2011年4月7日木曜日

Yakushima 2011




プロローグ

体調が悪化し、死にそうだったので、屋久島病院に入院となった。今回は長期入院が必要。新幹線も考えたが、富山---鹿児島は遠すぎる。やはり止めにして、フェリーにして、ビュッフェで食べ放題。部屋で死んだように寝続けた。誕生日割引が効いて、安かった。宮崎--鹿児島も往復割引が効き、非常に安い。水中翼船ロケットだけが異様に高い。

宮之浦の海楽園キャンプ場には大阪の中学・高校のワンゲルの大グループ。様子を聞くと、新高塚小屋で一メーターの積雪。道が分からなくなり、ガスにまかれ、縦走は断念したという。話半分に聞き、餃子、ステーキ等を買って山ほど食べる。10時間以上寝た。その間、20回くらい小便に立ち、忙しかった。やっとむくみが取れて、体調がマシになった。

初日
6時頃起きて、パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。ワンゲルはもう姿を消していた。仕付けの良いガキどもだった。8時過ぎのバス、尾之間着は9時20分、生協でパンを買い、出発。11半、休憩所着。バックパックをデポして蛇の口滝までピストン。食事をして、出発したのは12時40分。尾之間歩道はしばらくの間、急勾配の悪路となる。歩く人はいない。だた、昨年と比べると、赤テープが倍増していた。16時26分、やっと1200メーターの峠。鯛之川を渡ってテントを張りたいので進む。昨年より、水量が増加。少し下流側を渡る。歩道上にテント設営。雨が降ると水たまりができる場所だが、降りそうにない。18時、飯炊き開始。3日分はウインナを使う。その後はビーフジャーキー。今回はマッシュポテトとマヨネーズを持ってきたので、即席、ジャガイモサラダのできあがり。テントの中はすでに2度C。

二日目
夜中は星空。5時半に起きる。パン、コーヒー、プルーンの朝食。尾之間生協で買ったパンが非常にうまい。7時10分出発、8時30分、乃木(のんき)尾根に出る。鯛之川前後のコースタイムはおかしい。2倍かかる。10時30分、林道着。珍しく屎尿処理に募金をする。昨年、人力で50キロもの屎尿を運搬するのを見た。猛烈に大変な仕事。

11時半、淀川(よどごう)小屋。昼食とする。テント場に砂を運び、整地している人がいる。聞くと、初代ガイドだそうだ。縄文杉への縦走ルートは誰も歩いた人はいないという。道に迷って引き返した人もいるという。湯泊歩道も非常に危険ともいう。宮之浦岳には行けそうなので、とりあえず、花之江河(はなのえごう)まで行って、何時もの場所でキャンプ。軽装でピストンすることにした。

14時、花之江河の秘密基地。立ち入り禁止のテープ。深く基礎が掘ってある。元々、ガイドに教えてもらった場所。避難小屋あたりが建つのだろう。14時半、ちょっと違った場所にテント設営。フェリーでもらったお茶を入れて休憩。17時頃から飯炊き開始。ウィンナと乾燥野菜の炒め物、お豆さん、スープのメニュー。18時過ぎには寝てしまう。晴天、テント内でも-5度。

三日目
4時半に起きてしまう。結露がひどく、アウターが凍っていた。後で気づいたが、テントの入り口のジッパーを開けて、下のフックのみ止めると換気口ができる。双方向ジッパーでないのが難。暗いと歩けないので、出発は6時。それでも-5度。黒味岳分岐手前からマイクロスパイクの付けっぱなし。雪で登山道が埋没し、ブッシュが道を塞ぐ。7時投石湿原、歩きやすくて。バックパックをデポしたのを後悔したくらい。

8時半、栗生岳。8時40分、宮之浦岳頂上。先客が二人、若夫婦。聞くと、昨日、平岩から先のブッシュで道が分からなくなり、ビバークして引き返してきたという。便利だから写真を撮ってもらった。夫婦ともアイゼンもなし。凍ってる場所は死にものぐるいで歩いたそうだ。道具に頼る山登りをしないと危ないよと言っておいた。マイクロスパイクは付けっぱなし。どこでもスタスタ歩ける。なかなか強力。あるとないでは大違い。たまには命を左右するだろう。

9時10分、引き返す。10時過ぎ、宮之浦岳まで行くガイドと会う。湯泊歩道はメインテナンスをしているという。11時半、テント場帰着。食事をして片付け。少しだけ湯泊歩道に侵入する予定。ところが、入り口には進入禁止のロープ。無視して侵入。ところが積雪1メーター。道が不明瞭で太いブッシュが覆い被さる。ブッシュで塞がれた未知のルートを下りるより、熟知した縄文杉ルートを突破した方がマシ。突っ込むと命に関わりそうなので、即、中止。

13時半、小花之江河の先の展望台にテント設営。水は4リッター確保。景色は非常によい場所。14時、コーヒータイム。15時半、黒味岳まで行ったガイドと会う。この場所はテントを張ってよいという。ありがたいお言葉。夕食メニューは、ウィンナと乾燥野菜の炒め物、お豆さん、ポテトサラダ、スープと山ほどある。紀元杉からバスで帰ろうかと思ったが、食料はまだ二日分あるので、尾之間歩道を下りて、温泉を目指すことにした。18時過ぎに寝る。

四日目
テント内は-5度。毎日晴天。珍しい。パン、チーズ、マンゴー、コーヒーの朝食。7時半出発、展望台だから人が来る。淀川小屋は無人。トイレに駆け込む。腸の調子が正常化。8時50分出発、9時40分、淀川入口。これから永田歩道へ抜けようとする4人組。宿の人が車で送ってきている。永田から鹿の沢小屋までは通れるという情報。宮之浦--永田岳が分からないという。写真を見せて教える。冬山装備の4人組なので大丈夫そうだ。

9時50分出発。10時半、珍しく曇る。11時15分、乃木尾根分岐手前で昼食。11時半出発。このままだと蛇の口ハイキングコースとの合流点の休憩所まで行けるが、食料はまだ二日分ある。行きたくない。12時45分、鯛之川。昨日より水かさが減り、簡単に渡れた。少し行くと、初めて人に会う。アメリカ人。日本語が達者。なんと黒部の桜井高校の英語の先生。お互い、びっくり仰天。このコースを選ぶのは、物好きか、無知か、どちらか。記念撮影して別れる。

14時半、二つ目の分水嶺の上にテント設営。風通しがよく、明るいし、少し下から水が湧いていた。素晴らしい場所。コーヒータイム、お豆さんをお菓子代わりにする。暇だから、テントのガイラインを変更して遊ぶ。夕食はビーフジャーキーと乾燥野菜の中華風煮物。チキンスープで少し味付けをすると、丁度良い感じになる。マッシュポテトは火を通しても同じような味。夜中も星が出て、しっかり冷える。

五日目
5時半に起きる。パン、チーズ、マンゴーの朝食。7時過ぎに出発。標高1000メーター程度の所にまだREIの羽毛シュラフが落ちていた。登る時にも見つけたが、干しておけば良かった。濡れているので回収する気になれず、枝に干しておく。10時過ぎ、休憩所着。直前の急傾斜で一度こけた。足首も何回かひねったが、関節は丈夫なので何ともない。11時40分、尾之間温泉着。200円でしっかりと温泉に浸かる。

昼飯と思って、生協を見るが、弁当はないし、パンも売り切れに近い。やむをえず、お総菜とパンとミルクで昼食にした。米が一日分しかないので、冷凍のチャーハンと餃子を買う。これは今晩用。雷がなる。山にガスがかかった。部分的に降ったのだろう。14時前のバスに乗り、栗生の青少年旅行村に行く。相変わらず営業していない。岬の展望広場に行き、14時半、テント設営。管理していないらしく草ボウボウ。水はキャンプ場から4リッター確保。トイレは開放。協力金を入れるボックスがあった。珍しく、寄付しましたよ。この旅行村が倒産すると困るから。夕食は生協で買ったチャーハン、餃子、お豆さん、スープ。味の素の冷凍チャーハンだったが、化学調味料臭さが少し減っていた。多少、改良しているようだ。

六日目
6時に起き、何時もの朝食。7時過ぎ出発。8時10分、大川の滝。立派なトイレがあったが、キャンプ禁止の看板もあった。わき水もあり、大川の滝から5~10分歩くと、道ばたに空き地があってキャンプはできそうだ。

10時半、川原3号橋。11時、以前昼食を食べた場所を発見。休憩して昼食とする、11時20分出発。11時45分、2号橋。12時50分、本山4号橋、見覚えがある。13時15分第1半山橋、昔、この近くで寝たことがある。屋久島灯台まで1時間半程度。灯台への分岐手前で水を4リッター確保。広い駐車場のような空き地がある。バックパックをデポして灯台まで行き、撮影。永田まで歩いてもバスに間に合うが、それだとつまらないので、15時半、テント設営。このあたりを散策するが、ここがベストの場所。夕食はビーフジャーキーと野菜の中華煮、お豆さん、ジャガイモサラダ、スープ。

七日目
5時半頃起きて、何時もの朝食。6時50分出発。テント場を探しながら歩く。8時25分、永田着。のんびりとバスを待つ。10時半、宮之浦の海楽園着。テントを張り、お菓子を買ってきてコーヒータイム。昼前にぶらぶらと宮之浦の町まで歩いて、吉田屋のランチを食べる。真面目な洋食屋。非常に旨い。量が少なめだが、これは仕方がない。お土産等を物色し、テント場に戻る。もう一度、風呂に出かけるのも面倒なのでシャワーで済ませた。

エピローグ
帰りに宮崎の従兄弟と会った。たまたま、宮崎神宮で「やぶさめ」があり、連続シャッターで撮す。なかなか難しい。E-5の動体撮影はE-3よりは進歩しているが、ピントがうまく合わない。やぶさめをやる人も大変。落馬したり、的を外したりと、230メーターを馬で疾走しながら弓を射るのはかなりの技術がいるようだ。

この後、のんびりとフェリーで帰った。屋久島とフェリーのお陰で、かなり健康を取り戻した。交通費はかかったけど、元は取れたかな。

Power Lizard UL
組み立て不十分で、ポールの一部を破損したが、帰ってきてから修理した。4本ペグによる設営は少しシワが寄りやすいが、強度的には十分で、この方が良いと思う。

改造REI XT 85
使っている時は快適だったが、帰ってきて点検すると、蝶番とアルミ板にが歪みがあり、この補強方法は駄目だと分かった。左右別々の単純な補強に切り替える予定。

Asolo Titan
十分慣らして行かなかったので、尾之間歩道を上る時、踵の後ろが痛かった。ただ、二日目からは靴を意識しなくなった。なじむとなかなか良い靴だ。