何時間も遅れる。6時にそっと抜け出す。辺戸岬8時半、誰もいない。店もやっていない。食料もない。水を補給し、チョコパイを一箱食べる。身体をターミネーター・モードに切り替える。エンジン全開。9時50分、トンネルを抜ける。11時13分、字嘉。11時34分、辺野喜(べのき)。謝敷でおじいさんに呼び止められ、お茶を呼ばれる。写真を写させてもらい5分で失礼する。辺土名バスターミナル2時着。平均時速4キロで歩いた。
謝敷の民家
牛肉そば(前田食堂600円)
辺土名にキャンプ場はあるが、2時5分のバスにのり、前田食堂に行く。名物とあったので牛肉そばを注文。もやし山盛り、だしは濃い。客は一杯、15時5分、旨かった。一キロくらい散歩して。4時のバスに乗り、市役所前下車。サンルート名護に行く。まず、シャワーを浴びて一息つく。ともかく、沖縄には温泉も風呂もない。
大漁屋の定食
大漁屋の野菜チャンプル
飯は近くに食堂あり。豚の骨付きの肉の味噌煮、非常にうまかった。野菜チャンプル(少し塩辛かった)を追加して合計1500円。沖縄ではきっと高いのだろう。どの店も客はまばら。
七日目
8時11分のバスで本部港へ。8時45分、到着、往復切符を買い、伊江島着9時半。アメリカの軍人が数人、観光か、乗っていた。
伊江島港と城山(ぐすく)
10時10分、青少年旅行村。見学するだけで100円取られた。木陰が多く、快適なキャンプができそう。10時25分出発。11時25分、リリーフィールド公園、百合はごくわずかしか咲いていない。トイレもあり、キャンプは可能だが、日差しからは逃げられない。カメラのバッテリーがなくなった。12時、湧水(ワジー)。サンピン茶を飲んで昼飯にする。朝、ホテルのバイキングで食いだめをした。カメラは少し動作。12時15分出発。ワジーから海岸に降りる。13時40分。岩陰に寝られそうな場所があり。石灰岩が多い。たいしたわき水はない。
伊江島北部の湧水(ワジー)
城山(ぐすく)の下13時半。ちょっとした岩で、登る気にならない。中腹まで道路がある。階段が続き、10分程度で、山頂。小さい島。下りても帰りのフェリーがないので、大休止。土産物屋によると、しつこく何か買えと迫ってくる。沖縄の嫌な所。何も買わず、14時50分、公園。降りると港。出航まで一時間。ゆっくりと土産物を見学。16時にフェリーに乗り込み、コーヒーを飲む。200円。これは旨い。16時半、本部港着。明日の鹿児島行きの切符を買っておく。名護に戻ると消防署ではまた野球をしていた。消防署に勤めると、毎日、野球をしないといけない。ホテルで二泊目。今度は換気扇から入ってくる音が気になり、寝られない。
エピローグ
7時前にチェックアウト。朝食バイキングを倍量たべて、7時31分のバスで本部港へ。9時前、たんかんを買って乗り込む。狭いが優美な船。ただ、サッカー部員とか客は多め。
CORAL QUEEN 8
12時過ぎ、与論島、小学校の先生のお見送り。15時沖永良部島、中国風のダンスでお見送り。5時半徳之島、蛇皮線の演奏でお見送り。30分の間、挨拶と出し物が延々と続く。離島の教員も面白いかもね。飽きて寝てしまった。
ここは中国か
やっぱり船はこれだよね。
奄美で、9時過ぎ、「ひろし、鹿児島にいっても頑張っね。」という女の子の大きな声援が30分も続く。恋人だろうか。目が覚めてしまった。そのひろし君、我が船室に入ってきた。鹿児島の高校に進学するという。ハンサムな男の子。奄美で、すごい人が乗り込み、食堂、ラウンジも潰して、絨毯をひき、二等室の雑魚部屋に変身。船室は暑くてたまらない。貴婦人のような船が奴隷船に変わった。ちょっと詰め込みすぎ。ともかく、鹿児島に無事たどり着いた。
愛姫ちゃんとのツーショット
着いたのは、鹿児島新港。適当に歩き、途中で市電に乗って鹿児島駅へ。10時57分発の宮崎行きしかなかった。宮崎着13時。宮崎の従兄弟とは久しぶり。御池のキャンプ場に直行。立派なコテージ。冷蔵庫、ファンヒータなどもあった。まず酒だとつまみを出す。煮干し、きいなご、缶詰の佃煮少々。食料はそれっきりだった。冗談じゃないよ。調理器具もない。持っていたフライパンと非常食の缶詰が大活躍。その上、酒が入ると、俳句を作れと無理難題(宮崎の従兄弟は医者で俳句の達人)。題は春の夜だと譲らない。仕方ないから二つ作った。9時過ぎに眠くなった。先に寝ると、起きてこいとうるさい。結局、寝たのは10時半。世の中は厳しい。
次の日、朝食は昨日と同じ。えびの高原へ。ところが、大雨。車に酔って頭痛。文明の利器には非常に弱い。転進し、都城のもちお桜祭りを見学。ジャンカン馬踊りがあった。馬がステップを踏むだけだが。しかし、愛姫ちゃんは可愛かったな。宮崎の自宅に戻り、フェリー待ち。奥さんが夕食を作ってくれた。サラダ付きのトンカツ定食。昨日が昨日だからものすごいごちそうだった。フェリーターミナル6時。マリンエキスプレスの二等寝台は久し振り。少しサイズにゆとりがある。しかし、食堂のバイキングがなくなり、500~600円の定食と200円程度の一品料理となった。フェリーの乗客の所得水準はずいぶん下がった。なんとか、富山に戻ったが、緯度ぼけがひどく、仕事ができない。沖縄は転地療法には少し遠いようだ。
2006年3月
春の大辻山
ライオンズの森の入り口付近
立山少年自然の家で最後の評価委員会があった。消化試合のような沈滞ムード。来年度から新法人へ移行、同時に激しい予算の削減があるようだ。来年度は真夏のチャレンジのような贅沢企画は消滅。委員会も見直しで全員クビ。唯一、続いたバイトだったが、まあ、勤務態度も問題だったし、赤字も嵩むし、仕方ないか。
会議の後、MSRのスノーシューを見ると、付け根が割れていた。右側も割れそう。使い方が乱暴で、雪に蹴りを入れていたからかも。ダメなので捨てて立山少年自然の家のスノーシューを借りた。4時20分、水を3リッター持って出発。小雨。ただし、崩れるのが遅く、ライオンズの森への入り口のところでテント設営。6時。その後、雨がひどくなった。飯を炊き、大根葉とウインナのピラフ。餃子、カボチャスープ。ぐっすり寝るが、21時40分、目が覚めて、バナナチップ、プルーンを食べた。
二日目
大辻山山頂
5時に起きる。晴天。コーヒー、チーズ、パン、6時15分出発。長尾峠6時40分、小休止。まっすぐ尾根をたどることにした。奥長尾山7時25分。北尾根との合流点手前に腐った雪田あった。唯一の危険箇所。 スキーの址がある。9時山頂、疲れた。水がなくなったので雪を溶かす。なかなか湯にならない。ココアを二杯飲む。旨い。元気が出る。オールレーズンとチーズは食ってしまった。
山頂からは剱と大日岳が見える
9時50分、下山開始。登山の人、ペアが二組、単独二名、11時林道に到着、下山終了。下山直前にナイスイーグルという人に写真を写してもらった。富大体育研の卒業生、有名人のようだ。世間は狭い。立山少年自然の家の目沢さんとも会う。テント片づけ11時42分、城前峠12時5分、立山少年自然の家12時40分頃到着。1時20分にバスが出るので便乗した。ところが、誰も乗らず、ワゴン車に一人。千垣発1時48分の地鉄に乗れた。明日は入試。
下山途中、服装は夏と同じ
2006年2月
冬の冒険王
立山少年自然の家のガキ用企画
9時前に千垣に到着。トイレは雪の中で使用不可。迎えに来てもらって、雪だるま大王のガキどもと合流、きつつき広場にテント設営。冒険と称して森の中を少し散歩しただけ。拍子抜け。気温-4度。弁当をもらい、テントで本を読み、2時過ぎに合流。ガキどもは雪の上で砂場遊びの雰囲気。夜に発表会があった。雪だるま大王のお城なのだそうだ。さすが、人間、口先だけは達者。夕食は不動棟で1000円のバイキングと超贅沢キャンプ。ぜんざいもあった。
二日目
来拝山の少し下
山頂、20年振りの大雪
8時半過ぎから朝6時半までぐっすり。放射冷却で、テントの中は-8度、外は-15度くらい。コーヒーを飲み、ゆっくりと出勤。ガキどものテントの撤収は遅れ、8時半過ぎからゆっくり朝食。ガキどもは感想文を書くそうだ。天気も良いし、落ち着かない。9時半頃、暇なのでスノーシューで来拝山に出かけた。登っている人はいたが、ほとんどトップでラッセルをする。11時前に頂上、おにぎりとお茶をもらった。駆け下りて、11時半、立山少年自然の家。姿を消したのはばれていた。ガキの発表を少し聞き、昼飯をたっぷり食う。14時頃、すべて終了。ガキどもは帰る。テントに戻りコーヒーを飲み、本を読む。うとうとと少し寝てしまった。5時頃から夕食。ウインナと大根葉のピラフ、昨日の昼飯の残りのおにぎりで作る。98円の肉餃子、カボチャスープ。
三日目
前長尾山頂上
パン、コーヒー、チーズで朝食、8時10分、軽く散歩に出かけた。携帯を忘れたので取りに行って遅くなった。城前峠8時55分、峠の手前の林道の雪が少し怖い。先の林道は非常に恐ろしい。山に入るとトレースがあった。前長尾山頂上手前にuozuと書いた雪洞。高さが低く、幅がやたらある。建築工学のセンスがない。怖くて入れず。10時10分、頂上で休憩し、コーヒーを入れた。ツェルトを持ってくるべきと反省。寒い。積雪も異常だし、11時、引き返すことにした。11時55分、城前峠。ここから山を突っ切る。スゴイ雪。大汗をかいて大日平に合流。午後1時、立山少年自然の家着。身体を拭いてトイレ。14時半、テントで本を読む。16時近くにラウンジに行き、加藤さんを待つ。手違いで立山少年自然の家の人が迎えの時間を間違えたようだ。5時前に合流。見晴らし広場に連れて行き、テントを設営。場所は雪を固めておいた。それからシュラフとマットのかり出し。銀マットは3枚使用した。夕食は5時半から。作り置きの定食もおでんがあり、なかなか立派。食べながらインタビューを受けた。7時頃テントへ。気温は下がらないが、雪がどんどん降る。加藤さんに換気の注意を促す。夜中にテントの周りをスコップで除雪。
四日目
6時に起きて、テントの片づけ。6時40分頃終了。加藤さんもテントをたたんでいたので、シュラフとマットを不動棟に返す。7時半朝食。8時半頃、加藤さん用にわかんを借りて散歩。少し林道を散歩の予定が大辻登山の三人に追いつく。尾根道を行くように注意する。ついでだから来拝山へ。時間の関係で尾根に出たところで引き返した。研修生の送りが10時にあったので便乗して千垣まで送ってもらった。雪が多くて立山少年自然の家の職員も疲弊気味。加藤さんとはドトールでコーヒーを飲んでから別れた。実は、加藤さんは野宿野郎という超マイナー雑誌の編集者、しかも、かわいい女性だったんだよ。
2005年11月
雨飾山バックパッキング
大渚山(おおなぎやま)にて
三日も野外で過ごすと、ターミネーター遺伝子が出現し、山を駆けるヤクザとなる。
初日
急に思いついて雨飾山に出かけた。調べてみると、JRやバスのつなぎがよい。しかし、11月となると吹雪くかもしれない。アイゼンと三日分の食料、準冬山装備、水1リッター入れて22.5Kgのバックパックとなった。まあまあか。小雨だが晴れの予報。糸魚川駅で山を見ると真っ白。冗談じゃない。北側からのアプローチは止めにして、中土駅までJRで行く。バスで小谷温泉へ。雨飾荘には12時半についた。紅葉が実に見事だった。観光客も多い。
小谷温泉の少し上
一時間少々ぶらぶら歩いて、雨飾山キャンプ場に到着。天気は崩れ、小雨。オートキャンプ場。管理人の人にお茶をいただき、のんびりする。雪はまったくないとの情報。気温7度、文庫本を読んで、少しうとうとする。5時、気温5度。飯の支度。ウインナと高菜のピラフ、お豆さん、カボチャスープ。7時前に寝てしまう。足が少し攣り、背中がだるい。
まだ体調不十分
二日目
4時20分に目が覚める。パンとチーズとプルーン。二杯目のコーヒーを飲み、トイレに行き、5時45分出発。水3リッターとオールレーズン、チーズを持つ。ようやく白みだした。6時20分、1280メーター、気温0度。相変わらずショーツとスパッツ。指がかじかむ。7時08分、1480メーター。日があたる。晴天。
中央少し右が雨飾山の頂上
こんな所、登れる訳ないだろ。
奥が頂上
9時04分、糸魚川への分岐。9時25分、山頂。先着は2名のみ。降りてもすることがないので、写真を撮りまくる。10時半、肝臓がバテて背中が突っ張る。寝ていたら、股の内側の筋肉が痙攣、数分で治まる。ストレッチ。山頂がにぎやかになってきた。
白馬がくっきり。
背景は登山禁止の焼山
10時50分、ガスがわいてきた。下山開始。写真を撮りながら、ゆっくりと下りる。2時前、キャンプ場着。身体を拭いて、そば粉のお焼きを食べる。「野豚のおちゃこ」、350円。かなり脂っぽい。3時、もう一度コーヒーを飲み、オールアップル。お隣にオートキャンプ。男二人、焚き火をしてぼそぼそ。面倒だから遠くに引っ越した。
三日目
引っ越しで正解。7時半から朝4時までぐっすり。夜の間中、糸魚川方面で稲光。あまり良い気持ちではない。星空だったが、朝から雲が急速に広がる。5時半に起きて、コーヒー、パン、チーズ。6時40分、出発。通り雨、10分ほどで止む。
道ばたの林
鎌池
鎌池を一回りして撮影。かなりの距離。8時。ブナ林亭、9時からの営業。コーヒーを入れて、イチジクを少し食べる。日が照ってきた。これから雨飾山に登る人。天気は回復するとのこと。その通りだった。8時半出発、湯峠。9時20分、車5台。大渚山1566メーター。コースタイムは一時間半。登ることにした。一時間かからなかった。山頂でセルフタイマーで写したのがオープニングの写真。10時40分、下山開始。11時22分、下山終了。「山を駆けるターミネーター」になってしまった。
林道から雨飾山を見上げる
林道脇の小道に入る。
オールレーズンとチーズで昼食。11時50分、出発。目黒沢13時10分。浄水器が完全に壊れる。sweet
waterは壊れやすい。雨飾山登山口13時半。車の人が「どこまで」と聞く。「あと、2、3時間、歩いて適当な所で寝ます。」「ええっ!寝るの」と驚いた様子。とんでもないことをしているらしい。15時16分、千国街道分岐。少し登るが、水が見あたらない。100メーターくらい進むと小川。水3.5リッター確保。小道があったので、下って4時テント設営。
四日目
気の利いた立て札
朝、5時半に起きる。ごーごーと風が吹く。天気は下り坂。パン、チーズ、コーヒー。6時40分出発、すたすたと歩く。僅かに頭痛。7時40分笹野、電話がやっと通じる。8時06分、大網、歩く人は近道の標識、千国街道に入り、下る。姫川温泉、8時36分。バスの時刻表は9時38分。朝日荘は入浴OK。600円、くたびれた宿。湯から上がり、パンフを見ると駅から徒歩5分とある。宿の人に聞くと駅はすぐ傍。バスに乗る必要がなかった。JRは9時50分、糸魚川で高岡行きの普通列車が10時半。その後、天気は崩れ、猛烈な嵐になった。
2005年10月
のんびり、じっくり僧ヶ岳
アプローチの林道
実は春に体重が80Kgに達し、週二、三回、一時間のランニングを繰り返した。見事に74Kg台の体重に戻った。しかし、筋肉も落ちてしまった。バックパッキングという重量挙げも必要らしい。原稿執筆の疲れもとれたし、後任人事もうまくいった。少し気持ちにゆとりができたので、なじみの山で二泊三日を過ごした。久しぶりに歩き直して見ると、良い山だ。二泊三日のバックパッキングコースを案内しよう。
初日
JRで魚津へ。8時36分の東蔵行きのバスに乗る。この後は11時8分しかない。9時東蔵着。林道歩きが3時間。晴天、片貝第四発電所、10時53分。富山市は34度を記録。連休のためか、坂本弁護士の墓はどこかと、車2台に聞かれる。正しい道を教える。12時片貝山荘着。中を覗くと、電気もあり、小部屋に別れている。立派な山小屋。住み着くのも良いかも。登山口の先の川の支流で水を補給。パンとクリームチーズとプルーンの昼食。11時のバスで来る場合、ここでテント泊か、片貝山荘に泊まると良い。
登山開始、12時35分。急勾配は10分ほどだが、奥様にすっかり嫌われたコース。ロープがかなり増えている。まあ、少しきつめだが。下山する地元の二人。14時、標高1120メーター。がちーん、がちーんとすごい鈴の音、夫婦が下山中。プロのクマなら人間の足音だけで充分。うるさいだけ。14時半、1255メーター地点、ガスが出てきた。やっとGPSが入る。15時、1370メーター、伊折山。小休止。しばらくすると、ウェストザックのみの軽快な人と会う。毛勝の入り口にチェーンがあったので、駒ヶ岳まで行ってきたという。30分ほど立ち話をしてしまった。16時17分、1600メーター、成谷山。池はもう少し先。16時40分、剱見の池。GPSで1658メータのピークの北と判明。GPSは狂うが、狂っても100メーター。地図を読めば正確な地点が分かる。やはり離せない。
浄水器の弁が作動して不調。水がなかなか入らない。スウィートウォーターは少し華奢。5時40分。飯を炊き始める。メニューは、ハンバーグ4つ、五島乾燥野菜、おまめさん、カボチャスープ。ガスがかかり、携帯が通じない。ガスが切れた時、場所を少し移動するとつながった。夜中からひどい雨。前線が通過中。ここではいつも雨に遭う。
剱見の池の側で
二日目
5時40分、起きてしまう。小雨。コーヒー、パン一枚、クリームチーズ二個。ちょっと少なすぎた。停滞するか、考え込む。前線は通過したが、午前中は良くない。読む本も持ってこなかった。雨がひどいのでしばらく様子を見る。7時雨が少しマシになった。出発準備。8時25分、僧ヶ岳山頂。水の補給、とってを踏みつけて弁を押し、本体をごきごき動かす。ある時、すっと弁の不調が直る。9時、グレゴリーサミットで、駒ヶ岳へ向けて出発。クマザサは刈ったばかりで、登山道に散乱。歩きにくい。道は荒れていた。足に力もない。食事の量が少なかったようだ。1880メーター地点まで行くが、風雨が強まる。GPSで現在地が正確に分かる。ちょうど2/3の所。10時、疲れたし止めにした。引き返し、再び、僧ヶ岳10時50分、パンとチーズとプルーンを食べて大休止、雨が収まってきた。
僧ヶ岳は雨
11時25分、下山開始、林道を目指す。女の人三名、仏が原で犬連れの男一名。本日の登山者はこれだけ。宇奈月コースをゆっくりと歩き、前僧ヶ岳コースと合流、12時半。途中、2箇所、ビバーク用ブルーシートが置いてあった。天気が良くなってきた。13時35分、林道。水がないので、魚津方面に林道を進み、テント設営。工事用の事務所が出来ていた。2時過ぎ、テント設営。Hilleberg Aktoは非常に張りやすい。水3リッター作る。身体を拭いてひげを剃る。14時50分、コーヒータイム。トーハト、オールマロンという新製品。少し堅い所があるが、旨い。オールレーズンを超えられるかは不明。本を持ってこなかったので、ラジオを聞く。ダウンマット、少し空気を抜いて使うと安定する。断熱性は抜群。
三日目
5時過ぎに起きる。小雨。パン2枚、チーズ3個、プルーン。これくらいは食べないといけない。6時、二杯目のコーヒー、ぽたぽたと少し雨。6時50分、出発。雨具は上のみ。烏帽子山1274メーター、7時35分着。ガスが出て携帯が切れる。小雨が少し、Tシャツになる。8時15分、1230メーターのピーク。9時、981メーターのピーク。高度計は100狂ってる。昨日から気圧が低下。鋲ヶ岳、9時40分着。コーヒータイムとする。登山靴は濡れてぐしょぐしょ。濃いコーヒーで非常に旨かった。10時7分下山開始、15分ほどで森林公園。誰もいない。水を一リッターにする。素晴らしい水洗トイレがあった。洗顔、ひげそり。これから3時間の林道歩きがある。10時45分出発、11時20分、下立(おりたて)への新しい林道が出来ていた。しかし、通行止め。いままでのルートを行く。12時3分、分岐。杉林はブユだらけ。歩きながら、10~20匹殺す。下立口13時半。ちょうど電車が入ってきて乗り込む。予定終了。疲れたが、身体にパワーが戻った。
烏帽子山から
鋲ヶ岳から宇奈月
今回の優れ物
サーモスソフトクーラー5L
少し大きめの保冷ケース。断熱性良好、使いやすい。サラミ、チーズ、ハンバーグなどを入れて、バックパックの上部に収納。うさちゃんマークあり。たしか、1500円くらいだった。
2005年8月
倶知安夏期強化合宿
倶知安に通った御陰か、じゃが祭で、太鼓を叩きました。太鼓は良いですな。まだまだ若い者には負けません。偶然、プロのカメラマンが写してくれましたのじゃ。
なあーんちゃって、もちろんウソですよ。
大学から逃げ出して倶知安に行くと、じゃが祭のまっただ中。なんと昨年、温泉で一緒になった太鼓のロクさんとぱったり出会ったのです。出番はこれからとのことで、激写することに。太鼓を叩いている傍まで接近し、400枚くらい連射しました。その中の三枚。オリンパスE-1の連射性能もまだまだ不足だなと感じました。ロクさんは北海道唯一の人間国宝で、NHKのTVにも出ているようです。何と91歳。年齢を感じさせない迫力で、後で頭痛に悩まされました。写真を送ったら喜んでくれて、来年もぜひ来いと言われてしまった。倶知安はキャンプ場が無料、温泉、生協マーケットが徒歩5分、羊蹄山、ニセコ連峰もあるし、良い所ですね。
Hilleberg Nallo 3
印税で買ったテント--その2、重さ2.4Kgで3人用。500ドルもしたが、ポイントがついて女性用スリーピング・マットProLite4が6ドルで買えた。日本では15000円というもの凄い値段。アメリカから取り寄せても4日で来るし、特に高い訳ではない。半月湖登山口のキャンプ場で張ったのですが、うるさかったので、進入禁止の林道に移動。安眠できました。奥様も満足されたテントです。スリーピング・マットも断熱性能が高く、ご満足されました。
1st stage
奥様が安眠中で、出発が遅くなったが、5時50分、キャンプ場を出発。水は7リッターばかり持ちました。四合目7時20分、八合目9時35分、9合目半で10時過ぎ、昼食としました。この後、急速にガスが出てしまい、展望はここまで。
背後はニセコアンヌプリ
羊蹄山は非常に分かりやすい山。体力勝負のみ。あれば余裕で登れるし、なければ死ぬ思いをする。天気が良いと天国、悪いと地獄。今年は花がきれいなので、写してみました。花の名前なんか知らないよ。1850メーターのピークは行ったけど、ガスの中、奥様も疲れたようなので、火口の間の高山植物を見学して下山。3時半にはキャンプ場に着きました。奥様はふらふらでしたが、想定の範囲内。トレーニングの効果が出ていました。
これは生協の海鮮丼、498円
2nd stage
余市に移動し、食料の買い出し。次の目標である積丹岳の休憩小屋に移動。移動するだけで一日かかります。休憩小屋は415メーター地点。バス停から一時間半もかかりました。バックパックの重量は27-28Kgくらいあった感じで、疲れました。
積丹岳の休憩小屋
積丹岳山頂
余別岳が見えます。
積丹岳は標高1255メーター。登りは三時間半、木の生い茂った展望のない登山道を延々と歩きます。だらだら登り。登山している人はだれもいません。休憩小屋の雑記帳によると、平均して一日に一人か二人が登っているようです。人気が出るはずないです。九合目までなにも見えません。頂上でガスに巻かれると最悪です。我々は朝6時半出発、疲労の色の濃い奥様は空身、それでも9時50分に頂上に着きました。一部ガスはわいていましたが、積丹半島が一望できました。良い山です。頂上でコーヒーを入れ、10時半下山開始、休憩小屋13時着。もう一泊しました。良い小屋ですが、ムシがいます。テントを張った方がよいようです。
2005年5月
能登半島バックパッキング(総集編)
山伏山キャンプ場
立て続けに本を書いたので、体調がおかしい。腕に変な皮膚疾患が出来た。調べると乾癬である。自己免疫疾患で難治性、治療法は紫外線を当てたり、生活を規則正しくして免疫力を高める方法がある。病院に行っても治らない。バックパッキングに行くしかない。明るくなれば起きて暗くなれば寝るし、ガンガン紫外線に当たれる。ゴールデンウィークなので人の少ない所を目指した。懐かしの能登半島バックパッキング(総集編)と企画を立てた。
1st stage
4/30(土)晴
JRで金沢へ。駅前がきれいになっていた。バスで鉢ヶ崎へ。妙なデザインのホテルがあり、びっくり仰天。海水浴場にはキャンプ場の設備が追加され、リゾートの事務所があり、料金を取っていた。そういえば10年ちかくご無沙汰していた。水2リッターを持ち、13時40分出発。14時40分、小泊児童公園、木が大きくなっていた。しかし、トイレも噴水も水がでない。小休止。16時10分、粟津。17時30分、山伏山キャンプ場。山伏山に少し入って見た。水はなく、畑は荒れ果てていた。キャンプ場は切り開かれて整備され、1000円とびっくりする価格。管理人の人はもちろん愛想が良かった。見晴らし台のところにテント設営。京都からスクーターで来た中高年が一人、今回のテーマは夕日と言っていた。写真を撮ってもらう。夕食はウインナとキャベツの中華炒め、カボチャスープ。夜は8時に寝る。
奥能登の遊歩道
5/1(日)晴のち雨
5時45分、目が覚める。コーヒー、アップルミューズリ、少し甘すぎる、プルーン。神戸の人はもう帰るという。6時半、出発。風が強くなる。少し歩くと、やはり500メーターほどで小川があった。ここで水を補給し、海岸線に降りて、人気のないところに行ってテントを設営するのがベストだろう。1000円は痛かった。7時、海岸に出る。7時20分、狼煙灯台。公園にトイレも出来ていて水もある。ここでもキャンプはできそうだ。8時、バックパックの雰囲気が少しおかしい。強化部分のボルトが一つなくなっていた。落ちていた網のひもで括る。折戸の生協でアクエアリスと大福柏餅セットを購入。遊歩道で小休止、9時30分出発。11時、椿展望台。パンとチーズで昼食、店も出来て繁盛している。14時20分、大谷。揚げ浜塩田が復活していた。びっくり仰天。働いているおばさんと立ち話。流下式2軒、揚げ浜3軒がある。ここ7から8年のことらしい。塩田の記念会館も出来ていた。天気が崩れてきた。15時20分、赤島。雨。強風、本降りになる。雨具を上下来て水を3リッター持つ。しかし、重すぎたので、2リッターにする。逢坂トンネルを抜けた園地にテント設営。雨はたいしたことはないが、強風。水を少し側溝より補充。濁っていたので浄水器がつまった。煮炊きに使った。夕食はサラミと高菜のピラフ、お豆さん、カボチャスープ。
岩倉山中腹から曽々木を見下ろす
5/2(月)曇りのち晴
4時半に起きる。ミューズリ、コーヒー、バナナチップ。6時20分出発。7時、曽々木。岩倉山に登る。7時半、千体地蔵、特殊な柱状節理だった。遊歩道が出来ていたので道なりに進む。寺に着き、8時過ぎ、曽々木口バス停。高速輪島行きがあり、9時5分、輪島着。おかずを3000円ほど買い、ボルトナットとドライバーを買い、バックパックの応急修理。10時40分、出発。役所前の河原公園でおにぎり、鳥の唐揚げ、芋サラダを食べる。消防がレスキューの訓練をしていた。桜もまだ咲いていた。11時20分、出発。12時、柏餅を食べる。足が痛くて元気がない。小学生のガキどもとすれ違う。遠足かトレーニング。担任と挨拶を交わす。車が止まる。夫婦、野宿の本を書いた人ではないかと聞かれた。記念撮影を要求される。そんなに有名でもないが。本に忠実に嫁さんを連れ出してテント泊とのこと。ホームページも定期的に見ている、最近、更新が少ないと厳しい意見。15時20分、赤崎。立派なオートキャンプ場。こんなところはやばい。16時、大沢。なんと、携帯がつながる。そういえば携帯を持つようになったのもこの数年のことだ。疲れたが、ラストスパート。16時50分、上大沢着。車を洗っている青年に荒磯歩道の事を聞く。ダメらしい。彼は上大沢出身で、富大工学部を3年前に出て、里帰り中とのこと。こちらも富大で教えているよと気軽に正体を明かした。ここは20~30年も、通っていて、荒磯歩道や山道や舗装道路も歩いたというとびっくりされた。村の人でもそんなに知らないという。キャンプ場の料金のことを聞くと夏だけ集めている。水道も出しっぱなしなので、車を洗いに来ているという。連休なのにキャンパーはオレだけ。夏はどうかと聞くと、それなりという話。夕食は、牛丼のレトルト、具は少ないが3パック使って汁を捨てるとOK。なかなかいける。紀文の餃子、蒸し大豆のパック、カボチャスープ。7時過ぎには寝てしまう。
猿山の雪割草(白いタイプ)
5/3(火)晴
4時過ぎに起きてしまう。車が来た。釣りの人。5時にパンを半ダース、チーズを食う。6時20分、出発。おばあさんに荒磯の事を聞くと、途中から山に登る道までも行けないという。もう一人のおばさんも近づき、寒くないのかと聞かれた。どうも、正体は知れ渡ったような印象。山道にしますと言って別れる。ところが、山道への登り口もふさがれていた。柵を乗り越えて70メーターほど登った所で木が横倒しになり、道をふさいでいた。かなりの急斜面。無理に超えると危ないので引き返す。最近はまったく誰も歩いていないようだ。7時、改めて長々と車道歩きを始める。大昔、サイクリングでビバークした林道の入り口で小休止。足のまめを潰し、激甘のアンパンマンドーナツを食べる。今しか食えない。スパッツを外す。11時10分、皆月。結構疲れた。建設会社のところで水、2リッターを確保。パンを売っている店もない。閉店したようだ。激甘、アンパンマンドーナツとチーズとプルーンで昼食、自販機でアクエリアスを飲む。11時50分出発。猿山崎灯台へ一キロ、林道分岐点で休息。サイクル野郎がいく。13時50分出発。14時、婦夫岩の所が大駐車場になっていた。ここまでやることないのに、環境破壊もいいとこだ。14時23分、猿山崎灯台。小休止。14時45分出発。一時間弱歩いて、川で水を3リッター確保。シャツも洗った。野宿準備完了。深見近くの展望台への道はブッシュがひどく、竹でふさがっていた。躊躇したが、つっこむ。以前、耕作していた畑も放置されていた。畑の側にテント設営。カンカン照りで暑い。17時。もう少しだが、濡れたシャツを着る。気持ちがよい。今日のメニューはサラミと乾燥タマネギと残っていたサケのふりかけのピラフ、ごま油で炒めると旨い。お豆さん、カボチャスープ、疲れたけど、何とか調子が出てきた。7時過ぎに寝た。
荒れ果てた畑より
2nd stage
5/4(水)晴
少し風が強い。4時45分、目がさめる。パン4つ、チーズ3個、プルーン、コーヒーの朝食。6時20分出発。黒島の近くのトイレでひげそりと洗濯。8時25分、黒島。富来行きのバスがあった。海岸通りを行き、富来高校前下車。アスクはまだ営業していない。エーコープに入って少し買い物。10時にアスクに入り、ウインナ、餃子、もやしを買う。12時05分、厳門クリフパーク、なんとオートキャンプを堂々している家族が二組。あきれた。クリームパンを食べていると、トビにおそわれ、パンを半分とられる。なんてことだ。指から少し血が出た。観光客の食べ物に餌付けされている。12時半、出発。サイクリングロードは考えてみれば10年ほど歩いていない。入り口がつけ変わっていた。道沿いの松が大きくなり、見晴らしが悪くなった。14時30分、ガス欠。饅頭と柏餅を食べる。池に出る。ここで寝ると誰も来ないが水がもう一つ。しかも15時と早い。15時35分、三明。水を2リッター持つ。30分ほど歩くと森林公園。やたら芝生がきれい。犬を洗っていた夫婦。水を3リッターにする。きれいすぎてテントが張りにくいし、どうせ道の側で車がうるさい。公園を横切り林道に入り、広いところでテント設営。16時30分。ペグが刺さりにくかったが、靴を金槌にした。夕食はウインナともやしの中華炒め、餃子、カボチャスープ、お豆さん。
だれも来ない林道脇で
5/5(木)晴
くたくたで6時まで寝る。パン、チーズ、ドライのアップルとバナナ、コーヒー。右足の豆がひどい。7時10分、そろそろ片づけ。エアマットは少し寒い。顔を洗い、水の補給。静かな公園で誰もいない。8時出発、10時50分、高浜手前、Super Center ロッキーという巨大スーパーマーケットが出現。11時過ぎ、巨大温泉発見。入ることにした。450円。新築でカギも厳重。靴箱、貴重品入れ、脱衣所、すべて鍵付き。貴重品入れは100円を入れて戻る仕組み。取り残しの100円があったので頂いた。風呂代は350円になった。出ると食堂があった。日替わり定食680円、アフターコーヒー150円。意外にうまかった。12時、そろそろ出発。いつも買い物をしていたマルシェは潰れてパチンコ屋が出来ていた。食料は羽咋で仕入れることにした。砂浜に出る。気持ちがよい。水が少なかったので川も渡れた。13時22分、二つめの川も渡る。先端部が渡りやすい。三つ目の川もOK。滝岬の松がかなり伐採されていた。14時10分、滝港。ヨットハーバーになっている。メガネをかけた人に呼び止められる。金沢のTV局を退職したところ。昔、東北まで歩いたことがあるという。お茶でもと言われたが、時間も遅いし、遠慮した。富山のBBTの人とも知り合いが多いという。やばい。郊外に大きなスーパーができて、羽咋駅前のマルシェも潰れたという。15時52分、砂浜沿いに行き、羽咋川のところで橋に向かう。17時、おばあさんに道を聞き、やっとスーパー、なんと立て替えられて、モダンなデザイン。能登牛を張り込む。3300円ほど使った。水3リッター確保。これから寝場所を探す。町中を抜けるとき、GPSは便利。千里浜レストハウスより5~600メーターの所に板張りの休憩所あり。一度防風林の中に張るが、誰も来ないし、休憩所の中にテントを張る。車がうるさいがどうにもならない。高波の恐れがあるので、海の傍では寝たくない。18時50分、遅くなったが、夕食。メニューは能登牛のステーキ、オニオンサラダ、お袋の野菜豆のパック、紀文の餃子。能登牛は物足りなかった。デザートの丸ごとバナナが非常に旨かった。
千里浜
5/6(金)晴
道路の音は夜中までうるさかったが、結局良くねた。5時半に起き、6時、二杯目のコーヒー。6時45分出発、7時半、トイレがあった。もう一度入り、水2リッター確保する。7時55分、出浜。店が並んでいる。8時半、千里(ちさと)。エビの珍味をみんな食べてしまう。あまりパワーがでない。8時50分出発。11時10分、道の駅高松、高松レストハウス、ミックス定食780円、疲れて足が痛い。途中から急にバテがきた。コーヒーも追加で250円。割にうまかった。高松あたりでJRに乗ることにした。このレストハウス、一度来たことがある。12時出発、12時55 分、高松駅。すぐに快速があり、乗り継ぎもものすごくよく、自宅到着は2時半。紫外線で焼きまくったので、腕の乾癬は完治、ざまあみろだ。しかし、足首と腰に汗疹がたくさん出来た。足の豆もひどい。何でもトレードオフはあるさ。一週間の治療費は交通費込みでも2万円かからなかった。
今回の大失敗、ソックスが厚すぎた。油断大敵。
2005年4月
安房岳付近、強風
今年の屋久島は失敗。奥様を連れて行ったので身重、しかも、かなりの残雪がある。数日、麓でハイキング、体を慣らしてから登ったが、少しスピードが足らなかった。初日はヤクスギランドの見学、淀川小屋。ここでテント泊で遊ぶ。残雪が多いという情報、縦走を中止。ピストンに切り替える。午前中は天気が良かったが、昼近くに強風。栗生岳は吹雪。パン、チーズ、サラミを囓り、下山決定。花之江河は雪景色。淀川小屋付近も真っ白。
今度は一人で地獄の夏に行くか。
淀川小屋近く。ここの景色は何度見ても素晴らしい。
花之江河、天気は良かったが、この後、急速に崩れた。
朝、起きてみると、周りは真っ白。登山道も凍結していた。
印税で買ったぞ!
Hilleberg Akto
2005年2月
立山少年自然の家のチャレンジキャンプ
昨年、床の断熱と食事の件でうるさく言ったので、今年はガキどものテントマットは二重。タンパク質、野菜も大奮発。メシもパックではなく、米から炊くようになった。おかずはカレーパックにハンバーグと野菜、朝食もパンにウインナとチーズ、バナナ、レタスと豪華。なかなかのデラックス・キャンプになった。マットを二重にしたので、背中の冷えは全くなく、幸せに生活できたようだ。オレは皆さんの幸福に役立っているのだ。
しかし、自分の幸せも大事なので、100メーターばかり離れた林の中にテント設営。ウインナと野菜の中華炒め、餃子20個、お豆のパック、カボチャスープ。朝食はピザとレギュラーコーヒーとプルーンと追随を許さない。何と言ってもキャリアが違う。
テントでくつろいでいると女の子が一人近づいてきた。
「いつもいるの?」
うーん、いつも住んでいる訳ではありません。するどいガキだ。
来拝キャンプ場から城前峠を目指す。
大辻山への登り1120メーター地点。
二日目は単独行動。水を3リッターもらい、7時50分出発。炭焼き小屋方面まで雪の中を突っ切る。昨日の圧雪の後には30センチばかり雪が積もり、スノーシューズがはずせない。8時半、やっと城前峠、ここから圧雪の後なく、スノーシューズに延長テールをつける。長尾峠10時40分、まったくトレースなし。積雪3メーター。奥 長尾山11時36分、疲れる。ただ、何度も来て杉の形を憶えているし、GPSも正常駆動。ガスが出ても迷わない。12時16分、標高1120メーター地点に到着。二本の折れた杉の所で昼食。大辻山山頂までは一時間はかかる。十分運動したし、ここで止めることにした。パンとチーズとプルーンで昼食。12時40分引き返す。長尾峠13時40分、城前峠14時40分、キャンプ場着15時10分。7時間雪の中で行動した。
チャレンジキャンプの中心
去年も参加したガキに会った。
「短パンの人?」と聞かれた。
一年もたってまだ憶えているのかよ。成長の遅いガキだ。まあ、去年は昼でもマイナス7度だったからな。
2005年1月
なぜか、バスの運ちゃんとはウマがあう
ニュージーランドでトレッキングをやるため、下調べに行った。パック旅行。テントは要らないので、デイパック一つで、ふらりとジャンボ機に乗った。高級ホテルに連泊で、美味しい肉を山ほど食ったが、かなりのハードスケジュール。延べ3000キロをバスで走った。
イエローアイズペンギン
オタゴ半島で絶滅危惧種のペンギンを見た。4000羽しかいない。夕方しか見られないという情報。説明を30分聞き、小さいバスでペンギンの住処へ。150mm(300mm相当)ズームが役に立った。この旅行のため、カメラをオンリパスE-1に替えた。その後、ラーナック城へ。
ラーナック城
ダニーデンはスコットランド系の町。スープの後、ハギスという儀式に参加した。給仕の役。英語が分からない。現地の添乗員も分からない。スコットランド方言だったようだ。余興をやって食事にありつく。夕食は少ない。11時近くに終了。風呂に入り寝ると12時。日没は9時半なので疲れる。
ダイキリ渓谷鉄道
乗っているのは観光客だけ。デッキから写真を100枚くらいとる。カメラマンと間違えられた。渓谷といっても、黒部渓谷とは比べものにならないほど、穏やか。
ミルフォードサウンド
クイーンズタウンからバスで4時間半。説明の掲示板は英語、ドイツ語、中国語、日本語と多言語。アメリカ人に掲示板の文字の質問を受ける。いい加減な片言英語で説明。遊覧船では1時間半デッキで頑張り、100枚以上激写。デジカメは便利。また4時間半バスに揺られる。
プカキ湖
マウントクック手前のプカキ湖。氷河湖で、水の色が青く澄み切っている。確か、魚も住んでいないと聞いた。
マウントクック手前の氷河
有名なハーミテージ・ホテルで豪勢な昼食。肉も野菜もケーキもうまかった。バイキング。時間がない。ブッシュトラックに向かう。一時間コースを25分で片づける。ホッカーバリーに向かう。超高速で歩く。キャンプ場手前5分の所からの写真。
テカポ湖のお土産品店で、売り物の毛皮の上でお休みのご婦人。
アウトレットの店に入ると、インスタントコーヒーとクッキーのサービス。かわいい猫が売り物の毛皮の上で寝ている。おみやげにマヌカハニー#15の25ドルもする物を買ってみた。健康食品のようだ。
ウェリントンの町並み
首都ウェリントンの町並み。一時間くらい散歩できた。観光客が多い国際都市。パブは賑わっていた。アメリカ人らしい人に声をかけたらニューランド人という返事。ノープロブレム。
トンガリロ国立公園リッジトラック
トンガリロはグランドシャトー・ホテル泊。夕食前にリッジトラックを歩く。翌朝も5時に目が覚めたので、雨の中、1時間半ほど散歩した。
こんな人、従兄弟にいるかも
村上家好みの美人。
好みの美人が多い。
タウポ湖の朝(火山性の水蒸気、朝靄ではない)
ロトルアでは定番のマオリショーを見た。マオリショーは良かったが、料理は最悪、パンはまずくて誰も食べない。ハワイアンのリズムと共通性があった。ハカという戦いの示威行為は歌舞伎の見栄とも似ている。村上水軍にはポリネシア遺伝子がかなり流れ込んでいるようだ。
ニュージーランド航空、ビーフ弁当
ニュージーランド航空、チキン弁当
ニュージーランド航空、フィシュ弁当
ニュージーランド航空のメシは旨かった。タダだから帰りにワインを三杯飲んだら頭痛でダウン。パンフには飛行機ではアルコールを控えましょうと書いてある。しかし、ワイン、ビール、コーヒー、ジュース、緑茶、紅茶、水、をどんどん持ってくる。アイスクリームも旨かった。缶ビールは3種類、ワインは5種類。どうなっているんだろう。
今回の優れもの
オリンパスE-1
2004年9月
ニセコアンヌプリで足慣らし
校正と原稿書きから逃れるように、トワイライト・エクスプレスで奥様と一緒に逃避行。まず、倶知安の公園に居を構え、足慣らしにニセコアンヌプリに登った。そこそこ歩けたが、二人とも調子が悪かった。一日、休養し、羊蹄山アタックのために、半月湖畔の駐車場にテントを移す。ぐっすり眠れるはずが、夜中に肝試しの連中が来て、大騒ぎ。どうもここは駄目だ。
6時前、5.5リッターの水をもって奥様とアタック開始。5合目8時30分、7合目9時35分。犬に追い抜かれた。登山犬らしい。8合目10時10分。犬が茂みから現れた。「喉、乾いただろう。ハイ、飲め。」と言う。単独だったらしい。犬の野郎、嬉しそうに手から水を飲む。こぼすので、岩のくぼみを器にした。「もういい加減に下りろ。水筒持たないで登山する馬鹿があるか。」犬はオシッコをして、シッポを振って下って行った。みんな登っているから自分も登りたくなったらしい。
11時30分、羊蹄山のピーク。晴天で倶知安の町が見下ろせる。奥様もなんとか登れた。百名山だが、標高差1700メーターのピストンなので登山客は少ない。昼食をとって下山開始。7合目13時10分、4合目14時30分、奥様のエンジンが切れた。惰性でテント場着16時。休憩してバスで倶知安に移動。生協でにぎり寿司を6パック相当分買って、みんな食ってしまう。倶知安はおいしい。
体調が悪いので、ニセコ縦走は無理と判断し、一日休養して、バスで神仙沼、長沼見学に連れて行った。それほどご機嫌麗しくはなかった。温泉で太鼓の先生の六さんと裸で話。90歳という。倶知安のじゃがいも祭りの立役者。JR倶知安駅の100周年記念では、羊蹄山のてっぺんで、ドカドカ太鼓を叩いたそうだ。
最終日、札幌の大丸の食い放題にチャレンジ。ちょっと買い物をすると、奥様の機嫌も治った。何と言っても、倶知安はおいしい。宿代もタダ。温泉もある。また行くか。
今回の優れもの
プチ蚊取り
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2004年7月
上市の裏山---高峰山
執筆が進まず、死にそう。立山少年自然の家の会議があったので、前日の昼に上市の大岩から歩き始めた。まっすぐ釜池に行けば良かったが、浅生の集落から登山道へ。100メーター進むと地形が地図と違う。GPSでチェック。登山道がもう一つあった。引き返し、500メーターくらい進むと行き止まり。駄目なので再び引き返し、林道経由で骨原まで歩き、林道からアプローチ。標高600メーター地点4時。釜池は林道から細い道を入り、登って、かなり下った場所。すり鉢状で何もない。でかい魚が泳いでいた。クマしかいない。笹百合が綺麗。
テントを張る場所はあるが、水が汲めない。作業小屋があった林道まで引き返しテント設営。5時40分。大きな水溜まりがあったので、浄水器で3リッターほど飲み水を作る。夜はウィンナのピラフ、餃子、きんぴら、カボチャスープと山盛り。地元の人が笹百合を刈って車で通る。驚いて声も出ない。どうなっているのか。花がなくなってしまう。体調が悪かったので、なかなか寝付けず、心拍も高いまま。鳥や猿が騒ぐ。どうもおかしい。10時頃、テントの傍で、ドスンドスンと足音がする。「うるさいな。寝られないだろう。」というと静かになった。すぐにぐっすり寝てしまった。聞き分けの良いクマさんだった。
明け方から雨、5時に起きて、パンとプルーンで朝食、本降りだったが6時半過ぎに出発、すぐに雨は上がり、高峰山山頂7時半。時間が早いので新しいバックパックを撮影。休憩する。7時50分出発、8時20分に林道に合流。立山少年自然の家の会議は1時半なので、早すぎる。大辻山の北尾根から縦走し、山頂10時半。カメラのレンズが曇ったので乾くまで休憩。ケーキとクリームチーズの昼食。10時55分下山開始、12時林道に合流。浄水器で水を1リッター作る。速歩モードに切り替えた。体調は回復して不死身モードになっていた。12時45分立山少年自然の家着。体を拭いて、会議に出席。
「真夏のチャレンジ」で、前回「バイクの走りが中途半端。県境から県境まで走らせろ。」と無責任発言したが、マジに計画が変更になっていた。もう一つ、自然への感性を養うのが目標なら森の中でビバークさせろと無責任発言。「森の冒険王」ではガキどもにビバーク体験をさせることになった。大丈夫かな。ボランティアが泣くかも。
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2004年4月
ご存じ、縄文杉
1st stage
ストレスが溜まったので、屋久島病院に入院した。長期予報によると、二日間晴れが続く。初日はタクシーで白谷雲水峡まで行き、白谷小屋近くでテント泊。ワンゲルが二パーティいた。二日目はまっすぐに縄文杉に向かう。途中から本格的な雨。休憩所で寝ても良かったが、まだ昼過ぎ。一人だったのでピッチが速い。新高塚小屋に行き、外にテントを張る。雨。
「ふふふ。食料は5日分持っているからね。」
三日目、雨は上がらない。長期予報は嘘ばかり。停滞を決めて、文庫本を読む。静岡から来た登山家はひとまず下りて、淀川方面から登り直すとのこと。一週間の予定で来たそうだ。午後、東京のベテランの登山家が宮ノ浦岳を縦走してきたが、何も見えなかったという。一時雨が上がったので無駄話。夕方、アルパインツアーの人たちが登ってきた。メンバーは10名ほど。ガイドは2名。地元のガイドによると、30年ぶりの大雪。花山歩道は雪が一メーター、永田歩道も雪と倒木でお勧めではない。困った。今回は永田岳経由で永田歩道を歩く予定だった。夕方には小学生の団体も到着、山小屋は満員。水場の側にテントを張ったのはまずかったが、引っ越しが面倒。
恐ろしげな永田岳。天気が良ければガキでも登れる。
四日目、4時半くらいからトイレに行く人が多い。5時半に起きてしまう。アルパインツアーは出発準備中。今日は晴天の予定。6時40分出発、平岩まで雪とブッシュのひどい所があった。強風とガスが治まる。永田岳が綺麗に見える。分岐でアルパインツアーに追いつく。永田岳ピストンをやるそうだ。主体性がなく、直ぐ迎合。荷物をデポしてウェストバッグ一つで登る。永田岳は見るからに恐ろしい。しかし登ってみると実に簡単。丘陵地に大きな岩が転がっているだけ。下ると静岡から来た登山家と会ってしまう。野球選手のような立派な体格。ツアーの人と相前後して縦走。ツアーの人たちは石塚小屋まで。淀川小屋までは遠い。ガイドにテントがはれそうな場所を聞くと、花之江河(はなのえごう)の傍を教えてくれた。水場は直ぐ傍、周りは木で風が当たらず、下は砂地、天国のような、実に素晴らしい場所だった。15時半テント設営。たっぷり食って10時間は寝た。
世界遺産のど真ん中、エアポケットのような場所。
五日目、また雨。6時40分出発、安房歩道経由でヤスクギランドに向かう。丸太一本の橋があり、怖かった。小屋手前の水場でアルパインツアーの人と会った。ツアーの人たちは淀川歩道経由で下山するようだ。ガイドが「安房歩道はお勧めできません。情報はどこで得られましたか。」と聞く。「なあーんにも。」と答える。昨年、大きな木は切って整備したそうだ。目印のテープもあるし、GPSも今年は正常動作。睡眠も体力も十分。岩場は怖いが藪は怖くない。安房歩道を下ることにした。「登山届けは出しましたか。」「ぜーんぜん(奥様には携帯で連絡したからすぐ指名手配されるけどね)」「遭難した時は私が探します。お名前をお聞かせください。」と来た。嬉しいねえ。お礼を言って分かれた。無届け単独登山は危険。脚を挫くと即遭難だ。だから一歩一歩、慎重に歩く。安房歩道は前半は特に危なくもなかった。倒木は計10本くらい。1~2本が大いにじゃまだった。しかし、大和杉辺りは倒木だらけ。登山道も荒れていて、時間がかかった。14時50分、ヤクスギランドバス停に到着。3時18分のバスで下山。
原生林。なぜか懐かしく感じる。古代の記憶だろうか。
2nd stage
蛇ノ口滝と尾之間温泉
鬱蒼とした原生林の中に突然現れる。
疲れたのでテントで寝たきりと思ったが、晴れ。迷ったが出勤に決めてバスで尾之間(おのあいだ)へ。蛇ノ口滝ハイキングコース。楽勝と思ったが道は登山道と変わらない。往復5時間かかる。川を渡る時、岩がぬるぬるすべすべ。危ない。しかし、蛇ノ口滝は良かった。いきなり原生林の中から現れる華麗な滝だ。尾之間温泉もたったの200円。アルカリ質ですべすべの熱めの温泉だった。
愛子岳
九合目から核心部を眺める。写真では分からないが、45度から60度の恐怖の岩場。
雨で一日寝たきり。たっぷり食ったし、イギリス人のお姉ちゃんがいたので元気になった。次の日は快晴。バスで小瀬田へ出勤。愛子岳までコースタイム3時間程度。林の中の快適な登山道で順調に高度を稼ぐ。全然、問題なし。登山者もなし。しかし、頂上直下で茂みが無くなり、急勾配の岩山になった。いきなり身ぐるみ剥がされた感じ。足下は1200メーター下。メチャクチャ怖い。ロープ二カ所。マークがないので自分でルート判断。いやあ素晴らしかった。怖いので頂上でしっかり休憩。ゆっくり下りてバスでテント場へ。
千尋滝
屋久島で二番目の規模の滝だが、印象はもう一つ。
なんで晴れるんだよ。晴れると出勤しないといけない。バスで原(はるお)へ。千尋(せんぴろ)滝見学とする。モッチョム岳に登っても良かったが、最後に三級の岩場がある。脚もボロボロだし、冗談じゃない。行くとしても展望台までだが、遠慮しておいた。千尋滝は規模が大きいがバスも行く。あっけらかんとしてもう一つ。休憩所で飲んだたんかん(オレンジとミカンの合いの子、屋久島名物)ジュースは旨かった。すたすた歩いてトローキの滝、有用植物リサーチパークを見学。今日は観光客モード。毎回、同じバスの運ちゃんに会い、顔なじみになってしまう。テント場に戻るとイギリスのお姉ちゃんが戻ってきた。「ダン!」とか叫んでいた。話を聞くとヤクスギランドから安房歩道を登ったらしい。「ベリ・デインジャラスよ」と言っておいた。あそこは何も知らない外人と俺しか通らないのよ。
楠川前岳
晴れが続く。バスで白谷雲水峡まで行き、楠川前岳へ向かう。地図には林道が頂上まで通じているようにかかれていたが間違い。途中から道無き道となる。登山用のテープだけが手がかり。GPSもフル出動。危ない崖を横切り、頂上まで約150メーター、高度940メーター地点まで到達したが、散歩に来ただけだし、止めにした。引き返し、楠川歩道経由で下山し、テント場まで歩く。楠川歩道は二度目で懐かしかった。
人も猫も
キャンプ場の猫、山猫の血が濃いようだ。
「写真はだめだめ。ボク、恥ずかしーい。」
家に帰るのは嫌だようと思いつつ、ぶらぶらと港に向かう。 「ふにゃああ、にぁああ。ふーんにぁああ。にあぁああ。(お早う、いい天気だにぁあ。どこから来たんだよ)」と声がした。でかい雄の虎猫だ。 「富山からだよ。帰りたくないんだけどな。」 「ふにゃああ、ふんにぁあ。にあぁああ、ふにゃああ。(遠い所から屋久島などに来てくれて有り難う)」 「また、来るよ。いい所だからな。そうだ、ちょっと写さしてくれ」
「にぁん(だめ)」 カメラを向けると、この虎猫は直ぐに姿を消した。屋久島の猫は人と変わらない。よく口を効くが恥ずかしがり屋。
epilogue
野々湯温泉
霧島国立公園で、最大、最安の温泉はココだ。
昨年と同様、ニコ中・アル中で蒸し料理の鉄人の従兄弟と野々湯温泉で一泊した。キャンプ料金は1300円。バックパッカーには高いがオートキャンパーには格安。駐車料金も温泉料金もぜーんぶ込み。癖のない綺麗な温泉で、24時間入り放題。高温の火山の水蒸気を利用した蒸し料理施設も完全解放。従兄弟が入り浸るのも分かる。ちなみに敷地は15万坪。食堂も宿も格安。車のないバックパッカーは、電話をすれば鹿児島空港や霧島神宮まで迎えに来てくれる。社長も従業員も人情があって良いぞ。
今回の優れもの
GPS map21EX。故障続きだったが、今回は森の中でもローケーションはOK。狭い谷間のみ不可。5分ほど点けていると、位置は正確。コンパクトフラッシュに入れた5万分の一地形図も見やすかった。
イスカ、マップケース。アウトドア道具考を読んで改良したらしい。チャックを廃止してベルクロにして使いやすい。
防水携帯R692i+ソーラーギアはgood。雨の中で平気で電話がかけられるし、能率は低いが太陽電池で充電も可。安心感一杯。
2004年1月
城前峠にて(2004年1月11日)
年末に奥様を九十九里浜に連れて行き、5泊6日のバックパッキングは楽しんだが、どうも運動不足で肥満気味。それで立山少年自然の家のチャレンジキャンプに遊びに行った。正式に届けを出したので、「視察」というお仕事。
初日は、顔合わせの後、退屈なのでさっさと越前峠に行き、荷物をデポして、来拝山を往復。雪が少なく、往復一時間もかからない。MSRのスノーシューは使いやすかった。帰ってくると、ガキどもがテントを張っていた。夕食はカレーのヒートパック。そんな物食えないので、一人でステーキを焼いた。餃子とお豆さんにカボチャスープ。グリコの餃子は意外にいけた。夜は吹雪。夏用テントだったので、風通しがよかった。
二日目も単独行動、長尾峠までスタスタ歩き、30分くらい大辻山方面に登ってみた。スノーシューズはMSRアセント+延長テール。雪は多かったが、ふくらはぎまでしか潜らない。行けそうだったが、大辻山往復は5時間くらいかかる。次の機会にした。長尾山経由の尾根ルートで戻る。氷点下7度だったがショートパンツで行動した。途中、ガキどもが昼食中。休むと急激に冷える。テント場着、一時半、レギュラーコーヒーを入れ、ミニケーキを食べ、読書。夕食はガキどもはどんぶり物のヒートパック、不味そうだった。ただ、豚汁は旨そうだったから二杯いただいた。一人でウインナと高菜のピラフを作り、餃子その他を山ほど食べた。晴天になり、夜はマイナス8度まで下がった。
三日目、ガキどもはかなりお疲れ。飯も食わずにテントを撤収。立山少年自然の家で朝食だそうだ。そんな習慣はないので、テントで朝食をとり、ゆっくり帰還。相変わらず、ショートパンツとスパッツ。少年自然の家でコーヒー、朝風呂を頂き、車で千垣まで送ってもらう。その上、日当、交通費も出る。「視察」くらい良い仕事はない。視察委員として食い物の悪口を山ほど言っておいた。来年からヒートパックは禁止だ。
2003年10月
立山へのアプローチ(2003年10月11日)
立山に行って奥様と一緒に紅葉を楽しむことにした。二泊三日、二人分の豪華な食料で、バックパックの重量を久しぶりに量ったら30Kg。特に重いとは思わなかった。グレゴリーは重量物運搬向きのようだ。弥陀ヶ原から獅子が岩経由の研修ルートで雷鳥沢のキャンプ場へ。初日は晴れて最高だった。温泉もばっちり。
天気予報は大外れ。二日目は雨。朝食後、小雨になる。雷鳥沢から最短距離で一ノ越まで散策することにした。大きな雷鳥が四~五羽、人も少ない良いルートだった。一ノ越に行くと風雨強。登っている人もいたが、一時間模様眺め。再出発、5分登ると猛烈な風雨。即撤退と決定し、ぶらぶら歩き。再び、雷鳥が四~五羽いた。雷鳥は増えたようだ。室堂山荘に行き、パンを少し囓り、リッチにコーヒータイム。心配したけど、割に美味しいコーヒーだった。尾根道を散策し、雷鳥沢ヒュッテで温泉。また、立山ガイドの人と会ってしまった。
夜中から明け方は暴風雨。テントが変形し、頭のすぐ上まで来る有様。シェラデザインズ、オライオンASTなので、不安は感じなかった。地獄谷経由で室堂まで歩き、バスで弥陀ヶ原へ。レーダー画像を見ると雨雲がびっしり。奥様には秘密。弥陀ヶ原から木道をぶらぶらと歩いた。景色はまずまず。ただし、木道が歩きにくい。二度滑って、派手に転んだ。雨の木道は危ない。弘法まで歩くと、美女平までコースタイム4時間と標識にあった。奥様がキレル。やむなくバスで美女平へ。まんじゅうが心残りだったが、即、ケーブルで立山駅。便利になったものだ。
2003年8月
ニセコアンヌプリにて(2003年8月1日)
ステージ1 倶知安の旭が丘公園にたどり着くと天気は下り坂、雨になる。次の日も雨。しかし、天気は回復予定。羊蹄山麓の半月湖駐車場にテントを移す。夜の間、雨が降り続いた。レーダー画像を調べる。1~2時間で雨雲が消えるはず。午前5時半、軽装でアタック開始。雨が本降りで躊躇したが、1時間ほどで止んだ。11時頃、1893メーターの頂上。快晴、弱風。鉢回りを敢行。岩場に難しい所はない。12時下山開始。2時40分テント場に到着。1500メーターの標高差を2時間半で駆け下りた。我ながら驚いた。まんじゅうとコーヒーで贅沢なティータイム。誰もいないのでもう一泊。
ステージ2 朝、晴天、9時過ぎのバスでニセコに移動。生協で食料を4日分仕入れる。昼頃、ニセコいこいの村へ。ゴンドラで1000メーター地点まで行く。50分歩くとニセコアンヌプリ。下山は五色温泉へ。きれいなキャンプ場だったが、10時過ぎまで外人のグループが騒ぐ。女のガキが2時間おきに泣き出すし、母親もヒステリックに叱る。最悪のキャンプ。
小雨の中、8時出発。9時45分、イワオヌプリ山頂。お鉢回りもやった。下山すると雨が本降り。11時半、ニトヌプリ山頂、12時20分、舗装道路に合流、土砂降り。チセヌプリへのコースを諦める。1時45分神仙沼。雨が上がった。3時、休憩所。トイレは改築。5時に閉まるので水を3リッター確保。展望台にテント設営。少し客が来たけど、夜は誰も来ない。
次の日も雨、6時40分出発、7時20分、長沼。9時、シャクナゲ湖、岩の道で非常に歩きにくい。11時過ぎ白樺山、風雨強。12時、舗装道路へ。目国内岳の登り口の駐車場。トイレはあるが水がない。目国内岳ツアーと表示したバスが一台。12時半、テント設営。雨がひどい。コーヒーを飲み文庫本を読む。4時半、雨が上がった。浄水器で側溝を流れる雨水から飲み水を3リッター作る。浄水器のポンプが不調。狐が来たが、石を投げて追い払う。
次の日、6時20分出発。ガスの中。天気予報とレーダーによると、晴天になる。蚊が多い。7時半、前目国内岳、8時、岩の門。9時10分、目国内岳山頂。晴天。羊蹄山まで見渡せる。岩場は短くで易しい。高度を下げるとブユと蚊だらけ。雨具のズボンを着る。10時半パンケ沼。水を1リッター確保。お花畑がきれい。11時45分、岩内岳分岐。12時40分、水場で2リッター確保。1時40分、五つ沼、晴天でテントを張るには早かったし、ウンコ(狐ではない)があった。おもしろくない。朝日温泉までコースタイムで4時間。歩くことにした。2時20分、雷電山。蚊とブユがいなくなり短パンになる。2時50分、前雷電。4時30分、中山。5時40分、朝日温泉到着。11時間歩いた。ところが朝日温泉は休業中。雷電山に熊出没との看板。空き地にテント設営。浄水器で水を3リッター確保。川の傍の温泉に入る。晩飯は7時半過ぎになった。
さぼる力、寝る力、食べる力に温泉の力をプラス。生きる力が充実した。
次の日、5時前に目が覚めた。朝風呂に30分ほど入る。熊も人もいない。7時10分、出発。8時20分、雷電温泉郷に到着、予定終了。バスで岩内経由で倶知安へ。JRの駅でトワイライト・エクスプレスの予定変更。明日の個室が空いていた。
エピローグ 10時過ぎ、札幌駅到着。大丸の探検。11時前、8階に行列。最前列の人に聞くと、昼食バイキングで美味しいという。おおうと海賊の血が騒いだ。11時15分入店。贅沢にドリンクをつけても1580円、90分一本勝負。品数は50以上。100人程度はいる大きな店。20センチくらいの中皿で8杯平らげた。普通の人の倍は食ったが、70分でリタイア。函館まで寝たきり。持ち込んだ弁当もあまり食えなかった。昔なら胃に入った物はすぐに溶けた。歳だな。ちなみに、大阪駅前の回転ゴンドラのある阪急ビル(乗り場の向かい)には950円バイキングがある。品数は少ないが美味しいぞ。
2003年6月
僧ヶ岳中腹にて(2003年6月6日)
シェラデザインズ(アメリカ)のホームページで良さそうなテントを見つけた。HyperLight AST(2Kg)。さかいやにメールを入れても返事がない。輸入代理店に直接電話を入れて売れと直談判。さかいや経由で買った。なんと日本には10張り程度しか輸入予定がないという。本格的山用テントらしい。気がついてみると、ピラミッド(3人用、3Kg)、オライオンAST(2人用、2.5Kg)、ハイパーライトAST(2人用、2Kg)、ディパインライトニング(1人用、1Kg)とすべてシェラデザインズだ。
立山少年自然の家のファミリーキャンプの視察(仕事だぞ!)でテストしてOK。大学祭の時に遊びに行かないと死んでしまうので、奥様を僧ヶ岳に連れ出した。初日はベースキャンプ設営。サルどもが興味津々と近づいてきた。二日目に軽装でアタック。アイゼンを持って行ったが、気温が高く雪渓の表面が柔らかくて出番が無かった。頂上には富大のワンゲルが大勢いた。奴らも考えることは同じ。下山して、テントにもう一泊。三日目に宇奈月まで下った。宇奈月の安くて旨い食堂に入ったが、5年ぶりでおばさんの腕も落ちていた。残念だ。
2003年3月
西部林道(屋久島)にて(2003年3月27日)
ストレス病の奥様の治療のため、屋久島登山。初日は白谷雲水峡入り口のトイレの上の展望台でテント泊。パックパックは二人分×四日分の食料で30キロはあった。次の日から原生歩道を引き回し、山越えして縄文杉へアプローチ。さすがにばてたので、休憩所でテント泊。三日目は雨で三時間ほど歩いて登山道でテント泊。四日目は晴天、宮之浦岳を縦走、淀川小屋の側でテント泊。五日目にヤクスギランドまで歩き、バスで下山。
安房で食料調達、バスで海中温泉を目指すが、同上のおばさんの薦めで湯泊温泉へ。行ってびっくり。堤防の内側にプレハブの脱衣所、温泉は海の傍。露天で混浴(低い仕切りはある)、素っ裸のギャルつき。タダだし、湯泊温泉は良いぞ。気に入った。風呂と洗濯。その後、タクシーにタダで便乗し、栗生の青少年旅行村でテント泊。
西部林道を歩いていた時、マウンテンバイクの大学生が「お願いがあります。」とまじめな依頼。チェンが外れて、どうしても戻らないという。手は油で真っ黒だった。落ちていた棒切れを拾い、フロントとリアのギアをトップにして、ペダルを回す。棒きれでチェンを突くだけだ。10秒かからない。大学生はびっくり。「人家もないし、食べ物も持っていないし、夜を過ごすことになったらどうしようかと思っていました。勉強になりました。ありがとうございました。」という。まったく近頃の大学生は勉強しないからな。
奥様の歩く速度が遅く、午後3時、危ないと思ってテントを張った直後、猛烈な雨。さすが屋久島。次の日、永田に着き、公衆電話を探すが、すべて撤去されていた。J-phoneは圏外。奥様は店の電話でトッピー(鹿児島までの水中翼船)に予約を入れるが三日先まで満員と断られる。疲労も重なり、奥様が切れる。もちろん、普通のフェリーはあるのだよ。
再び、宮之浦まで戻り、テント泊。さらにスローな旅になった。鹿児島の従兄弟に電話すると、「お前か、お前のせいでオートキャンプのプロになってしまった。何十万円もつぎ込んだ。どうしてくれるんだ。」と叱られた。次の日、のんびり鹿児島に渡り、珍しくホテル泊。
国分で従兄弟たちと一緒になると、霧島の野之湯温泉というキャンプ場に連れて行かれた。オートキャンプのプロは料理の鉄人にもなっていて、温泉の蒸気を利用した蒸し器を使ってどんどん料理を作ってくれた。飲んで食って、飲んで食ってと大変だった。次の日、屋久島でびくともしなかった心臓が初めて不整脈を打った。従兄弟から逃げ出し、えびの高原へ。
キャンプ場はがら空き。広々とした松林にテントを張った。温泉もあった。次の日は暴風雨。登山は無理なので、池巡りコースを散策し、バスで宮崎まで。宮崎の従兄弟の所に一泊、西都原の古墳群を見学して、フェリーでゆっくり帰途についた。超スローな旅に奥様の神経はずたずた。ストレス病は完治。
バージョンアップしたGPSと太陽電池を持って行ったが、森の中では受信不能。まもなく真っ青になり、操作不能になった。初期不良か、故障。無用の長物だった。EMPEXが修理中。また携帯電話をぬらして潰したので、ドコモの防水携帯に変更。三回目だ。うれしいことに気象協会のホームページに携帯用のレーダー画像あり。早速、ショートカットを作った。
2003年1月
白滝山山頂(因島)にて(2002年12月24日)
運動不足病の奥様を連れてしまなみ海道をバックパッキングした。初日は尾道から因島の静かなキャンプ場。ステーキがうまかった。二日目に因島中央部の山間部を南下。すぐに奥様がばてたが、だましだまし歩いた。女連れは辛い。ミカンを拾って食うと濃厚な味で感激した。富山では金を出しても手に入らない極上のミカンだった。
因島でショックだったのは、三年ばかり前に会った人と再会し、「甥っ子に似ている」と言われたこと。黙っていたが、おじいさんは大三島出身だし、大三島の村上はすべて因島起源だと聞く。遠い親戚かもしれない。
しまなみ海道は寂れきっていた。生口島では店がつぶれていたし、大三島でも観光客が閑散としていた。キャンプ場にテントを張ったら1600円も取られた。今までは冬は無料だった。
連日強風が吹き荒れて、気温も氷点下に迫る勢いだった。六日しか歩いていないので運動不足解消にはもう一つだったが、奥様の運動不足病の治療には成功した。観光ポイントはかなり回ったし、兄貴も今治見学のガイドをしてくれた。基本的には成功。
2002年9月
奥大日岳にて(2002年8月22日)
親友のジニー君を亡くすと、頭の中心でダイナマイトが爆発したようなショックを受けた。新皮質が使い物にならない。足もだるい。愛息を亡くした奥様の症状も同じ。体を動かして免疫力の低下に対抗することにし、奥様を北海道に連れ出した。天気がイマイチだったので、礼文島で足慣らし。利尻岳には最終日にチャレンジした。強風だったが、鴛泊コースは快晴(沓形コースは土砂降り)、登頂成功。帰りのトワイライトイクスプレスの寝台(ロイヤル)はシャワーとトイレ付き、安物ワインと朝のコーヒーサービスもあり、感激。癖になりそう。
写真は奥大日岳の山頂で撮って貰った。背景は剣。立山少年自然の家の集団登山研修の企画に外部評価委員として参加(仕事だぞ!)。初日は足慣らしで弥陀ヶ原から雷鳥沢まで、二日目は立山から別山を縦走し、剣沢へ。三日目は雷鳥沢まで戻って皆さんと別れた。四日目は一人で大日を縦走した。皆さんは山小屋泊まりだったが、重荷を背負ったほうが体に良いし、ずっとテント泊。久しぶりにオスプレイのバックパックを使った。使いやすさを実感。道具考補足
2002年7月
気力がみなぎっていた頃のジニー君(1992年8月、11歳半)
2002年7月21日、午前11時50分、腎不全のため、村上ジニー君が死去しました。享年21歳5ヶ月(推定)。ここ2週間あまり寝たきりの状態でした。ドライフードの投与と点滴で無理に生かし続けたのですが、限界でした。ジニー君の遺体は城山の裾野に埋葬し、庭の寒椿を1本移植しました。もし、ハイキング中にきれいな寒椿を見たら、ジニー君を思い出してください。
2002年4月
九十九里浜にて(2002年3月28日)
九十九里浜バックパッキング
最近、仕事が忙しく、ジニー君の問題もあり、近場で済ませました。学会の用事で東京に行き、即、特急で千葉の大原に行ってキャンプ。翌日は暴風雨でびしょぬれ。いよいよディアブレックス・レインスーツも買い換えです。
体調は最悪で歯肉が腫れ始めの所を抗生物質で抑えたつもり。途中で歯医者に行き、薬を追加。しかし、治らず、尖った歯ブラシで血が出るまで磨いたら治りました。薬は大してきかないと実感。
荷物は少なめだったのに荷が重くてたまらない。3日で歩けるかと思ったが、一週間遊んでしまった。しかし、いつまでも続く砂浜を一人でゆっくりと当てもなく歩くのは最高です。途中、国民宿舎で昼飯を食ったら800円で5品も出てきて大満足。千葉県は田舎で物価が安いようです。
今回はオモチャを二つ持っていきました。一つはmap21という地図が表示できるGPS、もう一つは太陽電池パネル。電源確保のためです。いやはや性能にはびっくり。詳しくはこちら。
2002年1月
ハブの山、湯湾岳にショートパンツで登ってしまった(2001年12月30日)
湯湾岳(奄美大島)
二週間姿をくらまし、大阪からフェリーで奄美大島へ。名瀬から反時計回りに歩き、大棚から山へ向かう。林道脇でテントを張り、次の日に登頂。誰もいなかった。ハブは寒い日は出ない。その後、湯湾に降りて食料調達、変なおじさんの車に乗せられ、沈没船から廃品回収の手伝い。やむを得ず、篠川までショートカット。ヤドリ浜までは歩いた。その後、住用までバスでショートカット。東城から林道経由で名瀬に行こうと思ったら、地図にない林道に迷い込み、2時間も遊んでしまった。引き返し、バスを待っていると、車に拾われ、名瀬に瞬間移動。どうせならと食料を仕入れ、北のアヤマル岬までバスで移動。その後、三日歩いて名瀬に戻った。島の北側では強風。南はべたなぎの海峡と100メーター以上のアップダウン。もっと南のカケロマ島で遊ぶ時間がなかったのが残念だ。人は親切で、何してるのとか、どこに行くのと、ハブ同様寄ってくる。神戸出身のおばさんは孫と嫁を連れて散歩中。「愛していると言われたので結婚したのに、勝手な人で子供を残して一人であの世に行ってしまった」と憤る。みんなで奄美の歌を歌ってくれた。愛する男が鹿児島に帰ってしまうという悲しい歌だ。奄美への旅行は要注意。骨を埋める人もいるようだ。
2001年10月
駒ヶ岳から眺めると、毛勝、剣、槍がほぼ並んで見える(2001年9月23日)
駒ヶ岳(富山)
運動不足解消のため、ワンパタンのトレーニング山行き。一日目は東蔵(魚津)から林道を3時間、登山を開始して4時間程度で剣見の池でテント泊。日が暮れると気温は氷点下まで落ち込んだ。二日目は、僧ヶ岳頂上まで1時間。荷物を置いてグレゴリーサミットで駒ヶ岳往復。ハイキングコースのような立派な道ができていた。ブナオ山岳会の人が最期の仕上げ中。道を開く時は数百人が出たそうだ。物資はヘリで運んだらしい。森林公園まで降りてテント泊。通い慣れたのか、道の特徴がすべて頭に入り、体が無意識に動く。気がつくと所用時間が1時間以上短縮されている。不思議だ。
2001年8月
礼文から稚内へのフェリーにて(2001年8月8日)
利尻
利尻に渡ると天気は下り坂、雨の時に山に登ってもつまらない。まず、時計回りに二泊三日で利尻島を歩き、鴛泊のベースキャンプに入る。利尻岳に登った時にちょうど天気は回復。景色がよく見えた。往復10時間のところ7時間。物足りなかったが、買い物に町まで降りて帰ると3時間かかる。物足りた。姫沼までのハイキングコースも歩いたので、利尻には計五泊した。
礼文
香深に渡るとまだ昼。天候は回復。荷物の中身をコインロッカーに預け、まず、桃岩コースを巡り、南端を回って戻って香深に戻った。花がきれいだった。居心地がよいので香深井のキャンプ場をベースキャンプにした。次の日は礼文林道から元地。また次の日はスコトン岬までバスで行って8時間コースを歩いた。次はキャンプ場から歩いて出発、礼文岳に登り、物足りなかったので、久種湖まで歩き、買い物をして、バスで帰った。最後はもう一度礼文林道に入り、礼文滝を見て、通行禁止の海岸を歩き、香深まで戻った。礼文でも五泊した。
ほっけ
香深の漁協の販売店で生のほっけを買った。大きいのが100円。特大でも110円。特別サービスで二枚におろしてもらった。氷を入れ新聞紙でくるんで断熱。キャンプ場で塩こしょうで焼いた。うまいのなんの。とれたての生ほっけだから最高だ。熱いご飯に入れるとほっけご飯。もう何もいらないね。
反省点
- ジニー君の点滴を奥様に任せて二週間遊び呆けた。まだ、何とか生きている。
- グレゴリーのバックパックのベルトのプラスチックが割れた。針金で応急修理した。補強の仕方が悪かったようだ。先端部を針金で固定せずに補強した。
- グレゴリーのサミットは肩に食い込み、痛くてたまらなかった。オスプレイのサミットの方がよいようだ。
- 近いうちに「アウトドア道具考」のページに補足する予定。
2001年4月
花之江河(はなのえごう)にて(2001年3月24日)
屋久島で4泊。淀川小屋--宮之浦岳--縄文杉--白谷雲水峡を縦走。一日、雨に降られただけで、永田岳も見えたし、楽勝だった。しかし、大学生の山岳部、ワンゲルの合宿所のようでビックリ。山小屋は大混雑で学生は三時間しか眠れないと言っていた。私はテントを持って茂みに隠れたので十時間睡眠。屋久島は一通り歩いたし、種子島に渡り、南種子島と中種子島を四日で歩いた。人口密度は北海道並み。何もないが、人は親切で、海岸線がきれいだった。さらに、鹿児島に渡り、佐多岬近辺を二日歩いた。
反省
キャンプ場以外のキャンプ数8、キャンプ場でのキャンプ2、フェリー泊2。したがって、不法キャンプ率は8/10 法を守るべく最大限努力した。
帰りのフェリーで9時になっても親父二人がビールを片手に楽しく語っていたので、「うるさい。俺はもう寝るんだ」と一喝。これで止めておけば良かったが謝った時にすかさず「謝るんじゃない。寝るかラウンジに行くかどっちかにしろ。」とねじ込んだ。親父二人は怯えてその後一言も口を効かなかった。20Kg以上の荷物を背負って毎日20キロは舗装道路を歩いていたから人間ダンプカーと化していた。巨大登山靴、巨大リュック、マッチョ、ダンプのおっさん、くりからもんもん、やーさん。親父が怯えるのは仕方ないか。
フェリーの1300円の夕食バイキングで飯を食わずに、肉、野菜をターゲットに一時間がんばって食いまくったが、人の三倍くらいしか食えなかった。みそ汁、焼きそばを取ったのが敗因の一つ。
2001年1月
岩城島にて(2000年12月31日)
因島を起点に、弓削島、佐島、岩城島、生名島をのんびりと一週間歩いた。岩城島の寺は年末の準備中だった。山頂に水があるかと聞くと、お坊さんが現れて詳しい説明をしてくれた。水はあるらしい。寺の境内で400円弁当をゆっくりと食べた。食べ終わると、絶妙のタイミングでお坊さんがホットコーヒーを持って現れた。非常に美味かった。
念のため水は少し持っていった方がよいと言われたので、1リッターのプラティパス水筒を渡した。お坊さんは5分くらいして再び現れた。水に加え、リンゴとミカンとお菓子を頂いた。二日分の食料に2Kgがずしりと加わり、厳しい重さになった。お坊さんは丁寧に見送ってくれたので、ついでに写真を撮ってもらった。山頂近くには水洗トイレがあり、見晴らしの良い所にテントを張った。岩城島は良い所だ。
2000年11月
僧が岳にて(2000年10月29日)
グレゴリーのバックパックをテストするため9月に僧が岳に行ったのですが、改造したので、テストのため、もう一度僧が岳に行く必要がありました。
土曜日の朝、魚津に行き、バスで東蔵へ。東蔵から3時間片貝川を詰めて登山開始。4時頃、ようやく剱見の池(1700メーター地点)に着き、シェルターテントでビバーク。ステーキ2枚食べて12時間寝ました。天気が崩れ、夜間に40ミリくらい雨が降ったのですが、気がつかなかった。翌日はテクテクと宇奈月まで。
シェルターテントと浄水器の写真は今度の本に使えそうです。雨だったので、ディアプレックス・レインスーツのテストもできたので運が良かった。雨だと山には誰もいませんね。セルフポートレートの格好いいのも欲しかったけど、ましなのがこれ。写真は難しい。
2000年8月
雨竜沼湿原にて(2000年7月31日)
JR増毛から徒歩でアプローチ、暑寒別岳、南暑寒別岳を縦走し、雨竜沼湿原を経て雨竜町のバス停まで歩いた。遠いと思ったら60キロもあった。アブのお迎えにヤブ蚊のお見送りには泣いた。3キロだけは車に乗せて貰った。
倶知安に移動し、豆治療のため公園で寝たきり、さらに天候の回復待ちで、計5日滞在した。生協はあるし、温泉はあるし、ステーキを焼いて、文庫本を読んで、公園でごろごろだろ、もう、最高だったね。
あまり、寝たきりでは困るので、羊蹄山はベースキャンプ5時発、デイパックだけだったので3時間で登ってしまった。ガスがかかっていたけど、また、お花畑が最高なんだ。別の登山口に降りたのが午後2時過ぎ。珍しく、速攻登山をしてしまった。
天気が思わしくないし、花もだめとの情報で、ニセコ縦走はやめて、余市に移動、積丹半島のおいしい所だけ1泊2日歩いた。車が増えていたのでもう一つだったが、大いに楽しんだ。
2000年5月
鳩谷ダムから大窪の水芭蕉へ向かって(2000年5月3日)
今年は異常に雪が多いので、八尾--楢峠--天生峠コースは通行不可。やむなく初日は庄川町から境川発電所まで。夜桜がきれいで、ステーキがうまかった。2日目は大窪の水芭蕉見学。雪が多かったので、ちょうど良い具合でした。かたくりの大群落もあります。続いて山中峠の直下までアプローチして野宿。夜はマイナス5度。良いシュラフで寝ると、気分は最高。3日目は水芭蕉を見学して(少し早かった)、車が多いので、萩原町へ下って食料を補充し、位山峠を越えて、刈安峠を少し下った山中で野宿。4日目は高山経由の旧街道沿いを快走し、自宅まで帰りました。
ショックだったこと。位山峠は15年ばかり前に越えたのに、ほとんど記憶がなかった。昔は寂しい道で、林道脇の空き地で一人寂しくテントを張った記憶があるのですが。道は広くなり、オートキャンプ場もできて賑わっていました。
2000年4月
大三島山頂にて(2000年3月21日)
バックパックを担いで、まず宮島(厳島)を半周りしました。海岸線の道はブッシュで歩けない所がありましたが、縦走路は健在でした。島を替え、芸予諸島の上蒲刈島を縦走し、豊島、大崎下島、大崎上島、大三島、因島を歩きました。永遠に歩けそうだったのですが、島がなくなったので、9日で帰ってきました。
瀬戸内は食料豊富で、丸一日分の食料さえ持っていれば歩けます。海岸線を歩いていて、寝るときは50メーターくらい高度を稼ぎ、空き地を見つければ良いだけです。水は2リッター持ちます。雨水や小川の水を飲むときは浄水器も役に立ちます。
1999年12月
屋久島灯台近く(99年12月26日)
屋久島で9泊しました。もちろん、オール野宿。上陸直後、寒気団が接近、吹雪となりました。楠川から登山開始、すぐに嫌になりテント、気を取り直し、再び登山、吹雪となり、縄文杉への登り口でテント。帰ろうと思っているとツアー客が通りかかり、どうせならとウィルソン株まで登る。雪は30センチ以上。ツアー客は帰るが、一人女性登山者が登りたがっていたので、ガイド登山開始、縄文杉は積雪50センチでしたが、雰囲気は良かったです。その後、まっすぐに帰らず、もう一泊したため、嫁さんに警察に手配されてしまった。5日分の食料、冬山装備で登る人は例外らしく、2~3日、放って置いても大丈夫と言われました。さすが、警察、よく見ています。平地に降りると、亜熱帯。もちろんテント泊。バスを少し使って温泉で休息。ラストステージとして西部林道60キロをすべて歩きました。充実していましたね。
バス停でぼんやりしていると、地元の人が「はいポンカン」と2~5個くれる。道を聞いても「はいポンカン」とポケットから2つ。たちまち9個貰った。重さが馬鹿にならない。それに屋久島の人はけっして「車に乗らないか」と余計なことは言わない。自主性を尊重してくれる。北海道のくそ親切さとは違う意味の親切を感じた。しかし、ポンカンの重さには注意。
1999年8月
奥尻島、採れたてウニ握り(99年8月10日)
夏は自転車で再び道南を回りました。超暑い北海道でした。崩壊した林道を辛うじて突破して(膝まで泥に潜りました)、奥尻にたどり着き、昔知り合いになった人を訪問しました。素潜りが得意で、ウニとアワビの密漁をしてくれました。私は泳げないので、海に浸かって待っていただけ。採れたてのウニを鉈で叩き割り、即席に作ってくれたのが写真です。採れたてのウニは甘みがあり、うまかったです。ウニに醤油を少し混ぜ、殻に詰めてたき火で焼いたウニもうまかった。しかし、たき火でアワビを焼いたものが一番うまかったです。贅沢な二週間でした。
1999年7月
因島、白滝山・白龍寺にて(99年3月24日)
村上家のルーツを探るべく、徳山を起点にリュックを担いで野宿しながら、向島、因島、生地島、大三島(おじいさんの出身地)を歩きました。瀬戸内の文化水準の高さにびっくり。昔は交易の中心地だったのです。生地島は平山画伯の出身地、大三島には村上三島という大書道家がいました。直接のつながりは不明でも自分の血に納得。似た顔の人も多かったのです。古里に帰ったような9泊10日でした。
1998年11月
僧が岳にて
東蔵を妻と午後3時半出発、一日目は発電所で野宿、二日目にようやく登山開始、遭難碑もあり、急な山で躊躇しました。水がない山で、二人分の水の担ぎ上げが大変でした。登頂後、200メーターぐらい高度を下げて野宿、水が足りず、たまり水を煮炊きに利用しました。三日目に宇奈月に降り、風呂と安い飯屋さんにありつく。油断すると危ないですけど、良い山です。その後、春に上った時は白根アオイやかたくりの花を見たし、野生の猿、カモシカを見ました。真新しい熊のウンコも見ました。(再執筆)
1998年4月
石川県、千里浜にて
金沢からリュックを担いで9泊10日、能登半島をバックパッキングした時の写真です。千里浜といっても丸二日歩くと、砂浜が無くなります。浜千鳥がいて、鳥の好きな人はよいでしょう。砂浜を歩くのが好きで、たまに歩きますが、足に堪えるので、まねをしない方が賢明でしょう。おもしろいと言って、北日本新聞でこれを記事にしたことがあります。(再執筆)
1998年2月
冠山にて
今庄から冠山林道へ回り込み、たった1時間と標識があったので冠山に登りました。サイクリングシューズで山など登ってはいけないのですが。その後、京都の登山家と一緒になり、少し遊んで写真をとっもらいました。後は日本最大のダムを建設中の徳山まで一気に下りました。詳しいことは「野宿のすすめ」に書きました。(再執筆)